第204話母親と不意の遭遇

 ──◆◇◆◇──


 どうしてこうなったんだろうか?


「……」

「……」


 俺はずっと待ち望んでいた母親との再会……遭遇? を果たした。

 だがしかし……すっごい気まずいんだが、これはどうすればいいんだろうか?


 会いたかったはずだ。会いたいと思っていたはずだ。……だが、実際に目の前にすると言葉が出てこない。

 確かにこの人が倒れていた時には「母さん」なんて言葉が口から漏れたし、抱き抱えることも戸惑うこともなく近寄ることもできた。

 だが、それはこの人が気を失っていたからだ。

 こうして起きている時に会うとなると、なんて言えばいいのか全くもってわからない。


 想定外の遭遇によって固まった俺たちを見て、ソフィアが庭の一角にあったベンチへと俺たちを誘導したので、今の俺たちは隣に並んで座っている状態だ。

 だが、正直なにを話せばいいのかわからないし、どう切り出したものかもわからないために、俺たちの間には沈黙が訪れていた。


 そんなわけで、今の俺の心の内はすごく気まずい気持ちでいっぱいだった。


 どれくらい気まずいかって言うと、内心ではすでに「母さん」と呼んでいた俺だが、今は恥ずかしさも相まって「この人」なんてどこか他人行儀な呼び方をしてしまうくらいには気まずい。


「まずは、自己紹介から始められてはいかがでしょうか? お互いに、名前すら直接聞いたことはないのでしょう?」


 そんな俺たちを見かねてか、ソフィアが助け舟を出すようにそう言い出してきたので、俺はそれに乗ることにした。


「あ……あー、そうだな。ああ。……あーっと、俺の名前はヴェスナーです。家名はありません」


 そう言った瞬間に、俺の隣に座りながら下を向いていた母は、俯かせていた顔をバッと俺へと振り向かせると、徐々に表情を歪ませていき、その眦には涙を溜め始めた。

 そしてこちらに向かって飛びかかってきそうな様子を見せたが、それはぐっと抑えられたようで代わりに再び俯かれてしまった。


「……わ、私は……私は、リエータ・アルドノフ・ザヴィート、です。兄である侯爵の妹で、国王の妻を、しています」


 それからしばらくすると、この人は俯いたまま自己紹介をし始めた。

 途切れ途切れに聞こえてきたその声は震えていて、いろんな感情が渦巻いているのだろうということはすぐにわかった。

 多分、万感の想いが込められた声というのは、きっと今のこの人みたいな声なんだろうな。


 お互いに他人行儀な自己紹介。俺たちがまともにお互いのことを知るのはこれが初めてで、言葉を交わすのも当然ながら初めてなんだから、この会話の内容そのものは間違いというほどのものでもないだろう。

 けど、それが親子の会話なのかと言われると、言葉に詰まる。


 その結果、自己紹介を終えた俺たちは再び黙り込んでしまった。


 この人から話し出してくれないだろうか。

 なんと切り出していいのかわからなかった俺は、そう思って……いや、思ってしまって、チラリと横目で母のことを盗み見た。そして、気が付いた。


 多分まだ怪我の状態が完全に良くなったわけじゃないんだろう。盗み見た母の横顔は青い顔をしていた。

 よく見るとその顔はどこかやつれているようにも見える。

 それ以外にも視線を動かしてみれば、体も震えているし、手も強く握り締められている。


 当たり前だ。治癒の魔法をかけたって言っても、それだって完璧に治せるわけじゃない。

 怪我は治ったんだとしても、失った血液まで戻るわけじゃないし、治ったと言ってもその脚は一度は使い物にならないくらいの怪我をしたんだから、治した際にその分の栄養を消費することだってあるだろう。


 体の震えだって当然のことだ。俺がこんなにも考えて……ビビってんだから、相手だって同じくらいに恐れていたとしてもおかしくない。


 それに気づいてしまったからこそ……


「……怪我は、ありませんか?」


 俺は、自分から話しかけることにした。


 怖かった。たかが一瞬で終わる言葉を吐き出すのが、とても怖かった。


 だが、それでもこの人をこのまま放っておくよりはマシだと思ったんだ。このまま放っておいて、いつか声をかけてくれたらな、なんて待ってるよりも、自分から話しかけたほうがよほど楽だ。


 それに、ここまで来てただ待ってるだけなんてのは、カッコ悪い。待つのは男の甲斐性だけど、待たせるのは傲慢ってもんだろ。


「え……」


 母は俺がいきなり話しかけたことに驚いたのか、一瞬戸惑ったような声を漏らしてこっちを見たが、俺と目が合うと慌てたようにそらされてしまった。


 なんだか若いカップルみたいな反応だな、なんて思ってしまったが、相手は母親だ。

 そりゃあ王妃なんてもんをやってるだけあって美人だし、この世界の結婚状況を考えるとかなり若いうちに結婚したんだろう。外見年齢的には三十代そこそこ程度だから、見ようによっては恋人のように見えなくもないだろうな。

 だが親子だ。


 ……しかしまあ、そんなことを考えたからだろうか。考えたと言うよりは頭の中に浮かんできただけだったが、そのおかげでなんだか先ほどまでより気が紛れ、心が軽くなった気がする。


「いや、あー……あの時すごく頑張ってましたし、大変だったはずですし……最後には攻撃も受けてたから、傷跡や後遺症なんかは、その……残らないのかな、と……すみません」


 一度言葉を吐き出した俺の口は、今度は先ほどに比べて滑らかに動き出した。

 それでもまだつっかえながらだったが、それでも言いたい事は言う事はできた。

 最後に謝ってしまったのは……まあ緊張していたからだ。照れ隠し的なあれだよ。


「……ど、どうして謝るの? 心配して、くれたのでしょう? ありがとう。私は平気よ。傷も何も残っていないわ」


 俺の言葉を聞いて、母はこちらの様子を伺うようにおずおずと顔を向けながら応えてくれた。


「そう、ですか。なら、よかったです」


 そんな母を見て、そしてその口から直接大丈夫だと聞いて心から安心することができた俺は、息を吐き出しながらそう応えた。


「あ、あなたは、どうしてここにいるの?」


 俺から話しかけたことでその場の沈黙が消えたからだろうか。今度は母の方から話しかけてきた。


「……妹の故郷に、人を探しにきたんです」


 そんなふうに少し回りくどい言い方になってしまい、「母を探しにきた」とはまだ言えなかった。

 俺は母に会うことができたし、こうして話すこともできた。だが、それでもまだこの人を母と呼んでいいのかはわからないのだ。

 そう呼びたい気持ちはある。だが、まだこの人が俺のことをどう思っているかを聞けたわけではないから、本当に母と呼んでいいのか不安なのだ。


 俺のことをどう思っているのか、どうしたいのか。そのことについて聞かないといけないんだが……最後の一歩が、まだ踏み出せないでいる。


「俺に父親はいませんが、父親の代わりをしてくれた人はいますし、俺はその人のことを本当の父親だと思っています。——でも、母親はいませんでした」


 だから、少しずつ俺のこれまでを話していくことにした。そうして話していけば……話して、自分で納得することができれば、その時はきっと最後の一歩を踏み出すこともできるだろうから。


「その父親に、母親に会いに行くように言われたんですけど、その途中で妹に会って母親はここにいるってわかったんでこっちに」

「……そ、う」


 母は、俺の言葉になんとも言えない〝弱い〟相槌をうった。

 そのまま話を続けようとしたのだが、何か話したそうに口を開いては閉じてを繰り返していたので、俺は母が何かを言うのを待つことにした。


「あ、あなたは、その……は、母親に会って、どう、するのかしら? 自分を捨てた母親に会って、何を……」


 ……それを聞くのは怖かったはずだ。どう思っているのか、どうするのか。それを先に聞くのは俺のつもりだった。「あなたは俺のことをどんなふうに思っているんですか」って、そう聞くつもりだったんだ。そのために自分のことを話してたわけだしな。


 でも、先に聞かれてしまった。俺が覚悟を決めるなんて足踏みをしている間に、母は覚悟を決めて問いかけてきたのだ。


 なら、その覚悟に答えて真剣に答えなければならない。もとより自分の気持ちを偽るつもりなんてなかったが、恥ずかしいだとか照れ臭いだとか言ってぼかすこともない。そんなことをすれば、たとえそれが嘘をついたのではなかったとしても、この人の気持ちを踏み躙ることになってしまうから。


「正直何を話せばいいのかなんてわからない。会ってどうするのか、何を言うのか、その人のことを本当に母だと思えるのか。何もわからない。けど、それでもあって見ないことには始まらない。だから、俺はここにきたんです。母に会うために」


 だから俺は、母の顔を真っ直ぐに見つめながら答えた。

 今ので答えになったかはわからないけど、それが俺の正直無気持ちだ。


「それに、俺は母が俺のことを捨てたとは思っていません」


 そうだ。そもそもの間違いがそこだ。確かに父親の方は俺のことを捨てたんだろう。だろうっていうか、捨てた。むしろ殺そうとした。


 だが母親は違う。母親——目の前にいる俺の母は、最後まで俺のことを捨てようとはしなかった。捨てず、最後の瞬間まで悲しんで泣いてくれた。手を伸ばしてくれた。俺はあの時のことをずっと覚えている。


 だから、俺は母が俺のことを嫌ったのだとも、捨てたのだとも思ってなんかいない。思ったことすらない。それだけは断言することができる。


「違う!」


 しかし、母にとっては思うところがあったのだろう。俺の答えを聞いた瞬間に立ち上がり、乱暴に髪を振り乱しながら否定した。

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