第102話ソフィアの未練

 

「——いやー、なんか旅の初っ端から結構な額が手に入ったな」


 アルドア家の館を出た俺たちだが、歩いて帰ろうとしたところで呼び止められ、馬車に乗って送ってもらうこととなった。

 そんな馬車の中で、俺は先ほどもらったばかりの袋の中身を確認していた。


「……ヴェスナー様」


 が、そんなことをしていると俺の目の前に座ったソフィアが俺の名を呼んだ。これはもらった袋の中身を確認して行儀が悪いと言っている——わけではない。


「わかってるよ。でも手ェ出してこないんだったら無視でいいだろ。カラカスの住人が街に入り込んだってわかってんだから警戒しないわけがない」


 こんな馬車で送るのは確かに客人への礼儀なのかもしれないが、それ意外にも目的があるのだろう。ソフィアはそのことを言っている。

 俺たちを送る以外の目的——それは俺たちの宿の確認と、行動の監視だ。


 けど、街を守るものとしての判断としては当然だと思う。何せ兵士だか騎士だかわからないが、彼らを倒した賊を圧倒したんだ。そんな戦力が、それも犯罪者予備軍が来たんだったらその行動を監視するのは当たり前だ。

 けど……


「どうせ見られてるのなんていつものことなんだ。今までも護衛と称して見られてきたわけだし、今更変わらんだろ」


 ぶっちゃけ今までも家の奴らに護衛という名の監視をされてきたんだ。そんな中で育ってきた俺としては、この程度の奴らに見られたところでどうでもいい。無理して排除する必要はないし、排除したところでどうせ追加される。あとはさっき会ったアルドア家とも敵対関係になる。仲良くする気はほとんどないが、敵対することもないので、俺たちの前に出てきて邪魔をしなければ放置だ。どうせこの街を出てったらおしまいだろうしな。


「とりあえず、今日はもう宿に戻るだけだし特にまずいこともないだろ。逆に考えれば、この街で何か起きたとしても俺たちの身元は保証してくれるってことだし、まあ気にするな」

「はい」


 そうして俺たちは馬車で宿まで送り届けられ、宿の中へと入っていった。


「——いつになってもこの作業は辛いな。こう、手にまとわりついてくる感触というか、ヘドロの中に手を突っ込んでるとこんな感じなんだろうな」

「臭いがないだけマシなのではないでしょうか?」

「まあそうだけどさ」

「最初の頃は酷かったですからね……」

「ああ……今となってはいい思い出……でもないな」

「はい……」


 宿に戻ってきた俺たちは夕食を食べてから部屋へと戻っていったのだが、何をしているのかと言ったらスキルの修行だ。


 今の俺の位階は第五。第六に上がる条件は第五スキル《肥料生成》を一定回数使うことで、そのために俺は袋の中に種を握ったままの手を突っ込んで、握った種を一粒一粒肥料化させている。


 ……わけなんだが、肥料ってのは簡単に言えば有機物が腐ってできるものだ。普通なら時間がかかるであろうそれだが、スキルであれば一瞬で作ることができる。だが、たとえスキルであってもそれを作るってことは腐るってことで、その際に出てくる腐敗臭はどうしても出てくる。

 室内でそんなことをすれば、よく考えるまでもなくひどいことになるに決まってる。


 だが、このスキルの修行を始めることにした当初、俺はその考えに思い至らず、宿の中でスキルを使って酷いことになった。

 その時はソフィアの《浄化》スキルで俺の作った肥料や部屋を浄化したことで臭いが消えたが、ずっとそれをやらせるわけにはいかない。何せ俺とソフィアではスキルの使用限界回数が違うんだ。俺が肥料を作るたびにソフィアに浄化させてたんじゃ、途中でソフィアがバテることになる。


 なので、俺は初めて宿の中で使った翌日に臭い消しの魔道具を探し、買うこととなった。

 今では毎回第五スキルを使っての修行前にはこの道具を起動させ、臭いが手より一定範囲外に漏れないようになっている。


 だが、匂いはどうにかなったが、感触は如何ともし難い。手の中のヘドロがこう、グニョグニョと……。

 多分これをあと二ヶ月近く。最低でも一ヶ月半は続けることになると思うとちょっと憂鬱だ。


「何にしても、今は臭いが漏れないわけだし、終わった後にソフィアに《浄化》してもらえば汚れなんかは問題ないんだ。ほんと、助かるよ」

「いえ、この程度でしたら大したことではありません」

「この程度っていうけどお前、もしお前がいなかったら俺は両手から腐敗臭をさせるやつになるんだぞ? だから本当に助かってるよ」


 この間の戦闘でもそうだったが、ソフィアの《浄化》がなかったら俺は結構悲惨な状態になってると思う。布で拭ったとしても完全に臭いが落ちることはないだろうし、常に手から腐敗臭をさせるとかいやすぎる。

 最初は連れてくる気はなかったけど、結果的にソフィアがついてきてくれて良かった。


「それで明日からの予定だけど、引き続き観光でいいか?」

「よろしいのではないでしょうか。急いで何かをする必要もありませんし、どのみち馬車を受け取るまでは大したことはできませんから」

「じゃあそれで。どっか行きたいところはあるか?」

「そうですね……食料の類は最終日に注文を入れて出発前に取りに行く、と言うのがいいかと。それ以外でしたら特には」

「なら適当にぶらつくか」

「はい」


 そんな感じで俺たちの明日からの予定とも呼べない予定は決まったのだが、ソフィアの声が少し弾んでいたように聞こえたのは気のせいではないだろう。


 かくいう俺も楽しみではある。場所がそれほど変わっていないんだから文化や特産品なんかもたいした違いはないだろう。だが、それでもその場所特有の何かってのはあるもんだ。

 例えば小さくやってる家庭料理を売ってる店とか、子供や年寄りの作った工芸品や小物とか、そういうの。まだ旅を始めたばっかで偉そうなことを言えるようなもんじゃないけど、それでも旅に出て良かったと思う。その原因の一端と今の状態に気に入らないものはあるけど、旅自体は悪くない。


 まあそれも、誰かと一緒に話しながらだから楽しいのかもしれないけど。やっぱりソフィアが一緒にいてくれた良かったな。



 翌日、俺たちは朝食を食べ終わった後はゆっくりと寛ぎ、外が賑わってきた頃になってから街へと繰り出した。


「相変わらず、と言っていいのかわかんないけど、やっぱどこの街も平和だよな」


 特にやることもなくのんびりと歩いているのだが、すでに何時間か経っているにもかかわらず事件の一つも起きていない。殺人はともかくとしても、窃盗の一つもだ。それは当たり前のことではあるのだが、今まで住んでいた街の常識からすると驚きでならない。


「あの街と比べているのでしたら、基準が悪いかと思いますよ」

「知ってる。あそこは治安が悪すぎだ」


 俺自身、肩を竦めながら笑って言ったそんな言葉に、ソフィアも笑いを返してきた。


「ですね。これが普通の街並みというものです。私のいた街も……多分こんな感じだったのでしょうね」


 だが、そう言った言葉の終わりはどこか寂しそうなものに感じられた。


「多分って、見たことはないのか?」

「……はい。貴族の子女に珍しいことではありませんが、成人するまでは家から出さないんです。出てもパーティーや他家の招きに参加するだけで、このように市井を歩くことはおろか、まともに見ることすらありません。私も、そうでした」

「そりゃあ何というか、随分とつまらないな」

「はい。ですが、あの時の私はそれが常識だと思っていました」


 当時を思い出しているのだろう。ソフィアは普段にない表情をしている。


 ……ソフィアは、家に帰りたいんだろうか? 


 ソフィアは奴隷として売られ、それを親父が買って俺の教師役として連れてきた。

 元々は貴族だったソフィアが奴隷になっているなんてのはおかしなことだが、俺はそこに至るまでの理由は知っている。親に捨てられたのだ。

 俺と同じで、『貴き血の一族』なんて謳ってる貴族や王族の中に『農家』なんて平民代表と言ってもいい天職が現れた事を嫌われたのだ。

 しかも、ソフィアの場合は副職に『従者』がついている。貴族でもより高位の貴族の従者になることは普通にある。むしろ高位の貴族や王族の従者には貴族からしか選ばれないのだが、言葉のイメージとしては貴族がなるようなものではないだろう。

 だから捨てられた。ただ家門に相応しくないから、なんてふざけた理由で。


 産まれたばかりだった俺と違ってソフィアは十五歳まで普通に暮らしてたわけだから、産まれなかったのではなく病死とか事故死とか、なんかそういう感じで死んだことにされて売られたんだろう。

 ソフィアの家は高位の貴族ってわけでもなかったみたいだし、金になるならそっちの方がいいだろうと思う。話を聞いた限りだと成り上がり上等って感じの父親だったっぽいし。


 だがそれでも、そんな親だったとしても、十五年間は共に過ごした家族なんだ。帰りたいと思っても不思議ではない。


「ソフィア。お前、家族に会いたいか?」


 もし帰りたいと願っているのであれば、「どうにかしてやる」なんてことは言えないが、少しくらいは手を出してもいいと思ってる。


「え……」

「思い出すってことは、未練があるんじゃないのか?」

「そんなことはありません。私はもう、あの家とは何にも関わりはないのですから。今の私の居場所は、あなたの側です」


 だが、ソフィアは俺の言葉に首を振りながらどこか必死な様子で俺の言葉を否定した。それは、俺に捨てられないようにとでも思っているのかもしれない。


「ああいや、そうじゃない。そう慌てるな。今更お前を捨てる気なんてないよ。ただ、どうせ目的のない旅なんだから、目的の一つとして考えてもいいかもって話だ」


 ソフィアから離れたいというのであれば奴隷から解放することは構わない。

 だが、それが本人の意思でないのなら、できることならそばにいてほしい。そばにいて欲しいと言っても、恋愛感情の類ではないけど。


「そうでしたか……。ですが、そうですね。思い入れや未練というほどではありませんが……少しだけ、会いたい人物はいるかもしれません」

「どんなやつだ、って聞いてもいいか?」

「はい。弟です」

「弟……」


 弟に会いたいとソフィアは言ったが、ソフィアが捨てられた原因って弟がいたからじゃなかったか?


 ソフィアは十歳の時に『農家』だと判明したが、それでもソフィアの家には既に外に出ることの決まっていた姉しかおらず、ソフィアがいなくなれば家の後継に困ることになる。

 当時すでに弟はいたが、弟がどんな天職かはわからなかったために、もし弟がソフィアの親たちの望んでいない天職だった場合には成り上がることができなくなってしまう。そのために、望んだ転職ではなかったがそれなりに見目の良い女であるソフィアは政略結婚の道具として残しておいた。


 だがそれも弟が十歳になるまでの間だけ。弟が十歳になって『炎魔法師』という天職を授かったことで、ソフィアの価値は無くなった。

 そのまま政略結婚の道具にしようと思えばできるが、『農家』という天職が生まれる家系だとバレることに比べたら、ソフィアの天職がバレないうちに捨ててしまうのがいいという結論になったんだろう。


 だから捨てられた。それは言いがかりではあるのだが、言ってしまえば弟のせいだとも言える。

 その後、奴隷として生きることになったソフィアからすれば、過去にどんな関係を築いていたのだとしても、恨んでいてもおかしくはないと思うんだが。少なくとも、全く恨みがない、なんてことはないと思う。


「弟は、ずっと私が面倒を見てきたのです。もちろん子育てそのものは乳母達がやっていましたが、あの子の遊び相手、話し相手はもっぱら私の仕事でした。私の天職がわかり、両親から私に会ってはならないと言われた後も、隙を見て私に会いにきたりしてくれました」


 ソフィアはそう話しながら昔を思い出すように懐かしげにしているが、その表情に翳りはなく、ただ楽しげに笑っていた。


「あの子が十歳となり、天職に恵まれたおかげで私は捨てられたわけですが、それでもあの子が天職に恵まれたこと自体を恨むつもりはありません。……全く思うところがないわけでもありませんが、それでも私は喜ばしいことだと思っています」


 微笑みながらそう言ったソフィアの横顔を見れば、言葉の通り本当に喜ばしいと思っているのだろうということが理解できた。


 なら、俺がソフィアの家族に関して何かを言うことはない。


「……そっか。それじゃあ、そのうち会いに行くか」


 だから弟に会うために一度ソフィアの故郷へと向かおうかと思っていったのだが……


「……そう、ですね。はい」


 どうにもソフィアの様子がおかしい。先ほどまでの笑みは固まり、わずかに歪んでいた。それはどう見ても喜んでいるようには見えない。


「嫌だったか?」

「いえ」

「本当か? なんか顔色が悪い気がするんだが? 気を使ってるんだったら別に断ってくれて構わないぞ。どうしても行きたい、行かなくちゃってわけでもないんだから」

「い、いえ。あの子に会いたいという気持ちはありますし、会わせてくれようとするヴェスナー様の心遣いは本当に、とても嬉しいんです。ただ……」


 今度は明らかに表情を歪め、俯いたソフィア。

 そんなソフィアが足を止めたことで、俺も止まってソフィアのことを見つめる。

 そして、数秒ほど黙り込んだソフィアだが、一度大きく深呼吸をすると顔を上げることなく話し始めた。


「……両親に会うのが、怖いんです」


 そう言ったソフィアの言葉は震えていた。


「……ああ」


 それは、そうだろうな。……ああ。そうだろうよ。その気持ちは俺だってわかる。嫌ってほどに分かりすぎる。だって、俺も怖いんだから。


 俺はあの当時はまだ産まれたばっかりの赤ん坊だったが、俺は自分が捨てられる際のことを今でも覚えている。


 あの時母は俺のことを愛してくれていた。捨てられないようにと争い、捨てられるのだと決まっても涙を流してくれた。そんな母親に、俺は会いに行こうとしている。

 だが、本当にそれでいいのか? 確かにあの時悲しんでいるようには思えた。だが今更会いにいってもいいのか? 迷惑ではないか。拒絶されるのではないか。そんなことを考えてしまう。


 ソフィアの場合はすでに一度はっきりと拒絶されているんだ。母親に会いたいという俺の目的と違ってソフィアの場合は両親に会わなくてもこなせるだろうが、弟に会いに行けばどうしたって両親とも会う可能性が高くなる。ソフィアが両親に会ってしまえば、もう一度拒絶されることになる。それは怖いだろう。


「なら、会いたくなったら、行く覚悟ができたら言ってくれ。その時は弟のところまで連れて行ってやるし、何かあったら全力で守ってやるからさ」

「はい」


 ソフィアは微笑みながら返事をした。その表情はまだ固いものが残っていたが、先ほどよりは柔らかくなっていた。

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