第307話厄水の魔女:おわり
「——さて、もういいかしら? 続きがしたいならあなたもすぐに地獄に送ってあげるから、そっちでやってなさい」
「……あらぁ。待っててくれたの? 随分優しいのねぇ」
「ええ。あなたを苦しめるのに使える道具だったもの。あれくらいは邪魔をしないであげる慈悲もあるわ」
それに、あんな感動的な別れ方をして最後の最後でこの女も死ねば、きっと楽しいことになることだろう。
だからこそ、あんな隙だらけの時間に攻撃しないでいてあげた。
でも、もうそれもおしまい。これからは本気で殺しにかか——
「みんな、全力で攻撃してちょうだい」
耐える役割を担っていたものが消え、このまま耐えているだけでは負けると判断したのか、カルメナは残っていた男達に総攻撃の指示を出した。
けれど、そんなのは無駄。
確かに攻撃の威力だけで言ったらかなりのもの。私が攻撃の手を休めて守りに回らないといけないくらいの衝撃がある。
けれど、それだけ。本気で守りにまわってしまえば、その守りを崩すことなんてできず、しばらく耐えていれば相手は勝手に消耗して動けなくなる。
それがわかるからこそ、私は自身を守っている水の中で笑っていられる。
……けれど、相手もさるもので、なかなかに力の消耗が大きい。これは本来想定していた分の力では足りなくなるかもしれない。精霊から余計に力を引き出しておきましょうか。
「いくらやっても無駄よ! この攻撃が止まった時が、あんたの負け——っ!?」
そうして戦っていると、突如水がバシャリと形を失って地面に落ちていった。
なんでっ! そう思って辺りを確認し、ふと気がついた。
——精霊化のスキルが解けている!?
解除するつもりなんてなかったはずなのに、第十位階のスキルが解除されていた。それどころか、普段から寝る時でさえ解除することのなかった《変装》のスキルも解除されている。
視線を落とせば、そこには皺だらけになった自身の手がある。
体にもうまく力が入らず、立っていることができずに倒れ込んでしまう。
なんでっ、どうしてっ!
そんな言葉ばかりが頭の中を駆け巡るが、うまく考えがまとまらない。それどころか、こうして意識を保っているのも億劫になるほどの疲労や吐き気がする。
そんな様々な症状を認識して、私はようやく自分の身に何が起こったのか理解できた。
つまり、今の私は——
「……あらあら、スキルを使えなくなってきたのかしらぁ? 飾るのは女の甲斐性、なんでしょう? もう少し身だしなみには気をつけた方がいいと思うのだけれど……鏡でも見たらどーおぉ?」
——スキルの使いすぎで、これ以上スキルを使えなくなってしまったのだ。
そしてそれに伴い精霊化も変装も、スキルが解除されて本来の私の姿に戻ってしまった。
「そ、そんな……っ!? なんで!!」
でも、スキルが解除された原因は分かったけれど、どうしてそんなことになったのかわからない。
スキルの使いすぎ? そんなの嘘! だって、こんなことになったことなんてないのに!
「なんでもなにもぉ、当たり前の話じゃあないのかしらぁ?」
コツコツと、足音をやけに響かせながらカルメナが男達を伴って私に近寄ってきながら話しかける。
「私の《抗老化》と違って、あなたの《変装》はスキル回数を消費し続けるでしょ? 常に《変装》のスキルを使い続けた上に、こんなにも乱暴にスキルを使ったのだから、当然の結果じゃないかしら? 精霊との同化だって、スキル回数も魔力も、そして寿命も削る大技よ。それなのに、悠長に話を聞き続けるだなんて、馬鹿じゃないかしら?」
精霊! そうか、あれが……。
今まで精霊を召喚したり、それと同化するなんて技を使った後はすぐにやることをやってから解除していた。今回みたいに悠長に話を聞いていたり、苦戦して片付けられないなんてことはなかった。
だから、話を聞いたり敵の攻撃を防いだりして時間を稼ぐと言うことが、無駄な消費につながったことに気づけなかった。
直前までスキルの使用限界を迎えた不快感がなかったのも、精霊と同化していて感覚が人間のものとは別物になっていたからかもしれない。
「それに加えて、精霊から余分に力を引き出したりしなかったかしらぁ? その対価で魔力も寿命も取られるだなんて考えもしないで。ああ、そうねぇ。あとは私たちの魔王様からの攻撃でも消耗したんじゃないのぉ? お腹にあ〜んなに大きな孔を開けられてぇ、それをどうにかするためにも消耗したでしょぅ?」
……確かに、していた。カルメナの男達からの攻撃を防ぐために、想定よりも力を使いそうだったために追加で精霊から力を受けていた。
自称魔王からの攻撃だって、余裕を持って余分にスキルを重ねて防いだりしていた。
……でも、そうなると、私は死ぬ? だって寿命がなくなるってことは、そう言うことでしょ?
感覚的にまだもうしばらくは生きていることができる気もするけど、それもここを抜け出せたらの話。
スキルが使えないのだから、寿命を迎えなかったとしてもこの女に殺される。それも、いつもの私の姿ではなく、あんな醜い姿で?
「い、いやよっ! 醜い姿になるなんてっ! それも、こんな汚いところで! せっかくここから抜け出すことができたのにっ!」
普段聞いたことのないしわがれた声が耳に聞こえ、体中に響く。
それが自分の声なのだと理解すると、無性に不安と焦りが掻き立てられる。
死ぬのは嫌だけど、構わない。無限に生きていられるわけではないのだし、そこは納得できる。
けれど、その死に際に問題がある。
こんな薄汚い街の廃墟の残骸に塗れた場所で、薄汚れた老婆になって死ぬだなんて、認められない。
私はここから逃げ出せたはずだ。綺麗な姿でみんなからもてはやされ、貢物をもらい、ただただ幸せに暮らしていたはずだ。
地位を得た。名誉も得た。貴族の娘であった時よりもさらにいい暮らしができるようになった。
あとは寿命が来ればみんなから惜しまれて、美しいままそっと息を引き取って死んでいくはずだった。そんな幸せな終わりを迎えるはずだったのだ。
笑顔で死ねる人生を迎えるために、私は寿命を削ると分かっていても今まで第十位階の魔法を使ってきた。
なのに、ここで死ぬだなんて、そんなの……認められる訳がない!
「醜い、ねぇ……。むしろ、私はこんな姿の方が醜いと思うわねぇ。こんな姿なんて……」
けれど、必死に手を伸ばす私を見下ろして、カルメナは自身の手の平を見つめながら顔を顰めてつぶやいている。
どうしてそんな顔をしているのかわからないけれど、気にしている余裕なんてない。
「たすっ、助けてっ……! 助けてよ! 昔のよしみでさあ! ここから逃すくらいいいじゃない!」
「……悪いのだけれど、私、これでもそれなりに怒っているのよね。こんな街だもの、死ぬのなんて日常のことよ。けれど、今回のはあなた達が攻めてこなければ、あなたが街に入ってこなければ起こらなかった事。誰も死なず、みんな笑顔でいられたの。……みんなを死に進ませた私が言うことではないけれどね」
それまでの喋り方とは違って、間延びすることもなく冷たい声に変わっていた。
普段から余裕を見せつけていたこの女がこんなにわかりやすく感情を見せると言うことは、それだけ本気だと言うこと。
「……それでも、私にも罪があるとしても、だからといってあなたを赦すつもりはないわ」
カルメナはそう言うと私の前でしゃがみこみ、それに合わせて男達が私の髪を掴んで持ち上げた。
「ぐうっ……」
乱暴に扱われたことで声がもれたけれど、男達はそんな声に気にすることはなく、カルメナは持ち上げられた私の顔を覗き込んできた。
「そのままあなたの言う『醜い姿』になって、誰にも手を取ってもらえる事なく——死んでちょうだい」
真っ直ぐ見つめたその瞳は、最初にあった時のような柔らかいものではなく、先ほどの声と同じでどこまでも冷たいものだった。
そんな目を見てしまえば、この女は私のことを助ける気が……いや、助けないまでも見逃す気すらないんだといやでも理解できてしまう。
そして、言いたいことはもう言い終えたのか、カルメナは立ち上がると自身の顔に手を当て、手を離した時にはそこには最初に見た老婆の顔があった。どうやらまた《変装》のスキルを使ったらしい。
けど、もうスキルを使うことができずに見た目を偽ることができない私の前でスキルを使い、わざわざ老婆の姿になるだなんて、なんて嫌がらせだろうか。
「それに、どうかしらぁ? これがあなたの言う醜い姿だけれど、そんなに悪いものかしらぁ? さっきまではあなたに合わせて戻したけどぉ、私はこの年齢相応の姿と言うものを気に入っているのよねぇ。歩んできた時間も、それによる変化も、全ては女を彩る宝石よぉ。女の若さも、重ねた歴史も、その全てに価値がある。それを否定するだなんて、あなたはわかってないわねぇ」
頭が痛い。吐き気がする。寒気もするし目だって霞んで見える。全身には虫が這いずり回るような不快感もある。
「その宝石が手に入らないから……私は私のことが嫌いなの。あなたにはわからないでしょうけどねぇ」
それでも、私はせめて最後は美しい姿で死にたい。と強引にスキルを使って姿を変えようとする。
「もっとも、それを理解するにはもう時間がないみたいだけれどねぇ。あの世では、もう少し女の価値を勉強なさい。そうすれば、地獄の獄卒も魅了できるかもしれないわよ?」
けれど、そうしてスキルを発動させても、すぐに《変装》は解除されてしまった。そもそも完全に変装することもできなかった。
それを見て、ああもうだめなんだ、と心の底から理解してしまい、私は全身から力を抜いた。
もう、抵抗する気力どころか、この女のことをまともに見る気力すらない。
「……その見た目で、そんなことを言っても……気持ち悪いだけ、よお〜……」
それでも……見た目は偽れず、虚勢を張ることもできないけれど、せめて言葉だけは抗っていたい。
「あら。言われてみれば姿を戻したんだったら言葉も戻さないとよね……っと、おやおや。最後に一本取られたかねぇ」
「やっぱり、あなたは気にくわないわぁ〜……」
「残念だねぇ。あたしは存外あんたのことを気に入ってたんだけどね。他人を蹴落としてでも成り上がろうとする生き汚なさ。まさしく今のこの街の女たちの在り方と同じなんだから」
ぼやけた意識の中、そんな言葉を最後に、私の意識は、ふっと消えた。
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