第149話レーネ・リリントン

 

「ふえ?」


 頭を下げていた少女はピクッと体を震わせると顔を上げて俺へと視線を合わせたのだが、驚いたように俺のことを見るとその表情は徐々に情けないものへと変わっていき、しょぼんとしたものなってしまった。


「……そう、ですよね。わたしみたいなのを覚えてるわけないですよね……」


 いや、確かに忘れてる俺が悪いんだけど、ここまで悲しげにされると罪悪感が半端ないな。

 でもまじで思い出せない。本当にあったことがある……んだろうけど、どこであったんだ?


「あの、えっと……森で襲われているところを助けていただき、スキルの使い方まで教えてもらったんです」


 どうにかしてこの少女との出会いを思い出そうとしていると、少女はおずおずと、不安そうにしながら俺たちと会った時の出来事を説明してくれた。


 森で襲われてるところねぇ……。それに、スキルの使い方ってなると……あー、そんなようなこともあったような気がする……かな?


「この方はおそらくですが、以前私が冒険者として登録した際、魔物の討伐で赴いた森で出会った司書の方ではないでしょうか? 司書と魔法師のスキルの組み合わせについて興味を持って関わった少女です。確か、授業で必要な素材を集めるために森に入り魔物に襲われていたところを助けたことで出会ったはずです」


 なんて朧げながらその時のことを思い出してきたが、今ひとつ確証を得られない俺に教えるようにソフィアがより詳細な説明を加えてくれた。


「そ、そうです! その時に教えてもらった方法のおかげであの後なんとかなりました!」

「冒険者の登録……ああ、居たなそう言えば。まあなんとかなったなら良かったよ」

「はい!」


 そういえばそんなのもいた。あの時は確か、ただスキルの使い方——もっとこうすればいい感じになるんじゃないか、って具合に興味を持ったから手を貸しただけで、そのあとは特に関わるつもりはなかったから名前も聞かずに別れたんだったな。


 でもそうか、こいつがフィーリアの師弟になったのか。確かにあの時落ちこぼれ的な話を聞いてたしダメダメだってのも聞いてたから成績下位者として選ばれるのもおかしくはないが……


「三人がお知り合いなのはいいのですが、私を置いてけぼりにしないでいただけませんか?」


 と、そこで俺たち三人の話に入れないフィーリアが少しむくれた様子で声をかけてきた。


「あっ! すみません!」


 本気で怒っているわけではなく、ただの不機嫌さをアピールするためのポーズだというのに、少女——レーネはペコペコと何度も頭を下げて謝っている。

 そんなレーネの様子を見て、冗談が聞かなそうだとでも思ったんだろう。フィーリアは表情を普段のものに戻すと小さく息を吐き出してから口を開いた。


「詳しくお話を伺いたいところですが、レーネさんはこの後何か御用はおありですか?」

「いえ! 何もありませんし、王女様のためとあればたとえ親の死に目だろうと無視して構いません!」

「それはこちらが困るのですが……ともかく、今は落ち着いて話のできる場所に移動しましょうか。ここでは落ち着いた話はできませんし」


 俺たちしかいないとはいえ、まともに防諜も施していない場所で呑気に話ができるほど俺たちもフィーリアも気が緩んでるわけじゃない。レーネはその辺りを考えていないだろうが……まあ、その辺りは今後も無理だろうな。


 そんなわけで、俺たちは教室を出て移動することにした。


「ここは……」

「私に割り当てられた自室ですよ。広さだけは無駄にありますから、遠慮しないでどうぞ」

「ふわぁ……」


 やってきたのはフィーリアの与えられた学生寮。

 寮、と言っても流石は王女なだけあって、その広さはかなりのものだ。多分他の生徒の何倍も広いんだろうな。部屋だって従者用としてちゃんと用意してあるし、普通はこうじゃないだろう。

 内装だってただの学生寮というには些か派手すぎる。どこぞのホテルの一室と思って貰えばわかりやすいだろう。それも、結構お高めのやつだ。さすがは王女。さすがは金持ち。


「では改めて自己紹介といきましょうか。先ほども申し上げましたが、私はフィーリア・アルドノフ・ザヴィート。この国の第三王女です」


 初めて見たであろう金持ち専用の寮の部屋に驚きを見せながら、レーネは間抜けに口を開けて部屋の中を見回していた。


 その間にフィーリアは席につき、ソフィアがお茶と菓子を用意していく。相変わらずソフィアは手際がいいな。

 みるみるうちに準備が終わり、その様相はお茶会かと錯覚するほどのものへと変わった。その間俺はただ立ってるだけだ。フィーリアに椅子は引いてやったし、今もレーネのために椅子を引いているが、まあそれだけ。……うん。この様子を見てればソフィアの方が頼み事をするには適任だと思われても仕方ないかもな。俺だってそうするだろうし。


「わ、私はレーネ・リリントンです! この度は恐れ多くも王女様の師弟制度の相手となりました!」


 フィーリアが改めて名乗ったのを見るとレーネも再び勢いよく頭を下げながら自己紹介をしたが、頭を上げても席につく様子がない。


「ありがとうございます。リリントン先輩も席にどうぞ」


 王女に籍を勧められたことでレーネは若干慌てながら俺の引いた椅子に座り、俺はフィーリアの背後に移動して待機することにした——んだが、ずっと立ってんのって面倒なんだよな。座らせてくれないものだろうか。


 席に座っても背筋を伸ばして緊張した様子を見せているレーネのことを慮ってか、フィーリアが俺に向かって視線を向けてきた。多分これは緊張をほぐせってことだろう。いくら俺たちが知り合いとは言っても、そんな仲良く会話をするような関係じゃない。ただちょっと知り合って話をしただけだ。

 が、まあこのままでは話が進まないだろうし、なんとかするためにとりあえず名乗ることにする。


「あー、一応久しぶりになるのか。俺はベルナー。家名はない」

「お久しぶりです。私は従者のソフィアと申します。お元気そうで何よりです」


 名乗ると言っても、口にした名前はもちろん偽名だ。本名なんて名乗ったところで気づかないだろうが、名乗る意味もないし別に構わないだろう。

 俺の後に続いてソフィアもほんのりと笑みを浮かべながら名乗り、レーネに声をかけた。


 そんな俺たちの言葉を聞いてレーネは幾分か緊張をほぐすことができたのか、体からわずかに力が抜けた様子が見てとれた。


「こちらの二人は私の側近——なのですが、どうにも三人は面識があるようですね」


 俺たちが名乗ったことで緊張が薄まったレーネを見て、フィーリアは俺たちをだしに使うことに決めたようだ。


「といっても、大した関係じゃないぞ。ただ襲われてるところを助けて少し話をしただけだ」

「話をしただけなんてとんでもありません! あの時のおかげで私は両親の期待を裏切る事なく進級することができたんですから!」


 肩を竦めながら吐き出された俺の言葉を否定するように、レーネは音を立てるほど勢いよく立ち上がって叫んだ。


 俺としては、正直言って大したことをしたつもりはない。ただ興味を持ったからパズル感覚で考えただけ。街中の壁にクイズが貼られてたからちょっと考えてみた、その程度のもんだ。


 しかしあの時もソフィアに言われたことだが、俺にとってはどうでもいいこと、大したことないことでも、それが他の誰かにとっては心を揺さぶるほどの出来事である場合だって存在する。それはこの少女にも当てはまったのはわかっていたが、今でも感謝し続けていたらしい。


「あの時はろくにお礼を言うこともできませんでしたし、名前を聞くこともできませんでしたけど、こうして出会えた奇跡に感謝です!」

「そういや最後まで名前を聞かなかったし、名乗ることもなかったな」


 あの時はこれ以上関わることはないだろうと思っていたのだが、まさかこんなところで関わることになるとはな。世の中広いようで狭いってのはまさにその通りで、人生って意外と意外で満ちている。


「あれ? でもソフィア様はベルナー様の従者なのでは……? でも家名がないって……。……?」


 前回会った時は名乗っちゃいなかったが、ソフィアが俺の従者として動いていたのはわかったんだろうな。従者を持つくらいだから良いとこの坊ちゃんのはずだ。それなのに今は二人とも王女の付き人としてここにいるのは確かに違和感を覚えても仕方がないだろう。


 だが、当然だが話すわけにはいかない。話してもいいんだが、その場合はこいつを完璧な味方に引き摺り込むことができてからになる。


 まあ、こいつなら味方にしても問題ないと思うけどな。能力も問題ないし、人柄も……まあ……問題ないといえば問題ない。いや一部でものすごく問題があるんだけど、裏切りとかそう言う意味では問題ないと言って差し支えないだろう。


 ただ、親がどう動くかだよな。こいつも貴族である以上派閥やらなんやらで色々とあるだろうし、親にだって思惑があるだろう。その場合は残念だけどさようなら、って感じだな。


 でも、こいつは逃すにしても勿体無い才能なんだよなぁ。今の今まで忘れてたくせに、と言われるとあれなんだが、思い出した以上はな……。

 あの時は母親を探すのが最優先でそこまで考え至らなかったが、こうして妹に出会い母親に会う算段がついて色々と落ち着いて考えてみると、こいつは仲間にしたほうがお得な気がする。正直言って、フィーリアが仲間にしないなら俺が引き抜きたいくらいだ。

 どうせ俺は今回の件とは別口で戦争になるだろうし、その時に使えそうな奴はいくらいても構わない。むしろ自分から進んで勧誘していくくらいの気持ちは必要だろう。


 ってわけでこいつについては考えないとなんだが、まあその辺は要相談というか、後で話しをしておこう。


 とりあえず今は話せないわけだし、適当に誤魔化しておこう。こいつなら多少脅せばそれだけで十分だろう。


「色々と王族にまつわるあれこれがあるんだが、知りたいか? 知っただけで殺されるかもしれない危険があることだ。そもそも今の状態であっても割と綱渡りしてて、それを誰かに知られようものなら、速攻で家ごと消される可能性があるんだが……」

「め、めっそうもありません! わ、わたしは何も知りません! 気になりません! 死にたくありません!」


 俺の言葉を聞いたレーネは、驚いたように目を丸くした後に手を自分の前で勢いよく振って否定の意思を示し、泣きそうな表情になって今度は首までも勢いよく横に振り出した。


 ……思ってた通り拒否ってくれたのはいいんだが、これは俺がいじめてるみたいじゃないか?


「とのことだ。わかってもらえたぞ」

「半ば脅迫のような気もしますが、まあいいでしょう。面倒ごとなのは事実ですし、話さないと言うのであればそれに越したことはありませんから」


 フィーリアは俺たちのやり取りを見て軽くため息を吐き出した。


「これを」


 が、直後にフィーリアはそう口にしながら自分の耳を指でトントンと叩いた。それは遮音の魔法具を起動させろと言う合図で、俺は持っていた道具を起動させた。

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