第203話声の主
「あれは……」
「知っているのですね!? あれは誰なのですか!」
そして、一度想いが溢れ出してしまったらもうダメだ。私は先ほどまで抑えていた感情を抑え切ることができず、何か事情を知っている……いえ、答えを知っているであろう父に詰め寄ってしまいました。
「落ち着きなさい。まだ治ったとはいえ病み上がりなのだ」
父は私の肩を掴み、落ち着けと言うけれど、そんなことはできない相談だった。
私はもう、私自身の心を止められない。止めようなんて考えも思いつかない。ただ目の前にある光かもしれないものに手を伸ばすだけしかできなかった。
「だって、だってあれはっ……! あの声は、私のことを……」
——母親と呼んだ。
でもその言葉は口から出なかった。多分、その言葉を口にしてもし違ったら、なんてことを思いついてしまったからだと思う。
「落ち着け。彼はまだここに泊まっている。お前が寝てから今日で三日目だが、その間ずっと留まっているのだから彼自身にもお前に会う気があるということだ。焦らずとも、すぐに会える。むしろ病み上がりで調子が悪そうな素振りを見せれば心配させることになりかねんぞ」
父が告げた言葉で、態度で、父の言った『彼』というのが私の息子である可能性がぐっと高くなった。
だって、もしそうじゃないのならここまで優しげな様子を見せることはないでしょう。
「そ、れはっ……。そう、ですね」
そう判断した私はすぐにでも会いに行きたいと、父に向かって一歩足を踏み出しましたが、いきなり動き出したせいかふらついて父の方へと倒れ込んでしまいました。
倒れそうになった体を父に支えられ、先ほど見た自分の顔を思い出し、こんな弱っている姿で再会をするわけにはいかないと思い直した。思い直さざるをえなかった。
「もう少し落ち着け。それから、せめてフラつくことなくまともに歩けるようになってからにすべきではないか?」
父の言葉は正しい。今の私は普通ではないと理解できるし、万全とも言えない。
「気持ちを落ち着けることと、リハビリの意味合いを込めて、庭を歩いたらどうだ? ここは砦としての機能が優先されているため庭もさほど広くはないが、何もない平野を眺めるよりはマシだろう」
「……はい。そうさせていただきますわ」
私がそう頷くと、父は心配そうな視線を向けながらも頷いて部屋を出て行きました。
「もう三日も経っていただなんて……。流石に今回は無茶をしすぎたのでしょうか」
侍女達の手を借りて簡素ながら寝間着からドレスに着替えた私は、父に言われたように庭へと向かいました。
以前にも見たことのあるこの砦の庭は、砦であるが故にさほど美しさを求めて作られてはいませんが、それでも周囲の無骨な雰囲気とは違っている華やかな空間となっています。幼い頃に私も何度か来たことがあり、庭の一部には私の植えた花もあったほどです。
もっとも、その花はもうすでに残っていないでしょうけれど、落ち着くために、というのであればちょうど良い場所と言えるでしょう。
「やっぱり、まだいくらかだるさが残ってますわね」
ですが、そんな場所に向かって歩いている私ですが、踏み出す足は重く、歩くたびに気怠さが体を襲ってきます。
今すぐに動けなくなるほどではありませんが、これから運動をしろと言われるとため息を吐きたくなる程度ではありますね。
「あの時の声。あれは本当に……」
そんな重い足をゆっくりと交互に踏み出しながら庭へと進んでいきますが、その頭の中にはあの時見たぼやけた背中と声が何度も繰り返されている。
何度も思ってきたことだけれど、もし本当にあの子だったら、あの子がここにきたのだとしたら、私はどうすればいいのか……何もわからない。
守りたかったはずだ。会いたかったはずだ。会うために生きてきたはずだ。……そのはずなのに、いざ会えるかもしれないとなると、足が竦む。
あの人はあの子に何も話していないと手紙で言っていた。なら、あの子からしたら私は自分のことを捨てた母親だ。ここに会いに来たのも、過去と決別するためだったり、もう関わるなと言いに来たからという可能性もないわけではない。いえ、ないわけではないどころか、十分に考えられること。
それでも構わない。あの子が楽しく幸せに生きているのなら、生きていけるのなら、それでも構わない。私はあの子のために生きてきたのだから。
——————でも、やっぱり私は……
「こっちの方は植生が微妙に違うし、なんか面白い花でもないもんかね?」
「こちらを見終わったら街に出てみますか? もしくは庭師の方に聞いてみればなにかしらは手に入るかと思われます」
「あー、まああの人が目え覚ますまで暇だし、まだ街にも行ってないしで、庭師の人にも話は聞きたいけど結局は街に行くことになるかな」
そんなことを考えながら歩いていると、ふと庭のある方向から誰かの話し声が聞こえてきたため、私は足を止めてしまった。
聞こえてきた会話のうち一人は男性で、もう一人は女性の声。男性の方は新人の兵、にしてはどこか気楽な様子のある声をしているけれど、女性の方は使用人だと言われても頷けるような真面目な声をしていた。
でも、そのどちらともどこかで教育を受けたとわかるような綺麗な発声をしている。それはこんな砦という場所において不自然なものだと感じられた。
そして、その声はどうにも聞き覚えのあるように感じられる。はっきりと聞いたことはないはずなのに、耳に残る不思議な感覚。この不思議な感覚には覚えがある。
それに、今の話に出てきた『あの人』というのは誰のこと?
目を覚ますまで、ということは長期間寝ているということで、この砦で長く寝ているような人物はそう多くないはず。
そして、その多くない人たちの中には、私も混ざっていた。
声や態度や会話の内容。それらを考えると、この声の主である男性の方は、もしかしたら私の——。
そう考えると、居ても立ってもいられず私は止まっていた足を再び動かし始め、その足は徐々に早くなっていく。
「あ——」
「あ? あ——」
そして私は——
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