第491話どこかでみた気が……
「アッハッハッ。そうかいそうかい。似合ってない、か。そりゃあ良かった」
そんな失礼とも言える俺の言葉を聞いて、婆さんは目を丸くして驚いた後、ニッと嬉しそうに口元を歪め、楽しげに笑い声を上げた。
何がそんなに楽しいのかわからないが、多分そんなことを言われるのが新鮮で面白かったとか貴重な経験だったとかそんなんじゃないか? 婆さんだってボスの一人だった訳だし、こんな生意気で失礼なことを言う奴はいなかっただろうからな。
「でも、んー……?」
その婆さんの見た目は綺麗で、まさしく『美人』と言ってもいい姿だ。そこらで見かけるようなレベルじゃない。
でも、なんかどっかで見たことがあるような気がする。それも、ただ見かけただけじゃなくって、結構近くで。
それがいつどこでのことなのかはわからないし、そもそも本当に見たことがあるのかもわからない。
「なんだい、そんなに人のことを見て。惚れちまったかい?」
「いや、それはない」
正直に言うなら目を奪われたが、だからといって惚れると言うほどのものでもない。
ただその変化と、変化後の綺麗さに驚いただけ。
女を見るならその見た目がいいに越したことはない。俺だってブサイクが好きなわけでもないから美人の方が好きだ。でも、人は見た目より中身だよ。カラカスみたいな場所で暮らしているとそう思う。
だって、いくら美人でも騙して罠に嵌めて殺しにかかってくる奴もいっぱいいるし。俺は見た目がいいからって俺のことを殺しにくるような奴はお断りだ。
「ならこっちかい? 天職の影響で出そうと思えばいつでも出せるけど……飲みたいかい?」
「飲まねえよ!」
自分の乳に手を当てながらゆさっと揺らして見せつけてくる婆さん……いや、女? ……婆さんでいいや。中身変わってないんだし。
そんな婆さんの態度と言葉に大声で否定を返すと、婆さんはより楽しげに笑い、声を漏らしている。
だが、そんな笑っている姿でさえ妖艶に見えるのだから、さすがは娼館のトップというべきだろうか。
「そうじゃなくて、なんかその姿どっかで見たことがあるような気がしなくもないっていうか……」
「ああ、そりゃあそうだろうね。何せ、あたしゃあこの姿で何度もあんたにあってるからね」
「何度もって、いつだ?」
これだけの美人であれば、何度も会ったことがあるんだったら忘れないと思うんだけどな。
でもぼんやりとは印象が残っている気がするが、姿までは覚えていない。俺はこの姿の婆さんにいつ会ったというんだろうか?
「あんたが赤ん坊の時だねえ。あんたが覚えてるかどうか知らないけど、乳母や世話役がたまに入れ替わってる時があったんだが、そん時にちょっと邪魔させてもらってたんだよ。もちろんヴォルクの許可はもらってたから安心おし」
「そこは別に心配してないけど……でも言われてみれば、毎日同じ奴ってわけじゃなかったな。中には見慣れないやつもいた……気がする」
婆さんが俺に手を出すとは思ってないし、事実なんの害も加えていないんだから、許可をもらっていようといなかろうと問題はない。そもそもだいぶ昔のことだし、今更そんなことでとやかくいうつもりはない。
それよりも、世話役に混じって、か。確かにあそこで働いている奴は入れ替わりがそれなりにあった。
俺の乳母をやっていた人だって、俺が母乳を必要としなくなったら親父から金を受け取って普通の街で暮らすために離れていったし、乳母として働いている期間中もずっとつきっきりってわけにもいかなかったから何度か代役が来た。
その後も何度か人は入れ替わっていたが、まああんな街だからな。金さえ手に入れば普通のところで暮らしたいと思う奴もいるだろうし、何かに巻き込まれて死んだり誘拐されたり、なんてことも普通にあり得る。
だから当時は人が入れ替わったところで大して気にしていなかったけど、そうか。あの中にいたのか。
「でも、そうか。だから見覚えがあったのか」
「そう言うこったね」
「なんだってそんなことを——まった。乳母に入れ替わってたって言ってたよな?」
乳母ってのは、赤ん坊に本当の母親に代わって乳をあげたり世話をしたりする人のことだ。
その乳母の代役をこの婆さんがやってた? それってつまり、俺はこの婆さんの乳を……
「そうだねえ。まあごく稀にだったけどね。……ああ、また昔みたいに飲むかい?」
「いらねえっつってんだろ!?」
俺の視線に気がついた婆さんは俺が何を考えているのか理解したようで、ニヤリと揶揄うように笑ってから再び自分の乳に手を当てて、揺らしてみせる。
揶揄われているのはわかっているのだが、それでも反射的に反応して大声を出してしまった。何というか、この婆さんには頭が上がらないというか、妙に無視できない感じがするんだよな。
これも育てられた恩を無意識のうちに感じているとかそんなんだろうか? ……厄介なことこの上ないな。
「なんかこれから大変だってのに、もう疲れてきた気がするよ」
婆さんの揶揄いを受けた俺は、右手で頭を押さえながらそう言って息を吐き出すと意識を切り替える。
「ところで、ばあさんの変装はいつまで保つんだ?」
婆さんの《変装》は見事だが、それがスキルである以上はずっと使い続けるというのは難しいはずだ。俺みたいな……最低でもソフィア程度の規格外さがあればずっと維持し続けるのも可能かもしれないが、婆さんもそれくらいの回数スキルを使うことができるんだろうか?
もしスキルが途中で切れて《変装》が解けたとなったら、騒ぎになるんじゃないか?
「いつまでも何も、いつまでも、だね」
「それは、大丈夫なのか? それで手一杯になってスキルが使えなくなる、なんてことは……」
いつまでも、って、それは大丈夫なのか?
いや、それだけ長い間使い続けることができるってのはすごいと思うぞ? 婆さんが言うんだったらそこに嘘もないだろう。
でも変装にスキルを使うんだったら、その分他で使えるスキルの回数が減るってことで、もし何かあった場合に対応できなくなる、なんて可能性もあり得るんじゃないだろうか?
「安心おしよ。これでもあんな荒くれどものボスを名乗ってたんだよ。その程度の勘定もできない馬鹿じゃあないよ」
まあ、そう言われればそうなのかもしれないが、それでも不安を消し切ることはできない。
「それに、あんたは忘れているかもしれないけど、私は『不老』なんだよ? 正確には老化に抵抗するんだけど、ま、どっちでもかわりゃあしないね」
「不老……そういえば、《抗老化》だったか? 老化しないでいられるスキル」
言われてみれば、確かそんなスキルを持っているって話をされたことがあったような気もする。
でもそうなると今の姿は……
「えっと、じゃああれか? 普段の姿の方がスキルを使っていた姿で、今はスキルを解いた本来の姿ってことか?」
「そうなるねえ。あたしゃあこの姿はあんまり好きじゃあないんだけど、仕方ない。坊のために一肌脱いでやるとするよ」
俺の問いに、婆さんははっきりと頷いて答えたが、俺の内心は混乱している。
普段の婆さんの姿の方がスキルを使ってたのか。全く気づかなかった……。
変装に限らないが、変異、変化なんかの姿を変える系のスキルで大変なのは、その見た目を一定に保つことだ。
一応俺も『盗賊』のスキルとして《変装》を使えるけど、あれって一定時間過ぎるとスキルが切れるんだよ。スキルが切れればスキルの使用回数を勝手に消費して自動で継続してくれるけど、意識して継続させないと徐々に形がズレていくんだ。徐々に徐々に、本当に少しずつ見た目が変わっていく。スキルを重ねるごとに眉の太さが一ミリずつ細くなっていく、とか、肌の色が黒くなっていく、とかな。
だが婆さんは、俺の知っている限りだが、そうした変化はなかった。常に一定の姿を保ち続けている。
どんなことをしている時でも十分毎に変装する顔を思い浮かべなければならないのだから、その大変さは理解してもらえると思う。それをこの婆さんはこなし続けた。
親父は化け物級の力を持ってるけど、この婆さんも大概だ。親父と同格の存在なんだと改めて思い知らされた気分だ。
「そんなわけで、スキルの時間に関しては心配しなさんな。むしろ、この姿の方が単純な戦力としては上がるもんだよ。何せ、今まで力を割いていたところに力を使わずに済むんだからね」
「……確かにその姿の方が便利かもしれないし、今回は有効かもしれないけど、あんたがその姿が嫌だってんならスキルを使ってもいいんだぞ? その分危険になるかもしれないけど、あんたを守り切る程度の戦力なら調整すればどうにかなるだろうしな」
嫌だと言うことをやらせるほど切羽詰まった状況でもないし、仮に失敗しても俺たちに害はない。ただちょっとここにきたのが無駄足になる程度で、俺たちが損をすることはないんだから無理に押し付けるよりも人員の気持ちを最優先にして考えるべきだろう。しかもその気持ちを考える相手が婆さんともなれば、なおさらだ。
「そうなると、坊の方の守りが薄くなるんじゃないかい?」
「まあそうだけど、俺の方はどうとでもなるさ」
多少の守りが減ったところで、俺はどうにかできるだけの力があると自負している。
まあ、その分警戒を強めていく必要があるけど、警戒自体は最初からする必要があるんだから、何も変わらないといえば変わらない。むしろ、気の緩みが減ってちょうどいいかもしれないとさえ思う。
「婆さんはそんな見た目してるけど、もう歳だろ。少しくらい気楽にやってもいいと思うぞ」
「……はんっ。言ってくれるじゃないか。でも、あたしのことなんて心配しなくてもいいんだよ。もう随分と生きたんだ。万が一死んだとしても悔いなんて……ああ、最近はちょっとばかし楽しくなってるから、ここで死んだら悔いは残るかねえ。坊がでかくなるまで見届けたいもんだしね。でもまあ、悔いのない人生なんてあるわけがないんだ。ここで死んだとしても、それはそれでいい人生だったと笑って死んでやるよ」
確かに、ここは敵国で、『死地』と呼んでも良いくらい危険な場所だ。
だから何かが起こって死んでもおかしくはない。だが、そんな婆さんの遺言みたいな言葉に思わず顔を顰めてしまう。
だが、当の婆さん本人は俺の変化を見てとったのか、ニッと自信に満ちた笑みを浮かべて言葉を続ける。
「そもそもの話、あたしはこんなところで死ぬつもりはないし、《変装》だってするつもりはないよ。嫌だと言っても、そこまでのことでもないもんだしねえ。だもんで、そこらの雑魚には負けるつもりはないよ。あの盾男と戦うことになったとしても、状況次第じゃあ余裕で倒せるだろうね。最低でも生き延びることはできるはずさ。だから、あんたはこんなババアのことなんて気にしないで進めばいいんだよ」
そう言われてしまえば、俺がそれ以上何か言えるはずもない。言えば、婆さんの思いや覚悟を台無しにするようなものだから。
だから俺は婆さんの言葉に頷く。
そして、頷きつつも婆さんが死なないように、みんなが危険にならないように、今回は全力で事にあたろうと改めて意志を固めた。
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