第144話ここには居ない

 

「そうですね。山ほど、とは言いませんが、いくつかは。あなたのせいで母は変わってしまった。あなたがいなければ母が変わることも、私が物心つく前から厳しい教育と受けたこともなかったでしょう。あなたが奪われてしまったから……もっと言えばあなたが生まれてきてしまったから私たちの人生は狂ってしまった」


 フィーリアがそう言い切った瞬間、部屋の中には重く威圧感の感じる空気が流れ始めた。

 これには使用人達も驚いたのか、困惑した様子を見せているのがわかるが、それでも俺がそちらに顔を向けることはない。


 こいつの言っていることは間違いではない。俺が望んで産まれたわけでも、望んで母の元を離れたわけでもないが、結果として俺が産まれ、そして母のもとからいなくなったことで母の様子が変わり、娘であるこいつの人生が変わったのは確かだ。


 しかし、それでも俺はフィーリアから視線を逸らすことなく真っ直ぐに見つめ返した。


 それから僅かに時間が流れ、フィーリアは目を瞑って小さく息を吐き出すと、俺に向けていた威圧感を消してカップを手に取りそれを口に運んだ。


 そしてカップを置くと軽く目配せをしてメイドを呼び、空になったカップを下げて新しいものを出してもらっている。


 フィーリアは新しいお茶を出すメイドの様子を見ながら、徐に口を開き、話し始めた。


「——とはいえ、私にとってあの母は最初から変わっていませんし、他の王族たちのような関係が良かったのかと言われると今の方が良いと思っています。本来とは違う、狂った人生の方が歓迎できるものでしたので、お兄さまへの恨みはさほどありません。教育だって、甘やかされて育っていたらここで私の人生は順風とはいえない状態になっていたでしょうから」


 そうは言っているが……恨みはさほどない、か。全くないわけじゃないんだな。当然と言えば当然か。

 でも、そのことについては言及しない方がいいんだろうな。


「それはそれとして、母に関してですが……」


 ああそうだ。こいつが俺のことをどう思っているのかってのも気にならないわけじゃないが、今の俺はそんなことよりもそっちの方が聞きたいんだ。


「今は会わせて差し上げることはできません」


 タメを作ったあとに口にされた言葉を聞いて、俺は一瞬だが間の抜けた表情をしただろう。

 だが、そのすぐ後に自分でもわかるくらいに眉を顰めてフィーリアを見つめ——いや、睨みつけて問いかけた。

 こいつが俺のことをどう思おうが気にしないが、母親に対する嫉妬や独占欲から俺を合わせまいとしてるんだったら、それは受け入れられない。


「なんでだってのは、答えてくれるか?」

「はい。もちろんです。会わせることができないのは私の心情的なものではなく、物理的な問題です」


 最悪の場合は依頼失敗になったとしてもこのままこいつの元を離れて城の中を探ろうかと思ったのだが、どうやられっきとした理由があるようだ。


「現在母はこの城におりません。ですので、今の状況で会わせると言うことはできません」

「いないって……だから調べてもわからなかったのか」


 一応俺は首都に来て自分の状況を確認したり逃げ道や隠れ家になりうる場所の調査なんかをしていた。だってもし万が一にでも身バレして襲われでもしたらやばいからな。


 だが、そういった諸々を終えた後は母親の居場所を探すために真っ先に城を調べた。当たり前だ。調べるのなら一番可能性が高いのが城なんだからな。

 俺のスキルの届く範囲はせいぜいが五百メートル程度とはいえ、それでも《意思疎通》を使えば城の中の様子を知ることができる。だから城の壁に寄りかかって限界ギリギリまで調べたんだが何もわからなかった。そしてそれは数日続けても同じだった。わかったことと言えば城の敷地が無駄に広いってことと、城の中のちょっとした出来事くらいなものだ。


 それでも、わからなかったのは俺がそもそも王妃の外見を伝聞でしか知らないから植物達も詳しく知ることができなかったんじゃないかと思っていたんだが……そうか。最初っから城にはいなかったわけか。


 だが、そうなるとどこに行ったんだって話になる。数日程度ならどこかに行くのもわかるが、俺が調べ始めてから一ヶ月近く経つぞ? それだけの長期間、王妃がどっかに行くものか?


「どこに? 側室とはいえ王妃だろ?」

「実家の方に帰っていただいてます。今私は色々と問題があるわけですが、母の方を狙われては問題ですから。それに、こちらにおいておくともし襲撃があって私が狙われた場合、過保護なくらいの心配をしてきてまともに動けなくなってしまいますので。ですので少々離れてもらいました」


 ……あー、そういえばこいつは今兄弟と争ってるんだったか。まあ俺もそれ関連の依頼でここにいるわけだしな。

 娘の口から『壊れた』なんて言葉が出るくらいに母親が過保護だってんなら、こいつが危険な目に遭わないように常に一緒にいるくらいはするかもしれないな。それを考えると、実家の方に避難してもらうってのはありなのかもしれない。そもそもそれを認めさせるのに一仕事かもしれないけど。


「丁度母の実家の方でも問題があったようですし、その支援として向かうと言う理由さえあれば城を出て実家に行くくらいなら、たとえ王妃という立場であったとしても可能ですから」

「問題? 何があったんだ?」


 今まで母を探してきただけに、母親本人ではないにしてもその実家で何か問題がと言われるとちょっと……いやだいぶ気になる。


「母の実家はこの国の西側にあるのですが、小さな領地を挟んでそのさらに向こうにある国——ザフトとはあまり関係がよくありません。普段から小競り合いが起きてはいたのですが、最近はそれがより一層活発になってきたようでして、国境沿いにある領から救援要請がアルドノフ家に出されました。救援と言っても危機的状況というわけではないのですが、助けを出さなければそのうち国境沿いの領は落とされてしまうでしょう。ですので、それを食い止めるためにアルドノフ家から物資、及び兵の支援を行ったのですが、その援軍の指揮官としてアルドノフ家の前当主であるお爺さまが向かわれました」

「前当主って、そんな大物出していいのか?」

「と言うよりも、出さないとまずいのです。もし万が一が起きた時に半端な者を出していると、救援先の相手にこちらの言うことを聞いてもらえない可能性があります。援軍を求めたとはいえ、相手も国境を任された領主なのですから」


 当主が大領地とはいえ、当主でもない派遣されただけのやつの言うことを聞けるかー、みたいな? そうでなくて仮にいうことを聞いたとしても、迷って判断が遅れたりすれば緊急時には致命的。だが〝前〟とはいえ自分よりも上位の家の当主が出てくれば素直に言うことを聞いてくれる、ってか。


「ですがそうなると領地には現当主である伯父だけしか責任者たりえるものが残らないことになります。ただでさえ忙しい領内に関する仕事に加え、援軍への支援に関する仕事も増えることになりますと、流石に不備も出てきますので、母はその補助として支援に関する処理を行なっているそうです」


 まともに運営している大領地ともなれば領主の仕事だけでもそれなりの忙しさはあるだろうに、そこにさらに戦争関連のあれこれ——物資の調達だとか周辺地域との話だとか問題となっている国境との情報交換だとか、まあそういった諸々まで加わるとなると忙しい、なんて言葉では済まないだろう。少なくとも一人で全部ってのは無理だと思う。


 普通は妻も手伝うものなのかもしれないが、貴族の女なんて大して使い物にならない。これは差別などではなく、仕方のないこと。そういうものなのだ。何せ、使える使えないを論ずる以前に、そういう教育を受けてないんだから。

 貴族の女ってのは社交会で愛でられ、家の評判を高めるためにいる存在、家のつながりを強くするためにいる存在で、政治には関与しないものだ。

 なので、現領主にどれほど妻がいるのかわからないが、もし複数いたとしてもそれが役に立つ保証はない。


 だが、王妃ともなれば別だ。王妃も社交外交が主な仕事だが、それらをこなすには政治や軍事についても知っていなければやっていけない。そんなわけで、忙しい現当主としては王妃である妹の手が借りられるのであれば助かるだろう。

 まあ大領地ともなれば妻が全く使い物にならないということもないだろうけど、それでも人手が大いに越したことはないのだろうと思う。


「ですので、母に会うのであれば西との戦争を落ち着かせ、なおかつこちらの騒動を終わらせる必要がありますね。ですが、個人で戦争を終わらせると言うのは現実的ではありませんので終わるまで待っているしかありませんし、仮に今日にでもあちらの問題が片付いたとしても、こちらの騒動が終わらなければ呼ぶことも会いに行くこともできません」

「……まあ、現実的に考えると、こっちのことを終わらせて待ってるしかないか」


 フィーリアは個人で戦争を終わらせるのは〜、と言ったが、多分俺ならできると思うんだよな。敵が攻めてきた瞬間に天地返しして種まいて大きくさせて……それを何度か繰り返せば多分終わると思う。


 けど、もし戦争を終わらせに行くにしても、先にこっちの問題を片付けないと余計な問題を引き連れて行きそうなので、母親のもとへ行くことはできない。


「——作戦はあるって言ったよな? 本当に三ヶ月で終わるのか?」


 なので、つまるところ俺のやるべきことはこいつの依頼を達成するために全力を尽くすことだろう。


「はい。ちゃんとありますよ。作戦ですが、まず前提として私は今度の新学期に学園に入学します」

「入学? ……あー、そう言えばそんな年齢……いや待て。俺が今年で十五だから、妹だってんなら一つ下になるはずだろ? なんで今年入学なんてことになってんだ?」

「妹ではありますが、産まれた年度はあなたと同じなので世代で言えば同学年ですので、入学も今年になりますね」


 俺と同年代ってことは、俺がいなくなったすぐ後に身籠ったってことになる。壊れたと評されるほどの母親が、大事な息子がいなくなった直後には次の子をと言われるのはどんな気持ちだったんだろうか?

 それが王妃として、貴族の娘として求められる責務であるのは理解しているが、そのことを思うとどうにも言葉にできない苛立ちのようなものが胸の中で燻り始めた。


 だが、今更そんなことを言ったところで何になるわけでもない。すでに妹は生まれているわけだし、もう十数年も前のこと。終わったことだ。


 ……ただ、特に興味がなかった国王への評価はマイナスになったな。元々マイナス評価ではあったけど、それがよりひどくなった。


「……なるほどな。入学おめでとう」


 それはそれとして、俺と違って入学することができたんだからこいつの入学は祝ってやるべきだろう。

 ああ、皮肉じゃないぞ? この世界では命が軽い。それは俺のことを思えば理解できることだが、成人とされる年齢まで生きるのはそれなりに難しい。それは平均寿命が短いことからもわかるだろう。


 入学の祝いや成人の祝いなんてのは、いわゆる七五三みたいなものだ。あれだって元々はその歳まで生きられてよかったね、って祝い事のはずだし、それと似たようなもの。成人し、入学することができるまで生きることができておめでとう、そんな感じだ。


 ……なんか俺が言うとどうしても皮肉っぽくなるが、それは出生を考えれば仕方ないか。何せ、俺は捨てられ祝われなかった側で、フィーリアは捨てられず祝われる側なんだから。


 だが、こいつの入学を祝ってるのは本当だ。血の繋がりを実感したわけでもないし、妹だって感覚があるわけでもないが、それでも妹なのは本当なわけだし多少なりとも祝うくらいはするさ。

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