第490話パパと娘

 

「嫌いって、何でだ? 何かあったのか?」


 フローラは普段はこうして誰かを嫌うことはない。あったとしても、花園に買い物に来た乱暴で傲慢な客のことを冗談まじりで言うような可愛らしいもので、こんなにはっきりと嫌うことはない。


「わかんない。……わかんないけど、なんだか嫌な感じがするの」


 視線を正面から俺へと移したフローラは、心配して近づいた俺に手を伸ばして服を掴んできた。


 だが、その手も軽く掴むようなものではなく固く握りしめられている。


「嫌な感じ、か……。お前達はどうだ?」


 リリアはお腹が一杯な感覚と言っていたが、フローラは嫌な感じだという。

 俺にはそのどっちもわからないが、ソフィア達他の三人は何かわかるだろうか?


「わかりません。何もないように思えますが……」

「俺もだ」

「私もですけど、ちょっと他のエルフ達の様子を見てきます!」


 俺の問いかけにまともな答えを出すことができなかった三人だったが、身軽なベルはそう言って窓からとび出していった。


「ここにきて突然ってなると、あそこが原因か?」


 窓から出て行ったベルを見送って、俺は軽く息を吐き出すと馬車の進行方向——聖国の首都アルフレアへと顔を向けた。

 窓から顔を出さない状態では街の様子を見ることはできない。だが、わざわざ見ずともその様子を思い浮かべることはできる。

 何せ、あれだけ印象的だったのだ。今の状況では異常とも言って良いほど緑が生えている街。


 不自然に植物が生茂る異常と、存在に植物が関わっている者に出た異常。その二つが同時に起きたというのなら、そこには何らかの関係性があると考えるのは普通だろう。


「その可能性はあると思われます。リリアがお腹いっぱいと言っているということは、あそこは何かしらの特別な結界でも張られているのではないでしょうか? それによって内部と外部を遮断し、聖樹からの呪いを防いでいる。その結界に込められた力にあてられた、あるいは結界を壊すために他の場所よりも呪いが強められており、その余波を受けたのではないでしょうか?」

「あり得そうな話だけど、どっちも考えられるし、それ以外だとも考えられるな」


 ソフィアの言葉はもっともらしく思えるし、かなり説得力のあるものだけど、リリア達の感じている違和感が理解できない俺たちでは、具体的に何が起こっているのかを判断することはできない。

 判断するにしても、もう少し様子を見てからじゃないとだろう。最低でも、あそこで何が起こっているのか、どうしてあそこだけあんなに緑が多いのかがわからないと答えを出すことはできない。


「戻りました。全てを見てまわったわけではありませんが、どうやら他の場所でもエルフ達にはリリアと同じような症状が出ているようです」


 そうこうしているうちに窓から出て行ったベルが、出て行った時のように窓から戻ってきたが、どうやらエルフ達には似たような症状が出ているようだ。


「そうか。……普通の人間には何もなかったんだろ?」

「はい。異常を訴えていたのはエルフだけでした」


 なら、やっぱり植物関連の何かが起きている、って考えても良いだろうな。


「その中にフローラみたいな『嫌な感じ』って言ってる奴はいなかったのか?」

「うん。誰もそんなことは言ってなかったよ」


 カイルの問いかけにベルが答えるが、フローラはフローラでエルフ達とはまた違う何かがあるようだが、こっちはフローラだけに起こっているのか、聖樹だから起こっているのかわからない。

 でも、多分聖樹だから普通ではわからない何かがわかると考えるべきだろうな。


「そうなると、聖樹にしか感じ取れないほどの何かがある、ってことになるか」

「面倒な予感しかしないんだが……」


 俺の言葉を聞いて、カイルはいやそうに顔を顰めたけど、まあそうだろうな。聖樹のような力を持った存在が不快だと思うような訳のわからない何かがあるとなれば、これからその〝何か〟があると思われる場所に向かっている身としては思うところもあるだろう。


「もともとこっちに来ることが決まった時点で面倒が起こるのはわかってただろ」

「そうなんだけど……はあ。まあ現状では実際に見てみるしかねえよな」


 カイルはため息を吐き出すと、改めて聖都アルフレアの方へと顔を向けた。


 それに釣られるように俺も聖都へと顔を向けたが、すぐにフローラの方へと戻した。


「フローラ。嫌な感じって言ったけど、まだ大丈夫か? どうしてもだめなようなら、この辺で部隊を分けて待機させてもいいんだぞ?」

「ううん。だいじょーぶ。フローラは、あそこに行きたい。行かないとだめだと思うの」

「……そうか。なら連れて行くけど、無理はするな。何か辛いことがあったらすぐに言えよ」

「ありがとー。パパー」


 パパ、か。また珍しい呼び方をして……。


「何かあっても、俺がなんとかしてやる。お前は大事な娘なんだからな」


 そう言いながらフローラの頭を撫でてやったのだが、ソフィア達三人はそんな俺たちの様子を微笑ましげに見ていた。

 尚、『ママ』であるリリアは、何だか今にも吐き出しそうな声を漏らして呻き声をあげていたので、雰囲気ぶち壊しだった。




「——とりあえず、襲撃なんかはないっぽい感じだな」


 色々と準備を整えた俺達は、聖都につくと一旦その歩みを止め、軽く調査を受けることとなった。

 だが、調査といっても名ばかりなもので、実際には聖女様と勇者様が対応したことでこれと言ったことは何もなかった。

 犯罪者だから、なんて止められることはなく、むしろわざわざ騎士達を並べての歓迎を受けることとなった。


 その後は歓迎のために並んでいた騎士達が俺たちの馬車列の周りを取り囲み、聖都の内部へと進んでいく。


 もし俺たちを嵌めるためならこの時点で襲撃があってもおかしくないなとは思っていたんだが、今の所はそんな気配はない。どうやら今ここで襲うつもりはないようだ。

 まあ、ここじゃ人目があるしな。俺たちだって警戒しているし、襲うんだったらもっと内に招き入れて逃げられないようにしてからだろう。


「あんた、わかってるとは思うけど、油断なんかするんじゃないよ」


 先程止まった時にわざわざ自分の馬車からこちらへと移ってきた婆さんが俺に忠告をする。

 だが、そんなことは俺だって理解している。ここが敵地で、油断してはならないところだって。


「わかってるよ。婆さんこそ、まあ問題はないだろうけど油断はするなよ」


 むしろ婆さんの方が危険なんじゃないか、と思って忠告を口にしたが、言ってからそんな考えは消した。だって、この婆さんも第十位階なんだ。油断しているのならばどうなるかわからないけど、この婆さんに限ってそんなことはないだろう。

 何せあのカラカスでボスと呼ばれるまで成り上がり、その座を維持し続けてきたんだ。腹の読み合い、化かし合い、暗殺……。そういったものは俺なんかよりも圧倒的に上手く対処するだろう。


「誰にもの言ってんだい。こちとら無駄に長く生きてんだ。こんなしょうもないところでヘマなんてしないさ」


 実際、婆さんは上手くやり切る自信があるんだろう。俺の言葉なんて言われるまでもない、とばかりに鼻で笑いながら否定した。


「ならいいけど、そっちのことは任せていいんだな?」

「ああ。あたしゃあそのために来たんだからね。あたしが馬鹿どもの話に付き合って、あんたは異変の調査と威圧をする。それだけのことさ」


 今回主に話し合いをするのは婆さんの役割だ。

 俺も来ているけど、俺の役割は異変の調査と、国の象徴としてここに来ることだ。

 食糧支援の話や、それにまつわる協力体制。今後の付き合い方やその他諸々……そういった話は外務大臣である婆さんが行うことになっている。

 本来なら俺がやるべきなのかもしれないが、まあ俺じゃあ権力者同士の化かし合いなんて上手くやり切る自信はないからな。

 そんなんではダメだってのはわかるし、いずれは自分でできるようにならないといけないが、今回は婆さんがやることとなった。

 俺はそんな婆さんのやり方を見て、学び、自分の中に取り入れる。そうして成長していけばいい。


 ただ、戦うのとは違うから少し緊張するな。

 王様って言ってもカラカスの王だし、あそこは〝そういう場所〟だから最終的には暴力で何とかすることができる。それに、今回はこっちの方が食料を提供〝してあげる〟という上の立場なんだから負担は少ないだろう。奇襲、暗殺にさえ気をつけておけば、大きな失敗はしないと思う。


 とはいえ、それでも勝手が違うことになるのでどうしても緊張する。


「カルメナ様は、そのままのお姿でよろしいのでしょうか?」


 緊張を誤魔化すために小さく息を吐き出していると、ソフィアが婆さんに向かってそんなことを言った。


「ん? ああ、そうだね。そろそろ変えておくかね」

「変えておくって……」


 今の婆さんの姿は、まさに『婆さん』だ。年は七十後半か八十程度。

 そんな婆さんの姿がぐにゃりと歪んだ。

 どこかの魔法少女の変身シーンみたいに光に包まれたりすることはなく、ただ目の前で肉をこねるかのように歪んでいく様子はかなり気持ち悪い。


 だが、その変化も数秒と経たずに終わり、変化が終わった後には婆さんがいたところにまるで別人の若い女がいた。


「なんっ、だれ……いや、変装か?」


 そのあまりの変わり様に、俺は一瞬その女が誰なのかわからなかったが、そういえばこの婆さん《変装》のスキルを持っているんだった。

 姿そのものは変わっているが、服装は変わっていないし冷静に考えればわかることだった。

 だが、そう思いはしても、それでも迷ってしまうくらいに婆さんの変装は見事の一言に尽きた。


「そうだよ。この姿の方が、見てくれはいいだろう?」


 まあ、確かに婆さんと話をするよりも美人なお姉さんと話をしたほうが、交渉相手だっていい気分だろうし、油断もするだろう。

 でも……


「なんか、違和感がすごいな。似合ってねえ」


 美人だし似合ってないわけではないけど、なんというかババア姿の方が見慣れすぎて違和感しかない。

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