第101話親の教育が良かったせい

 

 お嬢様は突然の父親の行動がわからずに頬を叩かれた衝撃で再び座り込み、呆然としながら父親のことを見上げている。

 だが、ユーグストはそんな娘を見てもため息を吐くだけで、特に慰めたりはしない。

 そして、周囲にいた兵士たちに指示を出すと、娘に背中を向けて部屋の中へと戻ってきた。


「お父様!?」


 謹慎を告げられたお嬢様は父親のことを呼ぶが、ユーグストはその声を聞いても振り返ることをせずにドアを閉めた。


 そしてもう一度ため息を吐き出すと顔をあげ、俺たちのことを思い出したのか申し訳なさそうな様子で頭を下げてきた。


「本来君達のことを探していたのは私ではなく娘だったのだが、あの様子では君たちを害するために探したのだろう。……すまなかった。我が領はカラカスに接しているのでな。どうしてもそちらの警戒をしなくてはならいために、娘の教育が疎かになった。言い訳にもならないが、娘のことは許して欲しい」


 領主としては大変だろうなってのはわかる。あんな犯罪者だらけの街が数日程度の距離にあるんだから、密輸や窃盗や盗賊なんかに注意しないといけない。それは領地の運営としては大変なことだろう。


 だが、それでも娘の教育云々に関しては言い訳でしかないとも思う。

 子供には教育をしなくてはならない。それは貴族ともなれば当たり前のことだ。まともに教育できないなら子供なんて作るな。子供を作るのが貴族の仕事なら貴族を辞めろ。貴族を辞めたくないなら死ぬ気で全てをこなせ。

 人は自分の道を選ぶことができるが、より難しい道を選ぶのであればそれなりの才や覚悟がなければならない。

 だというのに、難しい道を選ぶだけの才もなく覚悟もなく、それでも望みを叶えたいなんてのは、単なる甘えだ。


 ユーグストの場合は、貴族を辞めるか貴族を続けるかの二つの道があったはずだ。辞める方向に進むのなら周りから恨まれたり陰口を言われるかもしれないし、自分の代まで続いた家を潰すことになるかもしれないから罪悪感なんかがあるかもしれないが、厳しいルールに縛られることなくただの市民として暮らすことが可能だった。

 だが ユーグストは貴族であることを選んだんだ。なら、厳しい状況下であっても政務も子育ても、全てにおいて手を抜いてはならない。完璧でなくてはならない。それが貴族や統治者ってもんで、それこそが権力の代償だ。


 だから、色々と大変だろうという立場に理解は示しても、同情はしない。だって、その道を選んだのはユーグスト自身なんだから。


「いえ、あの街を警戒する必要があると言うのはよく存じておりますから」

「そうか」


 だが、そう思っているが、ここでそんなことを言ったりはしない。だってそんなことをしても無駄に時間がかかるだけだから。

 もう帰りたいんだよ。これ以上関わりたくないし、さっさと話終わらせようぜ。

 そんな気持ちで胸いっぱいだ。


「だが、何もしないと言うわけにはいくまい。褒賞に加えておこう」

「ありがとうございます」


 そこで話の区切りがつき、ユーグストからはホッとしたような雰囲気が感じられた。

 あとはユーグストの指示した分の金を部下たちが用意し、俺がそれを受け取ったらおしまいだ。あと十分とかからないだろう。


「それにしても、君のようなものがあの街の出身だと言われると、俄には信じ難いな」


 だが、客がいる以上沈黙を続けるというのはまずいというのはわかるのだが、こちらは望んでいないにもかかわらずユーグストが話しかけてきた。


「親の教育が良かったのでしょう」

「親の教育、か……ふっ」


 あ、やっべ。思ったままに言っただけなんだけど、この状況だと皮肉を言った感じになってるわ。目の前にいるのは教育に失敗した親だし。


「失礼しました」

「……いや、本心から言っているのは理解できる。そこに余計な意味を見出すのは我々の悪い癖なのだろうな」


 貴族ってなんか言葉の読み合いとか腹の探り合いとか大変そうだよな。ぶっちゃけバカみたいだと思う。なんでそんな権力とか欲しがるのかわからない……こともないけど、俺は興味ないな。


「だが、あの街で君のように育てることができるほどの教育を施すことのできるもの。そして使用人を雇うことができる者というと……北の五帝が親か?」


 それは独り言のような感じだったので答える必要はないだろ。別に答えてもいいんだけど、まあ秘密でいいな。あまり言うようなことでもないし。

 まあ、ユーグスト本人は独り言って体をとっていながらも俺に答えて欲しそうだったけどな。とりあえず曖昧に笑っておけば良いだろ。否定も肯定もしないで相手に考えさせておけば後でどうとでもなる。


「旦那様」

「ああ、準備できたか」


 そんな俺たちの間に流れた微妙な空気を壊すかのようにして老執事トーマスが部屋のドアを叩いて入ってきた。ちょっとタイミングが良すぎるような気もするが、まあ気のせいだろう。そういうことにしておけ。


 ユーグストはそれを受け取り中身を確認すると、それを俺に向かって差し出してきたので、俺はそれを両手で恭しく受け取った。


「今回娘を助けてもらったことと、娘の行動への謝罪だ。受け取ってくれ」

「ありがたく頂戴いたします」


 そうして俺たちは再び案内を受けてアルドア家の館から去っていった。

 くそめんどくさかったけど、まあ何事もなく終わってよかったかな。でもとりあえず馬車を回収したらすぐにこの街を出て行くことにしよう。


 ──◆◇◆◇──


「あの少年達が何かしていた様子は?」


 娘を助けたという件の少年達が屋敷を出て行った後、私はすぐに部下に命じてあの者らがこの街に来てから何をしたのか、何をしているのかを調べさせた。今はその報告を聞いている。


「いえ。馬車を買う、道具を買うといった旅に備えての買い物をしている以外は特には。強いて言うのなら観光をしている、と言ったところでしょうか」

「観光か」


 それは本当に観光なのだろうか? もしや何かしらの悪巧みを行っている、もしくはその下準備なのではないだろうか?

 考えたくはないが、どうしてもそんなことを考えてしまう。


「だが、警戒は解くな。あの街の出身であれば、何かを仕掛けるためにここにきていたんだとしてもおかしくはない」

「はっ! ……ですが、本当に何かするとお考えですか? 私には普通の少年に見えるのですが……」


 報告に来た騎士が眉を寄せてそう言ってきたが、確かに一見しただけであればあの少年はただの子供のように見える。


「だが、あれだけの殺気を放てるものが『普通の少年』と呼ばれるような存在か?」


 戦いという分野に疎い私でもわかるほどに強烈な威圧感。あれがただの子供な訳がない。

 もしかしたらあれがあの街では普通のことなのかもしれないと考えたが、その場合は大変なことになるので考えないことにする。あくまでもあの少年が特殊なのだ。そうでなければ、もし何か起きた時に対処などしようがない。


「ですがそれは……」

「わかっている。あれはエリスのせいだ。先に攻撃を仕掛けたのはこちらで、あの者は自身の身を守ったに過ぎない。その後は剣を向けられたことで同じく身を守るための行為だった。始まりからしてあの者は冷静に話を進めていた。それこそ、年齢に見合わないほどにな」


 そう。目の前の騎士が言いかけたように、あの少年が我々にさっきを向けたのは娘のことがあったからだ。あの子があのようなことをしでかしたからこそ、我々はあの少年に殺気を向けられることとなり、危うく敵対しかけた。


 ——エリス。兄と姉に続き産まれた三番目の子供。他の二人とも変わらずに愛しているが、ここ最近特に忙しくなったこともあって数年ほどまともに構ってやれていない。あの子があんな性格になってしまったのはそのせいだろうな。

 兄と姉はしっかりと育ったはずなのだが、あの子だけがわがままな性格に育ってしまった。上の二人が上手くいったからと油断していたのだろう。

 だが、それは言い訳に過ぎない。あのわがままさのせいで危うく人を殺しかけた。もしかしたら、それは今日だけではなくいつものことなのかもしれない。そう思うと私は自分の顔面に拳を叩き込んでやりたくなる。


 ……まあ、それはいい。いや良くはないしあとでしっかりと話し合う必要があるが、今はそれは置いておこう。むしろ、あの子のおかげであの少年をここに連れてくることができたのだから、その点で言えば良かったとも言える。


 そうしてあの少年にあった印象だが、こちらから敵対しなければ敵に回ることはないだろう。


「それに可能性の話だ。何もないのならそれで構わん」


 正直なところ、私自身半信半疑……いや、半分どころかもっと低い率程度しか疑っていない。精々が二割といったところだろうか。

 あの少年らに何かあるのだとしたらわざわざこのような場所に来る必要などないし、娘を助けた報酬に金銭ではなくもっと違うものを求めただろう。そもそもカラカスの出身だとバラす必要もない。


 だが、それでも疑わなくてはならないのがあのカラカスという街だ。あの街は本来交易の拠点として栄えるはずだった。事実、途中までは交易都市として機能しており、我が領もその恩恵を受けていた。

 しかし、その交易都市とその都市の繋がりによる栄華は崩れ去り、今では周辺に富ではなく害をもたらす存在となっている。

 人攫いや殺人依頼。密輸に薬物と、まあ色々だが、人間社会にある悪事の全てを集めた都市と言っても良いだろう。伊達に『悪性都市』などと呼ばれてはいない。

 元が交易拠点だっただけあって密輸や密入国なんかは止めようがなく、下手に制圧しようとすれば国境が近いために他国が動くこととなるので軍隊を出すことはできない。


 そんな街の出身とあれば疑って当然。出身を教えたのだって、それが策だったと言われれば納得できてしまう。


「だが、あの時の様子はなんだ?」


 あの街カラカスには五人の支配者がいるが、そのうちの一人の子ではないかと考えた。でなければあの街であれほどまともな——いや、立派な教育を受けることはできないだろう。

 加えてあの少年のそばにいた従者。あれもかなりの質の教育を受けている。使用人としての教育もだが、それ以外の教養もある。おそらくドレスでも着せて夜会に放り込めばそこらの貴族の令嬢と見分けがつかないだろう。そんな従者を持っているなど、普通ではない。


 故に私はその疑問を解消するべくあの少年に北の五帝の息子なのか、と口にしたのだが、その時あの者は答えることなく曖昧な笑みを浮かべていた。


 もちろんはっきりと聞いたわけではなく、独り言の体をとっての発言だった。そうすれば私の疑問に向こうが答え、それが後々問題になったとしても、「無理に聞くつもりはなかった。独り言のつもりだった。そっちが勝手に答えただけだ」と言い張れる。言質を取られないようにする貴族としての癖だな。


 だが、違うのなら違うとはっきり言ったのではないだろうか? あの街で五帝の名を勝手に借りたとあればどんな目に合うのか知らないはずがない。だがあの少年は否定しなかった。

 もしかしたら否定しようとはしたが、はっきりと聞かれたわけでもないのに貴族の言葉に答えてはならない、と考えたのかもしれないが、さて……。


「もしかして、本当に五帝の子か?」


 違うかもしれない。だが、やはりあれだけの所作ができるということがどうしても引っかかる。犯罪者の街という性質を持っているカラカスでなくとも、あれほど見事な振る舞いができるものは同年代の貴族にも多くはないだろう。その最たる例が不肖の私の娘だ。


 カラカスの出身者など、この街にも何人何十人といるだろうが、なぜあの少年だけここまで特別扱いをするのかと言ったら、それだけの力を持っているからだ。

 普通なら何十人もの賊を一人で……それも無傷でどうにかするなど不可能に近い。そんな力を持ったカラカス出身の少年がやってきたのだ。それも、しっかりとした教育を受けた上で、使用人までつれているような者。警戒するというのは間違いではないだろう。


 それに、どうしても違和感があるのだ。


「五帝の子供か……。あの顔はどこかで見たことがあるような気がするのだがな。……気のせいか?」


 私はカラカスに行ったことはないし、あの少年とは会ったことがないはずだ。にもかかわらず、どこか既視感のようなものを感じてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る