第482話飢えた子供
「ソフィア……。いや、そんなつもりはない。ここで赤の他人を一人助けたところで飢えなんてなくなるものじゃないし、一人じゃなくてこの村一つを救ったところで同じだ。そもそも、根本的な原因を消さない限り、いくらスキルで食べ物を作ったところで数日とたたずにかれると思うし、やっぱり意味なんてないだろ」
「そうですか。ヴェスナー様がそれでよろしいのでしたら、ご随意に」
なんだか、含みのある言い方だな。
その言葉は俺の考えを肯定しているようで、でも否定しているようにも聞こえた。
それは、俺の考えを咎めているのだろうか?
そう思い、問い返そうとしてみたが、そうして見上げたソフィアの瞳は真っ直ぐに俺のことを見据えており、思わず言葉を発するのを止めてしまった。
ソフィアは、何を考えて言ったんだろうか?
……いや、話すか。こんなふうに考えていたところで本当はどう思っているのかなんてわからないし、お互いの考えを話し合って、思いを伝え合うのが大事なんだって学んだんだから。
カラカス所属の者からすれば、自分の考えを隠すことなく話すだなんて弱音を吐いているとか、弱点を曝け出しているようにも感じるかもしれないし、腑抜けているように思われるかもしれない。
でも、ソフィアは仲間で、この場にいるカイルもベルも仲間だ。弱音ととられたところで構わないし、本当に弱音だったとしてもこいつらになら吐いていいんだ。
だから、ちゃんと言葉にしよう。俺がどう考えているのか、どう思っているのかを。
「……実のところは、助けてやってもいいとは思ってるんだ。でも、今言った理由は完全な嘘じゃない。人を一人、村を一つ救ったところでなんになる。ここは救ったのに他は救わないなんて、そんなの偽善だろ。ただその場かぎりの自己満足だ」
俺が助けたところで、一時凌ぎにしかならない。むしろ、一度助かって空腹を満たしたことで、再び辛い状況を味わうことになってしまうが、その辛さは以前よりも強く大きなものになるだろう。その絶望は如何程のものなのか、想像することも難しい。
だったら、最初から助けない方が思いやりというものではないだろうかとも思うのだ。
「偽善でも構わないではないですか。誰かの意見など気にせず、やりたいようになされば良いのです」
やりたいように、か。なら俺は……
「ヴェスナー様。本日はこの村に泊まりますが、申し訳ありませんがあまり村には近寄らないでいただけますか?」
そんなふうに話をしていると不意に馬車のドアが叩かれ、村長との話し合いは終わったのか、カノンからそんな言葉をかけられた。
窓から顔を覗かせると、そこにはカノンの他にも勇者とダラドとリナ……まあ勇者様御一行が揃っていた。
だが、勇者は話すつもりはないのか少し難しい顔をしながらこちらを見つつも、一歩引いて黙って待っている。
カノンは魔王ではなくヴェスナー様だなんて呼んでいるが、それはここが聖国だから。こんなただでさえ飢えて危険な状態なのに、魔王がやってきたとなったらパニックになるだろうということで俺の呼び方を変えることとなったのだが、そこには友好さのかけらも込められていない。
当たり前といえば当たり前なんだけど、こうも敵意や悪意を込められて名前を呼ばれるのは初めてなので、割と貴重な体験だ。
「……理由は村の状態か?」
「ええ、まあ。お目汚しになりますし、今は村人達も気が立っているでしょうから、それが原因で無用な混乱を起こる可能性はございます。ご迷惑をおかけするわけにも参りませんので、村には近寄らずにいただきたいのです」
「まあそれは構わないが……そんな余所者が来ただけで問題が起きると思うほど状況は悪いのか?」
先ほどの様子を見る限りひどいというのは聞くまでもなくわかっているが、それでもあれは村人が相手だったから、孤児が相手だったからあんな対応だっただけで、外の人間ならもっと普通でいられるんじゃないだろうか?
外の人間に対しては普通の対応だったとしても、あの村の住民達の本質はカラカスの者達と同じものだという事実は変わりようがない。
だが、それでも普通に対応できるのならまだそれなりに食料事情には余裕はあるはずだ。
そう思い、今の状況を知るための情報収集としてカノンへ尋ねてみた。
「異変が起き始めたのは半年ほど前ですので、まだ収穫が行われる前のものの半数近くが被害を受けました。全体的にまだ備蓄にはある程度残っているでしょうけれど、この状況を見て皆余計な消費を抑えようと溜め込み、裕福なものは買い漁っています。そうなると末端には行き渡らない場合も出てきますので、あまり流通がなく自分たちの生産した分で賄っている場所ですと……」
「表立ってはいないけど、すでに餓死者が出始めてる、か」
「はい」
この村ではまだそこまで悲壮感漂っている感じではないから餓死者なんて出ていないのかもしれないけど、それはここはまだマシな方、ってだけなんだろう。
だが、それでも限界に近いことは確かで、今後なにが起こるかはわからない。俺達が原因で刺激してしまい、感情が暴発する可能性は十分に考えられることだ。
「まあいい。理由はわかった。ここにいる間は、あまり村には近寄らないようにしよう」
俺としてもあまり問題は起こしたくないので、特に村に行かなくてはならないという用事もないためにカノンの言葉に頷くことにした。
そんな俺の返事を聞いたカノンは、心なしかホッとした様子を見せて頷き、感謝の言葉を口にした。
「ありがとうございます」
「出発は明日で——」
「あっ!」
カノンからの感謝を聞いた俺は、今後の予定について話そうとしたのだが、その言葉は勇者が突然あげた驚いたような声を聞いたことで止めてしまった。
「なんだ勇者。何か——」
「食べ物をください」
何かあるのか。勇者の見ている視線の先を追いかけながらそう問いかけようとした俺だったが、先ほどに引き続きその言葉も止めてしまうことになった。
食べ物をください。勇者が顔を向ける先でそう言った言葉の主は、先ほどの何度も断られ、蹴られていた子供だった。
「おなかが、空いているんです。もう何日もたべてなくて……パンのひと切れでもいいんです」
それは俺やカノンにかけられた言葉ではないし、勇者に向けられたものでもない。そもそも俺たちの周りには護衛がいるんだから、そうそう近づけるわけがないのだ。
だが、俺たちは護衛されているといっても、その護衛の最外周に位置している者達に近寄ることはできるし、声をかけることはできる。
普通ならそんなか細い声は聞こえないが、それでも俺達は高位階で、俺に至っては第十位階だ。多少周りが騒がしかったが、勇者の声によって意識を向けた状態ならば聞き取ることはできた。
それまで俺と話していたカノンは、勇者が声をあげ、俺が言葉を止めた理由を確認するために顔を動かし、子供の姿を認めると、わずかながら顔を顰めて小さく舌打ちした。
その舌打ちは口の中だけで行われた、聞こえるか聞こえないかの本当に小さなものだった。だが、それでもこの距離ならば聞き取ることができた。
「……申し訳ありません。少々失礼いたします」
しかしながら、そんな舌打ちの音は俺には聞こえていないと思ったのだろう。あるいは自分自身でさえした事を認識していない無意識だったのかもしれないが、なんにしても、カノンは舌打ちについては何にも話す事なく俺たちへと振り返り、申し訳なさそうな顔で頭を下げてくきた。
そして、頭を上げると足早にその子供と、騎士たちの元へと向かっていった。
「去りなさい。飢えているのはわかりますが、この方は総教主様の御客人です」
子供に対して厳しい言葉ではあるが、それでもまだ柔らかく行った方なのだろう。実際、一国の王様に対しての行いだと考えれば、そもそも近づいた時点で斬られてもおかしくないし、そこまでされなかったとしても殴って追い返されたか捕まるかしたはずだ。
普段のカノンであれば、多分だが殺しておしまいだっただろう。これまで接してきた感じからすると、この女はそれをするだけの冷酷さを持ち合わせているはずだ。
それでもカノンがそんな穏便と言える終わらせ方をしようとしたのは、俺がいるからだろう。あるいは、勇者がいるからかもしれないが、まあその辺はどっちでもいい。
相手がどんな人物であれ、目の前で生き物が……特に同族である人間が死ぬのを見て喜ぶものはいないからな。もし喜ぶような奴がいたとしたら、それはもう『人間』ではなくただの人の形をした化け物だ。
「カノン。子供相手にそんなきつく言わなくても……」
だが、そんな穏便に終わらせようとしたカノンの言葉が気に入らなかったようで、勇者はカノンの方に手を置いて諌めるように言葉を発したが……
「いいえユウキ。子供相手であろうと、はっきりと言うべきことは言わなければなりません。ましてやそれが自国内で収まることではなく、他国の要人を巻き込んだことになるとなれば、言わないわけには参りません」
カノンは勇者の言葉に首を振って出来の悪い子供を諭すように告げた。
だが、実際カノンの言う通りではあるのだ。
「本来であれば、ここまでやってきて我々に話しかけた時点で首を飛ばされてもおかしくない状況なのです」
そう言われてしまうと、勇者としても何も言えないのか悔しげに黙り込んでしまった。
ここで言い返し、強引にでも助けようとするのが『勇者様』ってもんじゃないのかと思ったが、この勇者は何も言わない。
それは半端に世間を知っていて、政治も欠片くらいは理解しているからだろう。だからカノンの言葉が理解できるし、自分が間違っているのだと思えてしまう。
あるいは、もしかしたら俺を強引にこっちに連れてくる提案をしたことや、あの場での振る舞いを見て、説教でもされたのかもしれないな。それも、カノンではなく、もっと『上』のやつに。俺たちのことを聖国の上司に伝えただろうし、その時に何か言われていたとしてもおかしくない。
「もう一度言います。去るのです」
そんな様子を見て満足したのか、カノンは再び子供へと顔を向けると、冷たく言い放った。
子供はそれ以上ここにいても無意味だと理解したのか、何も言うことなくとぼとぼと離れていった。
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