第543話礼拝室の秘密

 

「あなたはしばらく休んでいなさい。あまり教会の外には出ないよう。今は教会全体がそうですが、特に聖女や勇者といったわかりやすい地位の者は目の敵にされやすくなっていますので」

「……はい」


 聖下のお言葉は優しいものではあったけれど、それは事実上の謹慎となる。

 けれど、今の私にはそれに抗うだけの力は残っていない。それに、ここで逆らったところで、何ができると言うわけでもない。

 外に出ることもできず、枢機卿をはじめ他の高位神官はたぬきばかり。私を蹴落とすか、利用しようとするかのどちらかであるため、今の私では下手に関われば何かを成すどころか、聖下の邪魔をしてしまうことになりかねない。

 なので、今はおとなしくしているしかないでしょう。できることと言ったら、精々が勇者が離反しないようおかしなことを考えないように与える情報を選んだり、余計な手がかかることを妨害したりするくらいでしょう。


 ……いえ、今はそちらに専念しましょうか。どうせできることなどない、と言うのも理由ですが、聖樹の残骸があった場所に行ってからアレの態度がおかしなものへと変わってしまっていることが気がかりなのです。

 大方、あの地で過去に行われたことやエルフの使用方法を聞いて不信感を抱いたのでしょう。以前教会で奴隷として働いていたエルフに知り合いがいたようで、その者はどこへ行ったのだと問われました。


 そのことは調査するとその場はやり過ごし、翌日には『襲撃が行われたせいでエルフ達が逃げ出した』と勇者には伝えた。

 その証拠として、夜のうちに音が出ないように教会の一部を破壊させ、いかにも襲撃があったように見せかけました。

 そのため一応の納得はしたものの、あの様子では完全には信じていないでしょう。


 そんなこともあって私が魔王の炊き出しに向かうのが遅れてしまい、対応が後手に回ってしまった。


 なので、今は勇者のケアを行うべきでしょう。

 勇者には大抵の精神干渉スキルが弾かれてしまいますが、純粋な薬と女を使ってゆっくりと染み込ませていけば……。

 スキルではなく薬とはいえど、勇者には効果はおちる上に違和感をもたれてしまえば怪しまれてしまうので、できることならばやりたくはありませんでした。それに、そのようなことをせずとも勇者は『勇者』でいてくれました。なのでやる必要がなかった。

 しかしながら、今の状況ではそうも言っていられないでしょう。ここで『神の使徒である勇者様』が教会から離反するのは痛手という言葉では表せないほどの被害となり得るのですから。


 そう考えながら、聖下の執務室を出た私は礼拝室に向かうために歩き出した。


 礼拝室。……正直にいえば、私はあの部屋があまり好きではない。

 なんと言えばいいのか……ひどく疲れる。あの部屋で祈りを捧げると、スキルを使った後のような疲労感を感じるため、あまり進んではいきたいとは思えない。

 それでも聖女の役目としてそれらしく見えるように振る舞うため、頻繁に行く必要はあるけれど、その必要がなければ行くことはないでしょう。

 神に祈りを捧げることで、同時に私の力も神に捧げているというのであれば納得もできるけれど、そのような話は聞いたことがない。

 私だけが特別? だからこそ、神に祈りを捧げると疲れることになる?

 ……けれど、それにしてはやはり違和感がある。

 そもそも、私達が信仰している神というのは、どのような存在なのでしょうか?

 勇者ではないけれど、私もそのことが気にならないわけではない。

 神の存在を疑っているわけではない。教会の理念を疑っているわけでもない。幼い頃より教えられてきたことが嘘なわけがない。だって私はその教えの通りに過ごしてきたことでここまで成り上がることができたのだから。私は幸せだ。今は多少問題も起きているけれど、それは魔王という余分が混じってしまったからであって、本来ならば今も聖女としてなんら変わりなく過ごすことができていたでしょう。

 だから教会の教えに間違いなんてなく、ただ少しだけ、小さな棘のような違和感が気になったというだけの話。


 と、そんなことを考えているうちに礼拝室の近くへと辿り着き、礼拝室から出てきた者と目が合った。


 その者は、教会に所属する高位聖職者だったけれど、他にも高位貴族を見かけることがある。

 けれど、毎度のことながらなぜあの者らはあの部屋に行くのだろうかと気になるものです。あれらは神に祈りなど捧げるような輩ではないでしょうに。


 そんな彼らだけれど、時折こちらを見る目が下卑たものになるのは、私のことを格下だと見下しているから?

 ……ふざけたことをっ。


 そうして歩いていると、また一人、礼拝室から出てきた者がいた。


「あら、これは聖女様。お久しぶりでございます」


 礼拝室を出てきたその女性はこちらのことを見ると、ニヤリと微笑んでから近寄り、挨拶をしてきた。


 私はこの女を知っている。けれど、『聖女である私』はこの女を知らない。


「〝初めまして〟。あなたはどなたでしょう?」


 だからこそ、私からの挨拶はこうなる。


 そんな私からの言葉に、〝初対面の女〟はぴくりと頬を引き攣らせた。


「……。ああ、これは失礼いたしました。確かに、〝聖女様〟とは初めましてでしたね。私はドランゲス枢機卿の下で聖者隊を率いている、ルイエと申します。以後お見知り置きをいただければ幸いです」


 聖者隊ですか。教会の所属であっても教皇聖下の管轄ではない、聖女のなり損ないたちを集めた集団。


 ですが……これはどこかおかしい。

 私は努力の末に聖女という地位を手に入れた。この女はその時の競争相手。確かに彼女はそれなりに力を持っていたけれど、それでも所詮は『聖女になれなかった者』でしかないはず。

 それはつまり、私より弱いということになる。


 もちろん私の場合は『光魔法師』と『治癒魔法師』という二つが揃っていたから選ばれた、という理由もあるので、純粋な力量だけでは私の方が劣っている、という可能性も十分に考えられる。

 けれど、それにしても力の差がありすぎる。精々が私と同格であるはずの彼女から、あれほどの威圧感を感じるなんて、そしてその圧に畏怖を感じるなんて……。


 あれから修行した? いいえ、それはあり得ない。修行したことがあり得ないのではない。それは普通に考えられること。

 けれど、彼女とて聖女として選ばれず、聖者隊に所属してからはそれなりに仕事があったはず。どこの隊がどのような活躍をしたのかはおおよその報告を受けていたので、仕事をせずに修行をしていた、ということはあり得ない。


 では、なぜこんな力を感じるの?


「ふふ、どうされたのですか、聖女様?」


 挨拶と共に差し出してきた手を見ながら考え込んだ私の様子から戸惑いを感じ取ったのか、目の前の女はいやらしく微笑みを浮かべる。


「いえ、少し呆けてしまいました。疲れているのかもしれませんね。……私は聖女のカノンです。こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」


 しかし、これ以上弱みは見せまいと、私は差し出された手を取り、握手をする。だが……


「っ……!」


 握手をする際に、握った手に力を込められた。

 古典的、けれどどちらが格上なのかを示すには効果的でもあるそれによって、私の手に痛みが走った。


 感じた痛みに声をあげそうになるけれど、そんな無様は晒せない。

 必死に笑みを浮かべたままやり過ごす。


「それでは私はやることがありますので、この辺りで失礼致します、聖女様」


 けれど、そんな私の虚勢を見破っているかのように、ルイエは勝ち誇ったような笑みを浮かべて手を放し、その場を去っていった。


「なんだっていうの……」


 そう呟きながら、私は去っていったルイエの背中を睨み、それから先ほどまで握手していた右手へと視線を落とす。


「っ!」


 右手へと意識を向け、軽く力を込めると、途端に痛みが襲ってきた。

 おそらくだけれど、この痛みは手の骨にひびが入っている。


 私の記憶が正しければ、彼女は『治癒魔法師』だから聖女候補として選ばれたはず。副職は分からないけれど、それでもあれほどの力が出せるはずがない。


 けれど、現実として彼女は私の手の骨にヒビをいれた。それも、殴る蹴るといった攻撃ではなく、ただの握手で。

 スキルを使った様子はなかったので、あれは純粋な身体能力だけだと思われる。

 けれど、やはり信じがたかった。


 聖女候補だった時はあんな力は持っていなかった。でなければ、流石に私の天職と副職が『聖女』として理想的であったとしても、聖女に選ばれることはなかったでしょう。


 そういえば、彼女も礼拝室から出てきた。仕事がある、だなんて言っていたくせに、こんなところで祈りなんて捧げる暇があったのでしょうか?

 もちろんただの私に対する皮肉や当てつけの可能性はある。けれど、どうしても気になった。この礼拝室には、私の知らない何かがあるというの?

 祈るだけで急に力をつけることができる? そんなバカな話が……


「……まさか。いえ、そんなことがあるわけがありません」


 私は自身の手に治癒をかけながら、急に力をつけることができる、という言葉で先日の聖樹へ向かう道中で襲ってきた賊のことを思い出した。


 あれこそまさに『急に力を手に入れた』と言ってもいいでしょう。もっとも、その姿は人ではなくなっていたけれど、力を手に入れたという事実だけ見れば同じと言える。


 けれど、あれと同じ、ということはないでしょう。あり得るわけがない。そんなこと、あってはならない。だって、あれは呪いの力。私たちが崇めている神ではなく、邪神の力なのですから。

 それはつまり、この教会で邪神の力を授かることができるということになってしまう。それはつまり、私たちが神として祀っている存在は——


 ……いえ、そのようなことを考えるのは不敬がすぎますね。聖女たる者がそのようなことを考えるべきではないでしょう。


 確かに、教会が邪神の力に関わっており、その力を利用しているのは事実なのかもしれません。そう考えられるだけの証拠を見て、話を聞かされましたから。

 ですが、それはあくまでも利用しているだけ。私たちの神が邪神だなんてことがあり得るわけがない。


 このようなことを考えてしまうのも、色々と心を乱される事がありすぎて疲れているからでしょう。


 けれど、やはりこの礼拝室には何かあるのは確実でしょう。それがなんなのかは……またいずれ。今は部屋で休みましょう。

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