第481話飢饉の村

 よく耳をすましてみれば、小さいながらも話し声が聞こえてくるが、大きく笑ったり叫んだりという様子はない。


 しかし、それも事情を知っていれば当然だと理解できる。何せこの異常事態の中だ。わざわざ騒ぐ奴なんていないだろう。

 一応仕事をしている者達はいるし、話をしている者達もいるけど、その姿には活気なんてどこにもなく、ともすれば廃村のようにも思えてしまうほど村全体が静まり返っている。


 それでもまだ備蓄はあるのだろう。村の様子を見た限りでは、寂れており活気はないものの、全く人が見えないというほどでもないし、誰かが道端で死んでいるという様子もなく、たまにカラカスに漂っている『死』の気配も感じられない。


 だがそれも、あと一年は保たないだろう。聖国に異変が起こってからもう半年以上が経っている。早ければもう備蓄を使い果たしたものが出ていてもおかしくない。


 そんな村に泊まることに意味なんてあるのか、と思うが、食料はなくても水はあるし、情報収集や道具を補充したりはできる。

 なにより、どこかの拠点に集まっていれば、襲撃の危険も減る。


 もっとも、今のこの国では呪撃の心配なんていらないかもしれないけどな。何せ食べ物がないんだから魔物だって死んでるだろうし。

 盗賊の危険はあるけど、食べられなくて力は落ちてるだろうし、俺たちの敵じゃない。


 まあ、それでも行程の目安にはなるし、情報という意味でも役に立つので、俺たちはこれからも村を目安に進んでいくつもりだけど。


 だが、村に泊まるのはいいけど、俺たちみたいな武装をしたものが大人数で村の中に入っていくのは迷惑になる。なので、村の中には入らず近くに陣地を作って野営をすることになるのだが、それでも村の近くに留まる以上は村長に話を通しておかないといけない。


「——を……さい」

「ん?」


 そのため、その許可を取る使いを送って待っている間、俺は馬車に乗ってボケっと村のことを眺めていたのだが、不意に村から声が聞こえてきたような気がした。そして、その直後には何かを殴るか叩くか、なにかしらの暴力の音も聞こえてきた。


「どうされましたか?」

「いや……」


 俺が何かを感じ取ったのを察してソフィアが声をかけてきたが、俺はその言葉にろくに取り合うこともなく、意識を村へと集中させた。


 それは聞こえるか聞こえないかというような極々小さな声だったが、今みたいな状況だからだろう。かろうじて俺の耳に届いた。

 だがそれは、普通の村人達の話し声とは違ったように感じた。

 その声の主がどこにいるのか探すことにしたのだが、これが割とすぐに見つけることができた。


 そちらへと視線を向けると、ボロい服……というよりも布を身に纏った子供がふらふらと道を歩いていた。


「食べ物を、ください。すごくお腹が空いてて……パンのかけらでもいいんです」


 そして、その子供は民家のドアを叩き、先ほど聞こえてきた時と同じようにか細い声で言葉を紡いだ。

 だが……


「うるせえ! 食べ物なんて、こっちだって欲しいんだよ!」


 子供にドアを叩かれても反応しなかった家主だったが、その音が何度も続けば流石に無視し続けることはできなかったのだろう。

 怒鳴りながら乱暴にドアを開けて一人の男が姿を見せた。


 飢えた子供が、食べ物が欲しいと訴えてきたのなら、何かやるのが人情というものだろう。

 そんなことをせずに追い返すにしても、静かに追い返せばいいと思うし、そうするのが良識ある大人の対応というものだろう。


 だが、男は初めから喧嘩腰で怒鳴りながら出てきた。

 その様子はそばで見ていたら不快に感じるだろうが、そんな男を責めることはできない。それは俺だけの考えではなく村人全員の考えだろうし、そもそも責めるつもりもないだろう。

 何せ、男自身が言ったように、今は食べるものがないのだから。


 今は他人にあげている場合ではなく、明日の食べ物さえどうしようと悩むような状態だ。

 こんな状態にしてしまった国に対する不満があっただろう。これから死ぬかもしれないという未来に対する不安もあっただろう。

 そんな時に、ただでさえ少ない食料——命を分けろと言ってくる他人がやってきたら、不機嫌になるだろうし、怒鳴って追い返そうとするだろう。


「捨てるものでも……腐りかけでもいいんです。どうか食べ物を……」

「気色悪いな。失せろクソガキッ!」


 怒鳴られた子供はビクリと体を震わせたが、それでも挫けることなく再び食べ物を求めて男へと声をかけた。

 だが、そんな言葉が余計に男を苛立たせたようで、男は目の前で食べ物を乞う子供へと足を放ち、蹴り上げた。


 蹴られた子供は宙を浮き、数メートルほど飛ばされた。

 その結果を見るなり、男はフンっと鼻を鳴らすと家の中へと戻っていった。


「カビが生えていたっていいんです。だから、どうか……」


 それでも子供はへこたれず、よろよろと立ち上がり隣の家のドアを叩いて同じように食べ物を乞い始めた。


「やあねえ〜……。あんなのがうろつき始めるなんて、ほんとどうなるのかしら」


 道端に集まっていた主婦達はそんな子供の様子を見ていたようで、その口から悪意の言葉を吐き出す。

 そんな声は子供にも聞こえているだろう。だがそちらを向くことなく、ただひたすらに食べ物を求めて彷徨い続けている。


 俺は村と子供から視線を外し、目を瞑る。


 飢えて大変なのはわかっているし、誰かを助けるために自分の食料を与えろなんてことは言わない。

 けど、それでもああして自分が満足するために意味のない悪意を吐き出すのは、どう見ても『いいもの』だとは思えない。

 カラカスで暮らしているんだから、そんなことは分かりきっていた。それが人間なんだってのは理解できていた。

 それ以外にも、王都に行ったり旅をしたりしたことで、人間なんてそんなもんだと理解したつもりだった。


 でも、期待していたわけではないけど、『聖国』だなんて大層な名前がついているにもかかわらずああいう汚い部分を見せつけられると、結局はどこだろうと人間なんて変わらないんだと無理矢理にでも理解させられる。


「人なんて、やっぱりそんなにいいものじゃないよな」

「え? 何が? 悪い人でもいたの?」


 俺が人間のことを〝いいものじゃない〟と言ったからか、リリア欠伸をしながら反応してきた。

 お前今まで寝てたんだからまだ寝てろよ。起きなくていいよ。


「悪い人なんてどこにでもいるし、ここにもたくさんいるだろ」


 この『聖女様』のことだ。どうせ村の光景を見せれば、またきっと「治してあげなきゃ」なんて言って出ていくだろう。

 そして、お腹が空いているんだったら、って言って俺たちの食糧を分けたり、俺に用意しろって言ったりしてくるだろう。あるいは、断れば自分がどうにかすると言って勝手にどこかにいくかもしれない。


 その思いや誰かのために動く行いを尊いとは思うが、今の状況でそれをやられると困るので何も教えないで黙っておくために、適当に冗談めかしながら誤魔化すことにした。


「そうね! 何せわたし達は『魔王軍』だもんね! わたし達こそ天下一の『悪』よ!」

「別に軍として行動してるわけじゃないし、下手に聞かれて誤解されても面倒だから黙ってろ」


 千人程度では軍とは言い難い気もするが、それでも敵を攻撃することはできるし、俺たちにそのつもりがあるんだと思われたら面倒なことになる。

 それに、俺たちのことはカラカス所属だとは民には知らせていない。そんな中で俺が魔王だなんてバレたら騒ぎになるかもしれない。

 だから下手なことは言わずにいるべきなんだが、どうにもこのアホは何も理解していないらしいが……まあそれがこいつだと言われればそれまでだ。


「と言うか、やることないし飯の時間でもないんだから、まだ寝とけ」

「うむがあっ!」


 リリアの顔面にクッションを押し付けてやると、何やら文句を言っていた感じだが、最終的には抵抗をやめて大人しく横になった。


 これで大人しくなったな。寝起きでまたすぐに寝られるのはすごいと思うが、よく寝られるなと呆れも感じる。でもまあ、これでこいつが村のことを見て騒ぐことはないだろうし、後はしばらく放置でいいだろう。


 ……それにしても、飢えか。俺なら、どうにかできるんじゃないだろうか? 


 そんなことをする義理はないし、必要もない。それに、ここで手を出したところで全体から見れば些細なことで、大した意味もないだろう。だからやる意味もない。

 むしろ、手を出すことで面倒が起こる可能性がある。もっと寄越せ、もっと用意できないのか、ってな。

 一度助けたんだから二度目三度目を期待されることはあるだろう。気まぐれだとしても、俺が手を貸したことで向こうが勝手に連帯感のようなものを感じて、それを俺たちにも押し付けてくるかもしれない。俺達は仲間だろ、同盟だろ、協力し合うべきじゃないのか! ってな。

 実際には同盟でも仲間でもなんでもなく、ただの取引相手でしかないけど、理屈や事実と感情は別物だ。手を貸したんだからもう仲間で、次からも手を貸すべきだ、なんて自分勝手に思い込む可能性は十分に考えられるのが人間だ。


 それに加えて、俺が勝手に食べ物を与えてここの奴らを救ったところで、聖国の寿命が伸びるだけだ。そしてその分だけこっちが不利になる。不利と言っても些細なもので、頑張っても数日寿命が伸びる程度だろうが、その数日が邪魔になることだって考えられる。


 だから、色々と合わせて考えると、俺はここで手を出さずに無視したほうがいい。


 でも……


「スキルを使うおつもりですか?」


 自分の手のひらに視線を落としながら考え事をしていると、不意に声がかけられた。

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