第306話厄水の魔女:『水魔法師』と『娼婦』
「……その声、あの時を思い出すわねー」
「そう? どんな思い出かしらぁ? いい思い出を残せてあげられたのなら嬉しいのだけれど……」
「そうねー。……ええ、とびっきりのいい思い出よ——殺したくなるくらいにね」
さっさとこいつに消えて欲しくて、私はそんな言葉と同時に赤く濁っている水を操り刃を作る。それも、一つ二つではなく、カルメナ達を覆うことができるくらい無数に。
そして、その刃を全て同時に若返ったカルメナへと目掛けて放つ。
普通ならそれでおしまいのはずだ。けれど、ここにいるのはカルメナだけではなく、その魅了下にいる高位階の男達。
降り注ぐ刃は全てが迎撃されていき、その度に新しいものを作り、放つけれど、それらも同じ様に迎撃されてしまった。
確かに厄介だ。カルメナの集めた戦力は、今回の作戦に参加した『神兵』や『狂槍』程度ではもうやられていることだろう。
あれらは第十位階といえど集団を相手にするための技が乏しいのだから、それは仕方がないことだ。
けれど私は違う。
「あんたがいくら第十位階の『娼婦』になったんだとしても、私だって第十位階なのよ。所詮は第九位階以下の雑魚しかいない男達を何人集めたところで、私に勝てるわけ——ないでしょ!」
相手が水の刃の対処に夢中になっている間に、私は別の魔法を準備していた。
最後の言葉と同時に、それを使う。
その魔法は今までの様にただ水を放つだけではない。
これまでは残りの魔法を使える回数を気にしていたからスキルをあまり使いたくなかったけれど、これこそ本当の意味であまり使いたいものではなかったスキル。
ただ放つだけではなく、水を司る精霊を召喚する第九位階のスキル。
それが発動した瞬間、私の目の前には顔がなく、関節もない人間のような水が現れた。
それが私が契約している精霊。
名前も知らないそれは私のことを見つめると、スッと私にまとわりつくかのように近寄ってきた。
「たかが娼婦ごときっ! 今度こそあんたを殺してあげるわ!」
けれど、そんなうざったい行動をしている精霊を手で払い、カルメナに向けてそう宣言した。
「たかが、なんて言うけれどぉ、それはあなたもでしょぅ?」
「黙れ! 私は娼婦なんかじゃないのよ!」
そう言うなり、私は手で払い除けた精霊に指示を出してカルメナを襲わせる。
その動きは一瞬ためらったように止まったが、動き出してしまえばあとはいつも通り敵に休むことなく攻撃を放ち続ける。
水で形成し槍を放ち、剣で薙ぎ払い、斧を振り下ろしていく。
私が魔法を使うよりも滑らかに動く、尽きることのない水。
これを使ったせいで僅かに疲労感が増したけれど、そんなのは気にしていられない。
「あなたは娼婦を嫌ってるみたいだけれど、そう悪いものかしらぁ? 今よりもずっとずっと昔には、神様を歓迎するための接待役として扱われていたそうよぉ? 一種の巫女ね。あとは、人類の発展のために神は人に『娼婦』を与えた、とも聞いたことがあるのよねぇ。……ねぇ? そう聞くとなんだか有難いものに思えてこないかしらぁ?」
けれど、そんな猛攻の中でもカルメナを守る男達は倒れることも逃げ出すこともなく凌ぎ、カルメナは微笑んでいる。
「何が巫女よ! 何が発展よ! そんなの、有難くもなんともないわよ! 少なくとも、私はこんなものは欲しくなかった!」
精霊の攻撃に加え、私も魔法を使って参戦する。
残りの使える回数なんてそんなに多くは残っていない。けれど、全く使えないわけでもない。
無造作に放つのではなく、要所要所を見極めて的確に放っていけばいい。
そんな考えは間違っておらず、私が再び参戦してから数分と経たずに倒れるものがで始めた。
——いける。このままいけば倒すことができる!
「あらあら、大変ねぇ。みんな、ちょっとこっちへいらっしゃい」
けれど、そう思ったのも束の間。
カルメナは周囲にいた男達を一人づつ自分の元へと呼び始めた。
そして、その男たちを胸に抱いて最後にキスをすれば、操作れた男達は一人、また一人と戦いに戻っていった。
「辛いと思うけど、これでもうちょっと頑張って」
全ての男達が戦いに戻っていくと、カルメナは再び微笑みながらそう口にした。
なにがしたかったんだ、そう思ったけれど、そんなことを思っている余裕は無くなった。
あの女がなにをしたのかはわからない。けれど、何かをしたことは理解できる。何せ、先ほどまではそれなりに余裕を持って押すことができていたのにもかかわらず、今では拮抗……いや、むしろ押されているのだから。
「何をしたのよ」
精霊が何か様子がおかしくなった男達と戦っているのを見ながら、私は何かをした張本人であるカルメナに問いかける。
「何って、『娼婦』らしくみんなを応援してあげただけよぉ? 《魅了》を基本として、《興奮化》で恐怖をなくして、《意思疎通》と《意識誘導》で興奮してても言うことを聞いてもらって、《感覚操作》で痛覚を無くしたかわりに視覚と聴覚を強化して、《性交強化》を使ってキスすることで更に全体的に強化をかけた上で、《支配》をかけて限界を超えて私に尽くしてくれる子になってもらっただけ。別におかしなことじゃないでしょぅ? 私はみんなが頑張れるように〝支援〟しただけだものねぇ」
私はその言葉に目を剥く。
それが本当であれば、ここにいる第八・第九の高位階の男達はとんでもない強化をされたことになるのだから。ともすれば、第十位階と同等の力を持っていることになるかもしれない。
高位階の狂戦士は強い弱いはともかくとして、厄介だ。何せ完全に動けなくなるまでこちらの命を狙いにくるのだから。
今のこの男達はその狂戦士と同じだ。カルメナのために命を放り捨てて私を殺しにくる。
第十位階の真骨頂とも言えるスキルは覚えていないのは変わらないだろうけれど、これだけの数全員が第十位階と同程度の力を持って、且つ命を投げ打ってでもあの女を守るために戦うとなったら、流石にまずい。
「くっ……このおっ!」
もう何度思ったことかわからないけれど、出し惜しみなんてしていられない。
大量の水を生み出し、それを操って全てを押し流すように叩きつける。
けれど、その水も盾を持った男が盾を構えながら突撃して来たことで相殺された。
「あらあら。もう自分を偽るのはやめたみたいねぇ。ええ、でもいいと思うわぁ。そっちのあなたの方がよっぽど綺麗だもの。やっぱり自分に嘘をつかない姿って、それがどんな醜悪なものであれ惹かれるものがあるわぁ」
「調子に、のってえ……!」
男達に守られながら後ろで喋っているだけのカルメナ。
それが正しい戦い方なのだとしても、苛立つことに変わりはない。
「いくら強化された高位階が束になったところでっ、第十位階である私に勝てるわけがないのよお!」
そうだ。そのはずだ。強化……いや狂化されようと、第十位階とそれ以下ではどうしたって能力に差が出てくる。
だから、多少無茶をする必要はあるかもしれないし、このあとまともに動けなくなるかもしれないけれど、最終的には勝つことができるはずだ。
いや、〝はず〟じゃない。勝てる。私はこの女に勝てる! 負けるはずがない!
だって私は第十位階の水魔法師『厄水の魔女』なのだから!
けれど——
「な、んでっ……!」
周囲に防御用として浮かばせていた水の一つが、私の胸を貫いた。
「浮いてる水が全部自分の支配下にあるものだと思い込むのは、やめた方がいいわよぉ。いくら魔法師が少ないなんて言ってもぉ、水魔法師なんて、探せばそこら中にいるものだもの。副職まで含めたらかなりの数だわぁ。たとえば、私みたいにね」
私は天職が『水魔法師』で、副職が『娼婦』。
この女は天職が『娼婦』で、副職が『水魔法師』。
そんな似通ったところがあったのも、私がこいつのことを嫌っていた理由でもあった。
それなのに、そのことをすっかり忘れていた。
「がっ……こっ、のおおおおおお! きな、さいっ! 精霊!」
このままでは負ける。負けて、死んでしまう。
そう思った瞬間、私は後先なんて考えず、精霊を呼び戻して第十位階のスキルを発動させた。
魔法師の第十位階スキルは精霊と同化してその力を自在に振るうこと。
自然そのものになったと言ってもいいほどの力を振るうことができるその代償として、術者はスキルの回数や魔力の他に、寿命を奪われることになる。
今までにも何度か使ってきた上にすでに実際の年齢は七十を超えている身としては、もうこのスキルを使いたくはなかった。
けれど、使わなければ死んでいた。
精霊と同化したことで致命傷だった胸の傷も消すことができた。
あとはあいつらを倒すだけだ。
「これでおしまいよ!」
瀑布の如き水がカルメナの頭上から叩き潰すかのように降り注ぐ。
そしてそれはカルメナ達だけではなく、周囲の建物やそこに潜んでいた敵をも飲み込んでいく。
流石にこれだけの量の水を一度に受ければ、防ぐことも避けることもできないはずだ。
けれど、それでも油断なんてしない。こんなもので殺せるくらいなら、最初から私が奥の手なんて使う必要はないのだから。
周囲を更地に変えた水をそのまま消さずに操り、カルメナを中心に半球状の形を作らせた。
光魔法師か治癒師、或いは聖騎士や盾士……なんでもいいけれど結界を張れるものがいるのだろう。
本来ならほんの些細な隙間からでも入り込んでいき、中にいるものを溺れさせることができるはずの水が、カルメナの周囲にだけ入り込んでいくことができていない。
そんな結界を壊すべく、私はカルメナ達の周囲にある水を、中心へと向けて圧縮していく。
流石に全方位からかかり続ける力には耐えきれないのだろう。結界にヒビが入ったのが見え、おそらくは術者だと思われる男が二人、膝をついたのがわかった。
それを見た私は、圧縮した水をさっき私が自分に使ったように高速で回転させて渦を作る。
ただし、今度は外界と隔てての守りのためではなく、敵を取り込んで殺す攻撃のために。
渦巻く水の中は、その勢いや取り込んでいる建物の残骸なんかのせいではっきりと見ることはできないが、今の水そのものとも言っていい状態になっている私には水の渦の中の様子も理解することができる。
けれど、そうして確認した水の中では、相変わらず結界が維持され続けていた。
このまま攻撃を続けてもいいとは思うけれど……。
そう思ったが、一旦結界の中の様子を確認するために渦を解除することにした。
そうして解除した後、よく見えるようになった結界中の状態は、結界を張っていたと思われる男達が膝をつくのではなく口から血を流しながら倒れていた。
その人数も二人から四人に変わっている。多分、複数人で限界を超えてスキルを使い続け、本来なら気絶するはずなのにそれすらも気合いで乗り越え、命をかけて結界を作ったからこそ耐えることができたのだろう。
でも、それも限界が来て、そして死んだ。
けど、あと一人、口から血を吐きながらも立っている男がカルメナを守るように盾を構えている。
「お怪我はありませんか、お嬢さん」
その男は口から血を吐き私を睨むと、背後にいるカルメナに振り向きながらそんな言葉を吐き出した。
「……ええ、あなたのおかげでね」
「なら、良かったです」
「ふふ、あなたはそんな話し方をする人じゃないでしょう? 普段はもっと乱暴なくせに」
「……これでも、ヒーローに憧れたこともあんです。好きな人を守れるような、かっこいい英雄に。今は、こんなところにいますけどね」
盾の男とカルメナはそんな戦いの場にふさわしくない話をし、カルメナはその男の体に手を回してゆっくりと抱きついた。
「ありがとう。あなたはヒーローよ。私なんかのために命をかけてくれたんだもの。あなただけじゃなくて、他のみんなもよ。みんな、御伽噺の英雄以上にかっこいいわ」
「あなたにそう言ってもらえたなら、良かった。多分、他の奴らも同じ気持ちだ」
男はそう言うなり盾を取り落とし、ふらりと体をよろめかせると膝をついた。
「ライアン。それに、リド。モックドック。アージェン。レイリオ。あなた達のことは忘れないわ」
カルメナはそんな男の体を抱き止め、ゆっくりと地面に横たわらせると唇を重ねた。
「こんなご褒美があっただけでも、カッコつけた甲斐があったってもん、だなぁ……」
それだけ言うと盾の男はピクリとも動かなくなり、カルメナはその男をそっと地面に横たわらせると再び立ち上がり、私と視線を交わした。
——ああ、その目はいい。その目が見たかった。
カルメナの視線には、先ほどまでとは違っていた。
先ほどまでも殺意や敵意、悪意害意。そういったものが乗っていたけれど、今はもっとはっきりとした、恨みを持っての殺意の色が見えた。
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