第271話ソフィアの弟

「——こっから先はお貴族様用ってか」


 しばらく街の様子を見ていた俺たちだが、現在は平民用の区画と貴族と金持ち用の区画を隔てている壁の前にいる。

 そんな壁を見ながらカイルがなんか含みがありそうに呟いた。


「街の基本的な作りは何層かに分かれた円形ですか。まあ、一般的な形ですね」


 一通り見た感想としてベルがそう口にした。

 中心に王城や政治系の重要拠点が置かれていて、その周辺に貴族や金持ち。その外側に平民で、さらに外が街の外。

 かなり大雑把に言ったから実際にはもっと細かい区分があるし、街の設備や壁の作り、警備の違いなんかはあるが、概ね間違いではない。

 そのそれぞれの区画を壁で隔てて分けているのがこの街。


 他には貴族用と平民用の二つの街が隣接しているような街や、カラカスみたいに円形ではあるが内部の作りは特に区画わけなんかをしていないような街もあるが、まあこの王都の形がこの世界では一般的だろう。


「はい。一番偉い王を中心とした造りですから、どうしてもこういった形に——」

「姉上……?」


 どこからか聞こえてきたその声を聞いた瞬間ソフィアの言葉は止まり、その表情は固まった。


 そして徐々に目が見開かれていき、突然バッと振り返った。

 ソフィアが振り返った先へと俺も顔を向けると、壁の向こう側、貴族様専用の街にはなんかやたら高そうな服を着た男が立ってこっちを見ていた。


「ぃ……一箇所に留まっていても時間の無駄になりますので、そろそろ他のところへ参りませんか?」


 だがソフィアは、そんな男を見て青い顔をして体を震わせ始めた。

 そして、スッと無視して振り返ると俺たちにそんな提案をしてきた。


 必死になって知らないふりをしているが、まあ知り合いだろう。それも、ただの知り合いってよりは、深いところに位置する存在。

 先ほどのソフィアに対する呼びかけを考えれば、いやでもわかる。こいつはソフィアの弟だ。


 前にソフィアには弟がいると聞いたことがあった。弟だけじゃなくて姉や兄もいると聞いていたが、家族に対する思い入れや心残りはないが弟のことだけが少し気がかりだ、と。


 だがそれでもソフィアはその弟が目の前にいるにもかかわらず、無視して離れようとしている。


 それでいいのか、と思ったが、こういうのは心構えってもんが必要だろう。少なくとも、これだけ青い顔をしている状態で合わせた方がいいとは思えない。


「あ、お、待ってください!」


 だから俺はソフィアの手を引いてその場を離れようとしたのだが、後ろからなんか声が聞こえる。どうやら門を越えて追ってきたようだ。


 どうする? このまま放置してたらずっと追いかけてくるだろう。それはまずい。

 そうならないように、どこかで話をつけた方がいいんだが、あんな奴と話してれば嫌でも目立つ。

 なら俺のやるべきことは……


「路地に逃げるぞ」


 だがそう言って逃げ出したものの、突然の状況で足が思うように動かないのか、ソフィアの動きが悪い。


 一応路地に逃げ込むことはできたがそうして逃げている間に追いつかれてしまった。

 そして、ソフィアのことを止めようとしたのか、こっちに向かう足を早めながら手を伸ばしてきた。


「あね——うぐっ!」

「誰だお前」


 カイルだって相手がどんん存在なのかは理解しているだろうが、こっちが逃げたにもかかわらず追ってきて、尚且つ掴もうと手を伸ばしてくるような相手を見過ごすことはできなかったんだろう。腕を取って転ばせ、組み伏せた。


「は、離せ! 僕を誰だと思ってるんだ!」


 そんなカイルに対して、男は暴れて抵抗しながら文句を言うが、その程度でカイルが退くことはない。


「ッ——! どう、して……」

「姉上! 僕です。ウィリアムです!」


 組み伏せられた男のことを見てソフィアが声を漏らし、その声を聞いた男——ウィリアムは暴れるのを一旦やめて、視線をソフィアへと移し呼びかけた。


「ウィリ、アム……」

「はい! 僕です、姉上! 父から姉上は奴隷として売ったと後になって教えられたので助けることはできませんでしたが……ご無事でよかった!」


 ……こいつ、なんかなぁ。

 確かにソフィアを心配していたって言葉に嘘はないんだろうが、いやほんと、なんかなぁ、って感じだ。

 うまく言葉にできない感覚だが、あえて言葉にするなら随分と上から目線に聞こえる。もっと言えば、ソフィアのことを侮っている——見下しているようにも思えるんだよな。それが自分の内から出てるのか、親やなんかに植え付けられた考えなのかはわからないけど。


「一応聞くが、〝それ〟はお前の弟か?」


 だから〝それ〟と呼んでしまったのも仕方ないと思う。多分視線だって普段よりも冷たいものになっているだろう。

 だがウィリアムは俺の視線を受けても怯むこともなく、お前は何者だ。こいつを退けろ。そんなふうに言うかのように俺を睨みつけている。


「……はい。正確には、弟だった者、と言ったほうが正しいでしょうけれど」

「え——?」


 しかし、そんなウィリアムの敵意はソフィアの言葉を聞いたことによって消え去った。

 姉だと思っている者から、『弟』ではなく『弟だった者』と呼ばれたことがそれほど衝撃的だったのだろう。ぽかんと間の抜けた顔を晒している。


「それで、なんの御用でしょうか?」


 ソフィアは弟だった者と対峙する覚悟ができたのか、まだ声に固さはあるものの、しっかりとウィリアムを見据えて口を開いた。


「え、あ、いや……姉上?」

「申し訳ありませんが、あなたの姉は死にました。……殺されました。他でもない両親によって。ここにいる私は、すでに家名を剥奪され、いなければいいものとして捨てられた者にすぎません。今の私はあなたの姉ではなく、ただ一人の主人に仕えるだけの使用人です」


 その声に色はなく、ただただ淡々と事実を口から吐き出しているだけ。普段のソフィアを知っているだけに不気味にも思えるが、事情を知れば仕方ないと理解できる。

 親のために、家族のためにと頑張ってもその努力は認められることはなく、結局はいらないものとして捨てられた。その過去がどれほど辛いかなんて俺が語るようなことではないが、少なくとも思い出して楽しい記憶ではないだろう。

 実際、最初にあった頃はまるで死んだように生きていたし、こんなふうに感情のない喋り方だった。


「え、いや、そんなっ……姉上!?」


 そんなソフィアの声をこいつは聞いたことがなかったんだろう。その冷たい声が自分に向けられたことで、ウィリアムは困惑し、再び拘束から抜け出そうと暴れ始めるが抜けることができず、最終的にはソフィアの顔へと視線を戻して姉を呼んだ。


「私事でお時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」


 だがソフィアはそんな声にも反応することなく、こちらに振り返って謝罪を口にした。


「いや、それは構わないが……いいのか? 前に弟とは話をしたいって言ってたと思うんだが」

「今の私はあなたの使用人として仕えている立場であり、仕事中です。話をするためだけに主人に時間を割いていただくわけにはいきません」

「俺は構わないが……まあ、それでいいならいいさ」

「それに、忘れられていなかったというそれだけで、私は十分です」

「……そうか」


 本当に心の底から決別したとか、折り合いをつけられたってわけではないだろうが、それでも本人が言うならいいんだろう。

 それに、ダメだったとしても今は少し時間をおいた方がいいと思う。俺みたいに、これから会おうって考えてたわけでもないし、心の整理をつけてからの方がいいだろう。

 もし考えた結果、改めて話がしたいってなったら、その時は俺が手筈を整えてやればいいさ。


「カイ——あー……適当に俺たちが離れてからそいつを離してやれ」


 その場を離れようとしたが、すぐに解放すればまた追いかけてくるだろうからしばらく拘束はそのままにしておいてもらおうと思ったのだが、カイルの名前を呼んでいいものか一瞬悩んで止まってしまった。

 悩んだ結果、結局名前を呼ばないことにしてそう告げ、俺たちはその場にカイルとウィリアムを残して離れていった。


「戻ったぞ」

「ああ、おかえり」


 宿に帰ってしばらく待っているとカイルも戻ってきたが、その背後には誰もいない。ちゃんと撒いてきたようだな。


「どうだった?」

「追いかけてきたし、解放した瞬間に掴みかかってきたが、まあ問題ないな」


 カイルはそう言って肩を竦めるが、そうだろうなってのは聞く前からわかってた。今のはただの確認でしかない。


「にしても、弟なんていたんだな」


 カイルがそんなふうにソフィアに声をかけたが、こいつは知らなかったのか?

 ……そういえば、今まで普段の会話の中でソフィアが身内の話を口にした覚えはないな。俺がソフィアの家族について聞いたことがあるのは、最初にソフィアが俺のスキルの教師役になった時と、母さんを探す旅に出てた最中の話くらいか。


 まあ進んで話すような楽しいことでもないし、カラカスでは血縁について聞くようなこともないから、知らなくてもまあそんなもんかって感じだ。


「ええ。姉と兄もいましたね」

「そちらは売られなかったんですか?」

「そうですね。私以外は三名とも〝貴族として相応しい〟天職を得ていますから。姉の方は王族の側付きとして仕事をしているほどです」


 なかなか際どいことをベルが聞いているが、すでにソフィアはなんともない様子で答えている。


 しかしまあ、王族の側付きね……。ならまあ、そのうち会うことがあるかもしれないか。


「俺たちには親がいないが、親がいても大変なんだな」

「まあ誰にだって事情はあるもんだろ。もっとも、俺やソフィアの場合は事情が特殊だろうから一般家庭とはかけ離れたもんだろうけどな」

「そうでしょうね。私の場合は父が成り上がりの貴族でしたので、もっと上をと目指すための道具として使われましたから、普通の貴族とは違うものだと思います」

「俺の場合は言わずもがな、だな」


 俺の事情もなかなか特殊だろうな。王子として生まれて捨てられ、拾われたかと思ったら犯罪者の溜まり場で育てられる。状況だけ聞けばそれなりにハードな人生にも聞こえるな。実際にはかなり楽して楽しんだ生活だけど。


「親にいてほしいって思ったことがないわけじゃないですけど、いなくてよかったとも思ってしまいますね」

「親がいなくても死にかけて、親がいても殺されかけるんだったら、どっちがいいのかわかったもんじゃねえな」

「まあさっきも言ったが、俺たちは普通じゃないから参考にしない方がいいぞ。普通の家は、多分もっと普通だ」


 カイルとベルは孤児だから親の存在がどういうものか分からないんだろうが、俺たちは参考にしない方がいいと思う。


「でもまあ、親がいないおかげで今があると思えば、まあそんなもんかって感じはするよな。親がいて、もっと普通の生活を送ってたんなら、俺は今の俺じゃなかったわけだし」

「過去の積み重ねで今がある、ですか。……カイルにしてはなかなか含蓄深い言葉を吐きますね」

「なんだよその言い方。まるで俺が普段はバカばっか言ってる見たいじゃねえか」

「バカ、とまでは言わないけど、じゃあ逆に賢い発言をしたことあった?」

「……あっただろ。多分あったさ」


 ベルとカイルがそんなふうに話しているが、ソフィアはそんな様子を見て笑っている。

 しかしやっぱりそんなソフィアの様子はどこか影がある感じだ。


「だがまあ、ソフィア。話がしたくなったら言ってくれ。そうすれば時間を作ってやるし機会も作ってやるからさ」

「ありがとうございます。その時は、ご面倒をおかけしますがよろしくお願いいたします」


 そうこうしている間に親父はエディを伴って帰ってきた。

 それからは城の様子だとか明日についての流れだとかを話し、適当に夕食を取り眠りにつくことになった。

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