第287話神兵:違和感のある開戦

「——そろそろ時間だな」

「問題はないかい?」

「殿下っ!? どうしてここに……っ!」


 装備を整え、気を落ち着かせていた僕のところに、殿下が現れた。


「これから戦いになる前に、作戦の要の様子を確認するのはそんなにおかしいことかい?」


 おかしいかおかしくないかで言ったらおかしくはないのだろうが、総大将であり一国の王太子ともあろう方が配下である者のところに調子伺いにくるというのはおかしい気もする。


「……なんて、それも理由ではあるけれど、改めて話を、とね。今まで何度も言ってきたが、油断はしないでくれよ。今回の戦、勝てるとは思っているが、油断をすれば万が一もあり得る。いくら考えても、今回の戦いは裏があるように思えてならない。実際、怪しいところはいくつもある」


 昨日殿下より話を聞いてから暇があれば何かおかしいことはないかと考えてきたが、その甲斐なく答えを出すことができなかった。

 僕は所詮戦うことしかできないんだ。考えたところでそう簡単に答えなんて出るわけがなかったんだ。

 だが、今この場で言えることはある。


「ご安心を。確かに、敵は強者が存在しているのでしょう。こちらも問題がないとは言いません。ですが、それでも我々ならば問題なく勝利を手にすることができましょう。殿下は御心穏やかに我らの戦いを観ていてください」


 そんな僕の言葉で僅かなりとも安心していただくことができたのか、殿下はふっと笑みを浮かべた。


「さて、それでは戦いの前に総大将らしく開戦の合図の一つでもしてこようかな」


 実際に戦いを行うのは僕たちだけだが、それでも戦いを始める前に兵たちに何か言ってからの方がいいだろうから、そんな殿下の言葉に頷いた。


「ん? ……酒? 許可した覚えはないのだが……」


 そう考えて殿下とともにテントを出て集まっていた軍の前に向かおうとしたところで、兵の一人が盃を持ってきた。

 よく見ると、兵たちも盃ではないがなんらかの容器を手にし、それを呷っている。

 だが、殿下はもちろん僕も戦いの前に酒を振る舞うなんて話は聞いていないし、許可を出していない。なのになぜだ?


「あ、殿下。エリオット様。こちらをどうぞ。少し前に周辺の村々より届いたものを絞ったジュースになります。勝ってカラカスの脅威から解放してほしいとのことでした。本来は殿下にお伺いを建てるべきだったのですが、エリオット様と話しておられたご様子でしたので勝手ながら配らせていただきました。毒見は済ませ、一応浄化もかけてありますので毒などの問題はありません」

「そうか。ああ、わかった。ありがとう」


 おそらく全員に配っているのだろう。その兵士の言葉に、殿下はにこやかに笑いかけて盃を受け取り、僕もそれにつづいた。

 バルバドスやアドリアナはすでに飲んでいる上、おかわりを頼んでいるが……まあいい。あれはああいう者だ。


 ……だが、これだけの量を用意するとなったら大変だろうに。これは、恐怖に怯えている村々を助けるためにも奮起しなければな。


 改めてそう覚悟を決めた僕は兵の差し出してきた盃の中身を呷り、盃を返舌が、殿下はじっと盃のことを見つめていた。


「? 殿下? いかがされましたか?」

「……ああいや、これだけの量となると用意するのも大変だっただろうな、とね」

「はっ。ですので、村の者達の思いに応えるべく、絶対にこの戦には勝ちましょう」


 僕がそう言うと、殿下は軽く盃を傾けてその中身を飲むと、その盃を兵士に預けた。

 だが、預けられた盃にはまだ底の方に中身が残っていた。昨日は食事の際には同じものを飲み干していたが今回はどうしたのだろうか?

 しかしまあ、無理して一気に飲むものでもないし、そういうこともあるだろう。


 その後、僕たちは集まっていた兵たちの前へと進んでいき、少し高くなっている段の上へと殿下が上がっていった。


「これまで長くの間この地は不当に占拠されてきた。それによって悪が蔓延り、涙を流したものたちもいただろう。だがそれはもう終わりだ! これより我が国の最高戦力たる『八天』が敵を打ち破る! そして、我らがあの街を奪い返し、この国に平和と繁栄をもたらすのだ! 皆心せよ! これはただの戦ではない。人々を救うための正義の戦だ!」


 ……そういえば、敵の街の外に立っているあの者らだが、彼らは朝からずっと動いていないのではないか? いや、夜のうちから待機していたのであればもっとだ。それだけの時間を、ならず者と呼ばれた者達ができるだろうか? もしや、ただの幻か?


 一歩も動かないで整列を続けている敵兵に訝しさを感じたが、幻などではないと首を振る。


 ……だが、あれらはどうしても意識を惹く。ただの幻であればそれを見破ることくらいはできる。あれらは間違いなく幻ではなく実体がある人間だ。


 であるのならば、もしかしたら使役系の者がいるのかもしれないな。そうであるのなら、兵達が微動だにせずに待ち続けることも可能だ。


 しかしだ。もしそうだとしたら、想定していたものよりも苦戦するかもしれない。

 相手の位階にもよるが、数百人規模で操れる、もしくは誘導できるのであれば、それだけの数の死を恐れない軍勢となる。

 外で整列しているあの兵達はアスバル殿の『地割り』でおしまいとなるだろうが、それは街の外に待機しているあの兵達だけだ。左右から攻め込み街の中へと入っていく我々は、奇襲を得意とする賊……それもそれなりの手練れを相手に市街地戦をしなければならなくなる。


 勝てないわけではない。だが、できることならば街はあまり破壊したくはないので、そうなると少々手こずるかもしれない。少なくとも、我ら四人以外の兵達が向かえば少なくない被害が出るだろう。


 だがそれでも……これから攻めるのは僕たち『八天』だ。そう簡単に思い通りになると思うな。


「それではこれより作戦を開始する! 総員持ち場につけ!」


 そんな殿下の宣言とともにその場にいた者達は速やかに動き始めた。

 これで後は僕たちがあの街の敵を倒すだけだ。


「ほほっ。それでは始めるとしようかの」


 そう普段と変わらぬ口調で告げられた直後、アスバル殿の体から強烈な『圧』を感じ始めた。


「ゆくぞ。皆転ばぬように気をつけよ——《地割れ》」


 そうして起こったのは天変地異とも呼べるほどの大規模な地割れ。

 数百人程度の相手には些か規模が大きく、魔力の無駄遣いだと言えるかもしれないが、相手の心を折るためにもこちらの力を見せつけるのは有効だろう。

 ついでに街の街壁の一部も崩れ、僕たちの進入する場所もできた。


「……ぬ?」

「さすがは『地割り』のアスバル殿。何相応しき——どうかされましたか?」


 だが、そんな地割れに敵が飲み込まれていっても、アスバル殿の表情は何処か優れない。というよりも、どこか不満げな様子だ。


「……声が聞こえぬ」

「声?」

「彼奴らが裂け目に落ちた時、誰一人として悲鳴を上げぬどころか、些細な声すらも出さなかった。……あれらは本当に人間だったのか?」

「それは……」


 人が落下するさいの悲鳴を好み、それを聞くためだけに身体強化を行う魔法を使用するアスバル殿。

 そんな彼が人の声の有無を間違えるはずがなく、彼がいうのなら本当に悲鳴などなかったのだろう。


 だがあれは、人間だったはずだ。でなければ、あの敵からあれほどの圧を感じることはなかっただろう。


「人間です。幻影や人形の類であれば、あれほど意識を惹かれる圧を感じたはずがありませんから。アスバル殿も感じたのではありませんか?」

「……うむ。確かにな」

「私の考えでは洗脳などの使役系を使う者がいるのではないかと」

「味方を使い捨てにしたと?」

「あそこは犯罪者の街です。味方や仲間という概念が成立するのでしょうか?」


 あるかないかで言えば、あるのだろう。だが、利用しないかと言ったら首を傾げざるを得ない。目的のためならば恩人であろうと友人であろうと、家族であろうと利用する。それが奴らだ。

 彼らの中には正義などなく、ただ自分だけが幸福になれるのなら他者を蹴落とし、利用する。そんな犯罪者たちが集まってできた街。それがあそこなのだから、今回のように平気で洗脳したり使い捨てにしたりもするだろう。


「そう言われてしまえば何とも言えぬが……まあ良い。気に入らぬがわしの仕事は終いだ。あとはお主らの好きにするが良い」

「はい。アスバル殿はゆっくりとお休みください」


 大規模な魔法を使って疲れたというわけでもないだろうが、思っていたのとは違って敵の悲鳴が聞こえなかったからか、アスバル殿は不機嫌そうな様子で後ろに下がっていった。


 元々アスバル殿は保険のようなものだ。敵が軍を持ち出した時の処理と威圧。ついでに敵がせめてきた場合の軍の護衛。それが彼の役割だ。

 大規模な攻撃は街中では使うことができないのだから、今の初撃を終えてしまえばあとは休んでいてもらって構わない。


「バルバドス、敵の主力は消えた! 僕達は左右から挟撃し街を攻め落とすぞ!」


 そうして僕とバルバドスが走り出し、その後からランシエとアドリアナがついてきて援護をする。これが今回の作戦だ。


 街を攻め落とそうというのにこんなのは作戦ともなんとも呼べないのだろうが、問題ない。僕たちならできる!


『——あー、あー。初めましてみなさん。この街は、街と周辺の土地を支配下に収めて国として独立した。俺はその立ち上げた国を治める、まあ魔王を名乗ってるもんだ』


 だが、街に向かって走っているところで、そんな声が聞こえてきた。

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