第424話侍女:逃げた先で
——◆◇◆◇——
・ロナ
「なんなのよ、あれはっ! あんなの聞いてないってのよ!」
私は今、森の中を全力で駆け抜けていた。
つい昨日までは元ザヴィートの王女であり、現南部連合軍総指揮官である女の侍女として働いていた。侍女と言っても、普通に身の回りのことをするだけではなく、『裏』の部隊のまとめ役もやっていたけれど。
でも、それは昨日までの話。もっと正確に言うなら、つい数時間前までの話ね。今はもう違う。だって、今の私はあのお姫様を見捨てて逃げ出してきたんだもの。
戦争から逃げ出すなんて認められていることではないけれど、そんなことは私には関係ない。だって、私は聖国所属の者だもの。あんな奴らを見捨てて逃げたところで、罪に問われるわけがない。
まあそもそも、罪に問えるような者なんて残っていないと思うけれどね。いたとしても、ただの侍女である私のことなんて認識していないか、あるいは死んだと思ってることでしょう。
私は聖国からの指示でザヴィートに潜入していた密偵の一人だった。
本来ならばただの侍女として監視を続けて、定期的に城やザヴィートの状況を報告するだけの役割だった。
でも、潜入しているとはいえ、あのお姫様のそばでの生活も悪いものではなかった。贅沢して暮らせていたし、ある程度は幅を利かせることもできた。だから、このままあの思い上がったお姫様の侍女として生きるのも悪くないと思っていた。
——でも、それも自身の身が安全ならばの話。
あのお姫様が南部へと送られたことで事情が変わった。
南部へと送られたザヴィートの姫は、お世辞にも『良い王族』とはいえないほどに傲慢な性格をしており、それを利用してザヴィートに混乱をもたらそうとした。
なんでそんなことをしようと思ったのか、その理由なんて知らない。そんなのは私みたいな下っ端が考えることではなく、上が考えることだもの。私はただ命じられた仕事をこなしていればよかった。
もっとも、想像することはできるけれどね。
おそらく、聖国はザヴィートの弱体化を狙ったんでしょう。聖国は宗教的には周辺国家の中心にいたけれど、武力ではそうはいかなかった。言うことを聞かせられないザヴィートは、目の上のたんこぶだったことでしょうから。
だからどうにかしてその力を削ぎたかった、という上の思惑は、いくら下っ端といえど裏に所属する以上は知っている。
『八天』。そう呼ばれる第十位階の集団は、今でこそその数を減らしているけれど、それはイレギュラーな出来事。本来ならば、この集団はいつまでも王国に居続けて周辺の国々からザヴィートを守ったことでしょう。この者たちをどうにかしなければ、聖国も攻めようがなかった。
その排除の方法として、お姫様を動かして八天の数を削ってもらう予定だったんじゃないかと予想している。
結局、私達が動き出す前に反乱が起こってザヴィートは弱体化したけれど、あのお姫様をもう止めることはできなかった。
それに、せっかくなら領土も、と聖国の者達も欲をかいた。
だから私は、あのお姫様の自尊心をくすぐり、野心を掻き立てた。
その結果が南部の統一と、ザヴィートへの侵攻。
流石に南部全ての民を動かせば、その数から甚大な被害が出ることだろうと私は考えていた。
けれど、それももうおしまい。
もう無理、もうあんな化け物達を相手してられない。
確かに戦争の話は聞いていた。カラカスのクズどももなかなかやるようだと言うのはわかっていた。けれど、あれはないでしょ!?
今回の戦いで勝ったのならば私も喜んでお姫様のそばにいたことでしょう。でも、実際には負けた。それも、圧倒的と言っていいほどの大負け。
味方の軍はあっさりと負け、戦場は焼かれ、毒もまかれ、ついにはお姫様への接近を許してしまった。
まあ、毒を受けた時点でまずいと思ってお姫様を見捨てて逃げ出したから、実際に接近されたかはわからないけれど、逃げながら見えた感じではお姫様が戦ってた様子だから会ったんでしょうね。
「あんなところにいられないわ。さっさと帰って上司に報告しちゃいましょう」
寄生樹に操られた者達がフラつきながら他のものへと襲いかかる光景を見て、怖気が走った。
今まで私も寄生樹を使ったことはあるけど、もし負ければ、自分も〝あれ〟の仲間になるのかと思うと、思わず後退りしてしまった。
それをどうにかするために火を放てば、今度はその火を消すことができなくなって地獄絵図。
しかも、最後にはあんな訳のわからない化け物が現れるし……。
今更だけど、あの近くにいたお姫様は巻き込まれて死んでることでしょうね。いくら何十万という数を操れるような者だとしても、あんな化け物に勝てるわけがないもの。
まあそんな化け物も最終的には倒されたけれどね。
空から降り注いだあれはきっと、例のエルフの女王でしょう。魔王と間違えられるような存在なら、あの程度のことはできても不思議ではない。まあ、脅威度が増したことは喜べないことでしょうけど。
それでも敵の戦力の一端が把握できただけでも十分に収穫と言えるでしょう。カラカスは、派手に動いているくせに、その力の内容が全くといっていいほど分からないものね。
何かをした、どんなことが起こった。その程度はわかるけれど、誰が何をどうした、というのはさっぱり。今回のお姫様は、その辺の確認もあったんじゃないかしら?
まあ、実際にわかったかどうかは怪しいけど。何せ、そばで見ていた私だって何が起こったのかわからなかったのよ? 精々、各種魔法の専属部隊が揃ってると言うことくらい。あのお姫様と話していた『魔王部隊』ね。普通なら希少な魔法師だけれど、まああの街ならば揃えることはできるでしょう。
それにしても……遠い。
本当なら、逃げることになったら近くに配置してある仲間と合流する手筈になっているけれど、その場所がとても遠くに感じる。
一応先に簡単な報告は送っておいたけど、その時に迎えをよこすようにいっておけばよかったかもしれない。
最初から配置しておけば良かったのだけど、カラカス周辺は、どういうわけか人を潜ませてもすぐに見つかってしまうため、街の周辺に人を配置することはできなかった。
精々がとっても遠くにある岩山の上から見たり、街の中に一般人として入り込むくらい。
でも、街の中の潜入だと、これもどういうわけか正体に気付かれてしまうことも多々あった。
運良くカラカスの網から逃れることができたとしても、派手な動きなんてできないし、外での戦いの様子は見ることができず、敵の戦力なんてまるっきりわからない。私と合流して逃げるだなんてもってのほか。
だから、仕方なく遠くに設定した地点まで行って合流するしかないんだけど……そこまでの距離がとても遠くに感じる。
その上、なんだかわからないけど全身が痒い。特に目と鼻が異常に痒くて仕方がない。痒みのせいか、涙と鼻水が止まらないのが煩わしい。
きっと、最後に逃げる前にばら撒かれた毒のせいなんでしょうけど、毒に耐性を持ってる『裏』の人間である私に効くような毒だなんて、なんて凶悪なものを持ってるのよ。流石は犯罪者どもと言うべきなのかしらね。
できることならその毒も持ち帰りたかった。そうすれば、ザヴィートを攻めるという作戦は失敗したとしても点数を稼ぐことができるから。まあ、無理だったわけだけど。
……でも、改めて考えてみると、今後もあんな場所を相手にするつもりなら、今後の立ち位置なんて気にしてないで私は抜けたほうがいいような気がするわ。だって、いくら命があっても足りないもの。……いえ、命自体は一つあれば十分でしょうね。だって死ぬことはないんだもの。その代わり、命を失うことはないけれど、体が壊れるまで寄生樹の苗床になる。そんなの死んでもごめんよ。
幸い、あのお姫様の所にいた時に、事あるごとに金を抜いておいたから結構な額が溜まっている。それを使えば、死ぬまでそれなりに裕福な暮らしをすることができるはず。
回収するためにもう一度ザヴィートと南部に行かなくちゃいけないけど、毎回持って移動するわけにはいかないので仕方なかった。
それに、そんな大金を聖国に持って帰れば、難癖をつけられて奪われたり、私が抜けた後に資金の差し押さえを受けたりするかもしれない。何せ、これでも暗部の所属だもの。そう簡単に抜けさせてくれるとは思っていない。
なんにしても、今は仲間と合流して、この毒を完全に除去しないと。それから聖国に戻って色々と報告して、ひとまずの安全を確保する。やめる、あるいは逃げるにしてもそれからね。
「っ——!?」
と、そこまで考えたところで、ふと足の裏の感触がなくなり、浮遊感が感じられた。
「——っ!!」
なんなのよ。そう叫ぼうと思ったのに、声が出なかった。
いえ、声は多分出ている。口は動いているし、喉だって普通に話している時と変わらない感触がしているもの。
でも、発したはずの声だけが聞こえなかった。
発っしているのに声が聞こえないのは、本当に聞こえていないからなのか、それとも私が声を出せていると錯覚しているだけで実際には声を出せていないのか……。
つまり、今はそういう状況なんでしょうね。
周りを見渡してみるけれど、何も見えない。全くの暗闇で、見えるのは自分の体だけ。
でも、体が見えるってことは、ここは現実ではない可能性が高い。だって、自分の体が見えるくらい明るいのなら、周囲を見ることができるはずだもの。にもかかわらず見えないのは、それが現実ではないから。
どんな方法で罠にかけたのかはさっぱりわからないけれど、おそらくは幻覚の類じゃないかと思う。
どこの誰がなんの目的があってどうしたのかはわからない。状況から考えるとカラカスの者達が仕掛けた罠か、あるいは知らない間に追っ手がかけられていた可能性が考えられる。
けど、追っ手はないと思う。なぜなら、こんな半端なところで捕らえる意味がないから。捕まえるにしても、仲間と合流してからか、する直前でいいはず。にもかかわらず今ということは、追っ手ではなく、なんらかの罠にかかった可能性の方が高い。
これが罠なら、罠にかかったことを知らせるために報せる機能が備わっているか、定期的な巡回があるかのどっちかがある可能性がある。
その場合、このまま罠にかかったままでは簡単に捕まってしまうことになる。それは避けないと。
じゃないと、私が敵だということはすぐにわかるでしょうし、最悪の場合はあの寄生樹の苗床の仲間入りになってしまう。
どうにかして自力でこの幻覚から抜け出さないと。
そう思い改めて状況を確認するために周囲を見回してみると、微かだけれど遠くに何か気配を感じた。
幻覚の中で気配だなんて不思議だけれど、他に手がかりがあるわけでもないし、ひとまずそっちへと向かっていくことにした。
けど、そうして移動した先では、ありえない光景が広がっていた。
なに……あれ……。
暗闇の中でその姿だけがはっきり浮かび上がる大きな樹。でも、葉は半分ほどなくなり、残っているものも黄色く変色しかけている。その姿は枯れかけていると言っていいような有り様だった。
けど、私が驚いたのはそこじゃない。そんなどうでもいいことじゃなくって、その下。樹を支えている地面の方。
地面、だなんて呼んでいいかもわからないそれは、人の体でできていた。
正確には人だけじゃない。獣や鳥や魚なんかの生き物全てが積み重なり、その上に樹が立っている。
地面となっている者達に共通点は見られないけれど、一つだけ挙げるとしたら、皆干からびているということ。
ちょっと待ってよ。あれって……なんでこんなところに……?
そんな死体の山の中で、見知った顔を発見することができた。
見知った、と言っても、それは私からの一方的なもので、向こうは私のことなんて知らないでしょうけど。
その相手とは……ザヴィートの国王。
いえ、もう〝元〟国王ね。けど、その元国王が、どういうわけかこんなところにいる。
行方がわからなくなったはずの元国王は、他の死体達とは違って、樹に半分体を埋め込ませており、樹に直接取り込まれているような、そんな風に見える。
……もしかして、これは……幻覚じゃない? だって、幻覚だったらあんな国王の姿なんて出す必要はないもの。
でも、じゃあこれは何? 私が見ているこれはなんなの?
もしかして、これは現実なの? ここは、なんらかの特殊な空間で、罠でもなんでもない。ただ迷い込んだ者をあの樹が取り込む?
それじゃあ私は……あ。ちょっとまっ——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます