第285話神兵:夜中の異変と早朝の異変

「寝る前に確認しておくか」


 すでに夜中と言ってもいい時間ではあるが、殿下が不安を感じていたこともあり寝る前に一度だけ様子を見ておくかと少し辺りを歩くことにした。


 とはいえ、殿下のお言葉があったとしても確認なんて僕がするようなことでもないのだが、それでもこんなことをしているのは、初めての大任ということで緊張しているからだろう。


「警備はどうだ?」

「エ、エリオット様! どうしてこのような場所に!?」

「これでも今回の軍の責任者なんだ。確認くらいするさ。それに、敵の様子も見ておきたかったからね」


 そう言ってカラカスの街へと視線を向けるが、これと言って怪しいところは何もない。

 普通ならこの距離、この暗さではまともに見ることなんてできないが、そこは第十位階としての身体能力のおかげで問題ない。

 だが、これだけ近くに陣を敷いているにもかかわらずなんの動きもなく、その気配すらない。それが逆に怪しく思えてしまう。


「ん?」


 しかしカラカスから意識を戻したその時、今度は陣から少し外れたところへと体を向けた。


「ど、どうかされましたか?」


 そんな僕の反応に夜番の兵は疑問の声をかけてきたが、僕はそちらを向くことなく前方へと意識を集中させた。


「……何か音がしたような気がしてな」


 そう。常人には聞こえないだろう微かな音。それが聞こえたような気がした。


「おと、ですか? まあ兵もたくさんいますし、多少の音は……」

「いや、そういうものとは少し違ったような……」


 確かに夜で皆が寝静まっているとはいえ、多少の音くらいはするものだろう。

 だが、そうではないのだ。何か……いや、誰かが歩く音が〝陣の外から〟聞こえてきたのだ。

 それに、音と同時に何か嫌な気配を感じた気がする。気のせいであればいいのだが、確認しないわけにはいかない。

 何かあったら教えて欲しいとも言われていたし、殿下に報告すべきだろうか?

 ……いや、殿下への報告は確認してからにすべきだな。何かあるかもしれない、なんて曖昧なことで殿下を煩わせる必要もないだろう。


「あちらには何があるかわかるか?」

「は、はあ。あちらですと持ってきた荷が置かれているかと」

「荷か……それは、食料もか?」

「そのはずですが……すみません。詳しいことは担当に聞かないと……」

「いや、構わない。参考になった」


 そう言って僕は兵に労いの言葉をかけてからその場を離れ、異変を感じた方向へと向かっていった。


 ……もし僕の感じた異変が本物で、食料などに何か細工でも仕掛けられたらまずいことになる。


 毒を盛るというのは誉を重要視する貴族や騎士たちからはあまり好まれない方法ではあるが、戦場での常套手段だ。

 相手は犯罪者の集まりであるカラカス。誉なんて気にしないでやるときは容赦なく仕掛けてくるだろう。


「……異常はない、か?」


 だが、近くにいた兵から話を聞いたり、そのもの達に手を借りて調べもしてみたのだが、特にこれといった何かがあるわけでもなかった。

 やはりさっき感じたのは気のせいなのか? 明日の戦いを前に緊張しているのだろうか?


 ……いや、異変があろうとなかろうと、行為そのものは無駄ではないんだ。確認したことで安心を手に入れたのだと考えれば、十分価値はあった。

 だが、念のため明日には使う前に改めて確認するように言っておくか。


 と、そうして自身のテントに戻ろうとしたところで、ふと背後から気配を感じたので剣に手を伸ばしながら振り返る。


「ランシエ? ……どうしたこんな夜中に」


 だが、そこにいたのは敵ではなく自陣の兵でもなく、ランシエだった。

 どうして彼女はこんなところにいるのだろうか? 僕と同じように見回り、あるいは散歩をしているのだとしても、ここは彼女に与えられた場所からは離れているはずだが……。


「夜中なのはあなたも一緒」

「僕は寝る前の確認だ。今回の戦は失敗するわけにはいかないからな」

「そう」

「それで、君はどうしたんだ? ……弓なんて持っているようだし、何かあったのか?」


 こんな夜中に自身の場所を離れて武器を持っているとなると、どうしても嫌な想像が浮かび上がってしまう。

 一応剣から手を離してはいるが……万が一に備えていつでも動けるようにしておいた方がいいか?


「何も。ただ、ちょっと水辺に行ってただけ」

「水辺? それはそこの川のことか? 近いと言っても、ちょっと出掛けるような距離でもないと思うが……」

「私達にとってはすぐの距離。1分もあれば着く」

「ああまあ、軽く走ればそうか」


 僕の問いに返ってきたのはそんな答えだった。

 確かにこちらの方向からまっすぐ進んでいけば、近くには川がある。僕たちもそこから水を汲んだりしているわけだし、その存在は当然知っていた。

 少し離れているが、それは常人にとってはのこと。僕たちが走れば、軽くであってもすぐに着くだろう距離だ。


「エルフにとって水は大事。本番前に水浴びをしたかった」


 ……なるほど。確かにエルフはよく水浴びをしたり、酒の席でも水を好むという話は聞いたことがあった。明日は実際に戦いになるわけだし、その戦いの前に気を引き締めるというのは理解できる。


 つまり、僕の勘違いだったわけか。陣の外から感じた異変も、ランシエが川へと行った時のもの、あるいは帰ってきた時のものだったんだろう。

 ……恥ずかしいな。緊張も心配も無駄ではないと思うが、それで仲間を疑うことなどあっていいはずがないというのに。


 僕はそれまでの警戒を解き、ランシエに気付かれないように静かに息を吐き出した。


「そうか。でも、一人で出歩くのはやめてほしい。もし何かあった時に気づけなくなるから」

「わかった。次からは知らせとく」

「ああ、頼む」

「じゃあ……バイバイ」

「ああ、おやすみ。明日は頼む」


 そうしてランシエは僕に背を向けて自身のテントがある方向へと去っていった。

 相変わらず勝手に動くが、それでも他の者たちよりはマシか。


 まあいい。何かおかしなことが起こったのではなくランシエがいたというだけで、それ以上は特に何があるわけでもない。女性の水浴びについてなんて殿下に報告することでもないし、僕もそろそろ寝よう。





「——なんだ?」


 翌朝、俄に外が騒がしくなっていることに気が付き目を覚ます。

 その声からして敵が攻めてきた、誰かが死んだ、と言うことではないようだが、一体何が起きたのだろうか?

 近くにあった水差しから水を飲み、喉を潤すと、近くにあった剣を手にテントをでる。

 そうすると先ほどまでよりもはっきりと騒ぎの声が聞こえてきた。どうやら何かあったのは確実なようだ。


「奴らいつの間にあれだけの兵を!?」

「夜のうちに準備したってのか!?」

「だが音なんて何にも聞こえなかったぞ!」


 外に出てみるとやはり兵が騒いでおり、その騒ぎはどうやら最もカラカスに近い位置にて起こっているようだった。

 何をそんなに騒いでいるんだ、と思ったが、実際に自身の目で見てみればその原因は即座に分かった。

 ああ、これならば兵たちが騒ぐのも当然だろう。


 僕の視線の先にはカラカスの街がある。だが、その街と僕たちの間には、昨夜僕が見回りをした際にはなかったものがあった。

 それが何かと言ったら、兵だ。それも、まるでどこかの軍隊のように揃いの鎧を見に纏い、綺麗に整列した兵団。

 数こそ数百程度と少ないが、あの街の者だという事を考えると放っておいていい存在ではないだろう。


「ほほう? 何やら面白いことになっているようじゃな」


 突然現れた兵団について思考を巡らせていると、背後から声がかけられた。

 振り返った先にいたのは、姿を見せたのは杖をつきながら歩いてきた老魔法師のアスバル殿だった。


「アスバル殿。ええまあ。ですが、さしたる意味はないでしょう」


 先ほどは放っておけないと考えたが、意味がないというのも嘘ではない。

 確かに普通の兵士や騎士には放っておいていい存在ではないだろう。無視して作戦を進めるにはあまりにも不気味な存在だ。


 だが、今回あの者らの相手をするのは兵士たちではない。彼らは戦った後のために存在しており、今回の戦の主力は僕たち八天の五人だ。

 普通なら脅威になるような敵が相手であっても、僕たちが出るのなら大して気にしなくても問題はない。


「ま、そうじゃな。あの程度であれば、十倍の数がいようともわしの力を使えば一撃よ」

「そうでしょうね。あれの相手は任せることになりそうですが、その時は頼みます」

「うむうむ。任されよ。ふぉっふぉっふぉ」


 懸念があるとすれば、いつの間にあんな兵を並べていたのか、という疑問があることだ。

 ここからあそこまでの距離となると人の動きは見えづらく、それが夜ともなれば一般の兵達では気づけなくても仕方がない。

 だが、人の動きはわからなくても流石に門が動けばわかるはずだ。

 わずかに開けてそこから一人づつ外に出て並んだという可能性もあるが……そもそも何であそこにあの兵を並べたのかがわからない。外に出すのなら、街の反対側から出して迂回させ伏兵として我が軍の背後をつかせた方が効果的だっただろう。

 あるいは外に出すことなく街にこもって攻城戦に備えてもよかった。


 にも関わらずああしていつ出現したのかも分からない兵があそこに並んでいる。その意味がわからずとても不気味だ。


 だが、脅威ではないのは事実だ。あれが全員第七位階以上となると流石に危ういものもあるが、そんなことはあり得ないだろう。第七位階と言ったら僕らには劣るものの、国に対して交渉できるような存在で、あんな場所に住まなくても裕福な暮らしができるほどの強者だ。そんな者があれだけあの街に集まるはずがない。

 余程自身の上位者として仰ぎたくなるような者がいるのならわからなくもないが、犯罪者の巣窟にそんな者がいるはずもなく、いたとしてもあれだけの数は集まるわけがない。

 だが、視線の先に何者からがいるのは事実である。その正体はわからないが、さてどうしたものかな……。

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