第451話ソフィアとヴェスナー

『人形』にならないで。

 それがかつて『人形』であったソフィアからの願いだった。


 俺はそんな言葉にどう答えればいいのかわからず、ただ黙っていることしかできない。


 だが、ソフィアは言いすぎたと思ったのか、ハッとしたように目を見開くと申し訳なさそうに、そして仕方なさそうに、どこか哀愁の漂う表情を浮かべた。


「——ですが、それでも貴方は変わりたいと願うのでしょう?」

「……ああ」


 ソフィアの言った「人形にならないで」という言葉を聞いた上でも尚、頷いてもいいものなのか一瞬迷った。

 正直、その言葉は正しいとも感じたのだ。


 わがまま、自分勝手、傲慢というのは、言い換えれば『個性』だ。自身の意思を外へと吐き出すからこそ個性が生まれ、その人〝らしさ〟というものができる。それが人間だ。その個性の違いがあるからこそ人間らしいと言える。


 そんな個性を封じて、人を慮ってばかりのことをしていれば、個性を失う事になるだろう。

 それは人間らしいとはいえず、ソフィアの言ったように人形という言葉の方がしっくりくる存在だ。


 だがそれでも、俺が今までのままではダメなんだと思ったのは事実だ。

 他人のことばかりを考える『人形』にはならなかったとしても、自分のことばかりを考えているだけでは、いつか破綻する。

 自身の中にある全ての傲慢さを捨てる必要はないのかもしれない。でも、今の状態は傲慢が過ぎるんじゃないだろうか。


 俺はそう感じたからこそ迷ったのだが、それでも頷いた。

 全てを変える必要がないんだとしても、変わりたいと願ったのは確かだから。


「そう、ですか。……では、一つ助言をさせていただきます」


 ソフィアはそう言うと立ち上がり、俺と目線を合わせると、俺の手を取って両手で包み込むようにしてから口を開いた。


「ヴェスナー様は変わりたいとおっしゃられていますが、いくら変わろうとしたところで、生まれ持った性質や、すでに形成された人格はそう簡単に変わらないものです。無駄とはいいませんが、ご自身が思っていたように変わることは難しいでしょう」


 助言を、という言葉と纏う雰囲気から、それなりに厳しいことを言われるかもしれないとは思ったが、まさかそんなことを言われるとは思いもしなかった。


 ソフィアの言葉に驚く俺をよそに、ソフィアはさらに言葉を続ける。


「それに、変わったところで価値観の違いなんて自分と他者の間では必ず生じるものです。それをご理解ください。理解せず、相手が不快になったのは自分のせいだ、などとふざけた事はお考えにならないでください」

「……でも、相手に拒絶されたら? 俺だって万人と仲良くなれるとは思ってないし、そうするつもりもない。でも……親しい相手に拒絶されたとなったら、それは俺に何か——」

「相手が自分の想像していた通りでなければ拒絶するなどという事は子どものすることです。大事なのは、相手に合わせることではなく、相手を受け入れ、相手に受け入れさせる事です。自分だけが変わったところで、何も変わりません。あなたが望むような変化は訪れることはないでしょう。まずは相手を理解し、自分を理解させるところから始めましょう」


 最後に笑いかけられながらのその言葉は、なんだかとてつもない安心感が感じられた。

 なんでそう感じたのかはわからないけど、それでも、心にまとわりついていた重りが消え去ったような、そんな安らぎのようなものがある。


「自分を理解させる、か」

「はい。差し当たってはお話をするところから始めましょう。何が好きで何が嫌いで、何がしたくて何をしたくないのか。私達はそういう関係ではなかったといえばそれまでですし、する必要がないほどにお互いのことを知っていたと言えますが、それでも、言葉にしなければそれが真に伝わる事はあり得ません。人は、言葉を交わす生き物なのですから」


 今までは迷いながら自分なりに答えを出したが、それは答えを出さなければならないという強迫観念から強引に出した答えだったように思う。

 でも、こうしてソフィアに言われたことで、正しい道はこっちなんだと思えた。


「……凄い奴が女に溺れる理由が、少しわかった気がする」


 突然の俺の言葉にソフィアは首を傾げたが、俺は握られていた手を握り返しながら心の内を吐き出すために言葉を紡ぐ。


「溺れるのって、凄い楽なんだな」


 どんなに凄いやつでも、ずっと動き続けて疲れないわけがない。

 だから女に溺れるんだ。そうしている間は、辛いことなんて起こらないから。


「私に溺れてくださいますか?」


 俺に向けられた慈愛の込められた眼差しと言葉。

 それを聞いた瞬間、俺は何を言われているのかわからなかった。

 だが数秒もすれば、その言葉が本当に指している意味を理解できた。


 ソフィアの言葉は、今みたいに頼りにしたり内心を吐き出してほしい、なんて意味じゃなく、もっと違う意味。


 それは慈愛の中に込められた緊張の様子、それから月明かりの暗い中でもわかるほど赤くなっている顔を見ればすぐに分かった。


 その言葉の意味を知って、想いを知って、俺はどう答えるべきか迷い、口を開いたり閉じたりを繰り返すという無様な姿を晒すこととなった。


 そして迷い、悩んだ末に……


「……いや、溺れてばっかりだとカッコ悪いからな。たまに、機会があったら寄りかかるくらいにしておくよ」

「……そう、ですか」

「だから、その……寄りかかりたくなったらいつでも寄りかかれるように、これからもそばにいてほしい」


 自分の想いすらはっきりと伝えられないようなヘタレだけど、今はまだ、これくらいで許して欲しい。


「はい。いつまでもお側にいます」


 そうして俺とソフィアは見つめあって——


「ババーン!」


 ……なんか変な掛け声と共に勢いよく扉が開いた。


 あまりに突然の出来事に、俺もソフィアも反射的に手を離し、それぞれの武器に手を伸ばした。


 だが、玉座の間を乱暴に開いた馬鹿者の姿を見て、武器に伸ばしていた手を下ろした。


「……何しにきた?」


 なんかこれからいい感じのあれこれが起こりそうな雰囲気してたところに、こんなバカみたいな登場をした馬鹿者——リリアのことを、表情を歪めながら睨みつけ、問いかけた。


「あーっ! そんなこと言っていいんだ〜? フローラが呼んだから、せ〜っかくわたしがきてあげたのに」

「フローラが?」


 睨まれたリリアは、そんな視線を向けられたことで不満そうに文句を言ってきた。


「そーだよー!」


 名前を呼ばれたフローラは、いつものように依代の体を脱ぎ捨てて裸で宙に出現した。


 なんか、さっきまでのソフィアとの話があるだけに、こうして目の前で裸の女がいるというのは、なんというか、落ち着かない。速攻で浮気してる気分になる気がするけど……気のせいだろう。まだ結婚しているどころか付き合ってるわけでもないし、フローラはあくまでも娘だし、多分大丈夫なはずだ。


「ナーがなんだか寂しそうだったからー、ママを呼んであげたのー」


 この状況でソフィア以外の相手を『ママ』と呼ばれると、本当に浮気してるっぽく感じるよな。不思議だ。全然そんな関係じゃないし、そんな事実もないのに。


「……ありがとうな、フローラ。でも大丈夫だ。もう問題は解決……すると思うから」


「な〜に? あんたなんか問題でもあんの?」

「まあな」

「ふ〜ん。……あ、わかったわっ! あんたあれでしょ。今日の演説の時に、もっといい言葉があったんじゃないかとか、そんなことで悩んでるんでしょ? そうよねぇ。あんた演説ヘッタクソだったもんねぇ。もっといい言葉とか、みんなに人気が出るようなセリフとか行動とか、もっといっぱいあったでしょうにね〜。わたしを呼んでくれればいっくらでもそういうの教えてあげたのに。まあもう終わっちゃったし〜? 今更頼んだところで遅いんだからね!」


 ……確かに、俺の演説は王様としては及第点だろう。もっといい感じの言葉回しとか、市民達の心に響く言葉だってあったことだろう。

 リリアだったら四六時中バカなことばっかり考えているおかげで、そういったセリフを考えるのはうまい……のかもしれない。


 でもいらない。


「お前の教えなんていらねえから、もう部屋に帰れ」

「じゃあなに悩んでたのよ。話してみなさい。そうしたら戻ってあげてもいいって思わなくもないかもしれないわ!」


 それ、絶対に戻らねえやつの言葉だろ。

 ……でも、考えに整理をつけるためにも、リリアに話してみるのもいいかもしれないな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る