第72話『新人の宿』

 

「——で、ここが『新人の宿』か」


 冒険者ギルドから十五分程度歩いてようやく目的の宿に辿り着いたわけだが、確かに『新人の宿』と大きく看板がついていた。


「ところで、今更なんですけど俺は泊まれるんですかねぇ」


 しかし、そんな宿を見ているとエミールが唐突にそんなことを言い出した。が、その言葉はすぐに理解することができた。そういやあ、俺たちはついさっき登録したばかりだけど、こいつはもうずっと前に登録したそれなりのベテランだったな。最近はまともに活動してなかっただろうけど、それでも登録事態は消えていないわけだし、新人と呼べるのかは微妙だ。


「え? あー……まあ俺たちの付き添いって言えば大丈夫だろ。多分」

「最悪、俺だけ別の宿に泊まることになりやすかね」


 それはやめて欲しいなぁ、と思いながらも、とりあえず中に入ってみることにした。


「ん? おや、新人さんかい?」


 中に入ると女性にしては大柄なおばさんが俺たちのことを見つけたようで、誰かと——多分従業員だと思うが、女性と話しているのを途中で切り上げてこちらに声をかけてきた。


「はい。今日、というか今し方冒険者に登録したばかりなんですけど、泊まれますか?」

「ああ大丈夫さ! ここは基本的に新人以外泊めてないから、部屋の空きはいつもあるのさ。新人のための宿だってのに、空いてなきゃ新人が困っちまうだろ」


 なんかこの感じ、おばさんってか、おば〝ちゃん〟って感じだな。できることなら美少女看板娘がよかった。別に口説くとかそういうわけじゃないんだが、ただ見てみたかったなぁってだけだ。

 まあ、さっき女の従業員もいたし、このおばちゃんが受付をやってる時にきた俺の運が悪かったんだろう。この人以外が受付をやるのかは知らんけど。


「それと、こっちのは新人じゃないんですけど、泊まれますか?」

「うん? ああ、監督役かなんかだろ? 大丈夫さ。そういった奴はそれなりにいるから想定済みだよ」


 本当によくあることのようで、おばちゃんは鷹揚に笑いながら頷いた。

 でも、俺たち以外にも保護者がいるのか……いや、今監督役って言ったし、保護者とはまた別もんか?


 まあでも、エミールも一緒に泊まれるならどっちでもいいか。


「じゃあ四人で泊まりたいんですけど」

「はいよ。他のお客と一緒の雑魚寝部屋と、六人までまとめて寝られる部屋の二つしかないけど、どっちにするんだい?」


 しかし、エミールが泊まれるのならここでもいいかと思ったのだが、何やら部屋が微妙だ。なんだってそんな微妙なもんしかないんだ。


 雑魚寝部屋はわかるけど、なんで六人? 四人とか二人でいいじゃん。運用の効率的な理由か?


「六人? 個室とか二人部屋とかはないんですか?」

「うちでは本当に駆け出しで日銭を稼ぐのもやっとな奴らを泊めるような宿なのさ。個室なんて泊まれるような奴はもう新人とは呼べないからね」


 ……なるほど。新人用の宿ってのがこの宿のテーマだから、泊まる部屋は全部金がなくても泊まれるような設定になってるのか。駆け出しじゃあ金なんて持ってないだろうし個室なんて取れないわけだから理解はできるな。


 しかし困ったな。俺たちは四人だし、まあ少し余分が出るが六人部屋でもいいんだが、ベルという女の子がいる。一緒の部屋にするのはまずいだろ。


「雑魚寝って男女別とかは……」

「ないよ。男女混成のチームで泊まりにくる奴らはいるけど、ダンジョンだとか旅の間は男女で分けるなんてことはないんだ。ここはそんな状況になれるための練習場所でもあるんだよ。嫌なら冒険者なんて辞めちまいなって話だよ。……ま、男女一緒だからって調子に乗って盛った奴はちょん切るけどね」


 あっはっはと笑っているけど、笑い事ではない。いややらないけどさ。


 けど、どうすっかな。一応男女別なんて聞いてみたが、そもそもの問題として誰が敵か味方かわからないような雑魚寝なんてできない。だったらまだ野宿の方が安全だ。周り全部を警戒してればいいんだからな。


 となると身内だけで固められる部屋を取るしかないんだが、それは個室はなく六人部屋しかない。


「じゃあ六人部屋を二つ——」

「だめだね」

「は?」


 仕方ないので、かなり余分なことだが二部屋取ろうと思ったのだが、そのことを最後まで言い切る前に女性に遮られてしまった。


「言ったろ? ここは金がない新人のための宿だって。二部屋取るだけの金があるんだったら他所に行きな。元々あんたは良いとこの坊だろ? 他所に泊まる金くらいあるはずじゃないかい? 男女が一緒になる程度のことで文句言ってるようなら、うちに泊める気はないよ」


 そう言ったこの女性の眼は鋭く、真剣なもので、何を言おうとも曲げる気はないという意思が感じ取れた。


「ヴェスナー様、私は構いませんよ。孤児院ではみんなまとめて着替えたりしてましたし、カイルは兄ですから。知らない人ならともかく、ヴェスナー様達に見られたところで今更なんともありません」


 ならどうするべきかと悩んでいたところで、ベルが声をかけてきた。


 だが仮にも、と言うか正真正銘年頃の女の子なわけだし、本当にいいのだろうかと思ってベルのことを見たのだが、ベルはなんとも思っていないかのようないつも通りの表情で頷いている。


「じゃあ、六人部屋をお願いします」

「はいよ。じゃあこれに名前なんかの記入をしとくれ」


 ベルがいいと言った以上この場でこれ以上問答をしているのもあれなので、思うところがないわけではないがとりあえず宿を確保するために六人部屋を取ることにした。


 そうして鍵を受け取って部屋へと向かったのだが、確かに六人が寝泊まりできる用の部屋なんだが、その部屋はかなり狭かった。

 小さめの二人部屋に三段ベッドを二つおきました、みたいな感じだ。

 まあ、金を持ってない駆け出し達が泊まる宿なんだからこんなもんかもしれないが、転生する前もしてからもこう言った部屋に泊まったことがないだけに驚いた。


「……なんか、新人って大変なんだな」


 とりあえず床にはそれほどスペースがないのでベッドの上に荷物を下ろしてそう呟いたのだが、エミールはそんな俺の言葉に苦笑していた。


「でも、こう言った宿はありがたいもんではありやすぜ。集団行動をする際、男女混合のチームの場合はどうしたってそんな問題が起こりやすいもんすからね。それを冒険前に自覚させてくれるってのは、命の危険の回避につながるもんでさあ」

「まあ、冒険中に意見の食い違いや喧嘩なんかで仲間割れとか起きたら洒落にならないからな」


 街から出てしまえばどこであったとしても魔物や盗賊の危険があるってのに、そんな状態で男女の問題——性行をしたとかではなくて、着替えを覗いたとかトイレがどうしたとかの問題から喧嘩が起こって連携に問題が出てしまったら、それはとても危険なことだ。


 うちの親父みたいに襲われたとしても問題ないくらいな力を持ってるならいいけど、大抵はそうではない。普通のやつは襲われたらいくら準備をしていたとしても、死ぬときは簡単に死んでしまうのだ。


 だから男女で一緒に寝泊まりすることにいちいち文句を言っていたり、それに伴うあれこれで喧嘩なんてしていてはいけないので、それを理解させるため、男女で行動することを慣れさせるために同じ部屋にぶち込んで泊まらせるってのは訓練としてはありなのだろう。


「けど、あのおばちゃんの勢いに流されて決めちゃったけど、ベル。本当に大丈夫だったか? 一応本格的に冒険者やるってわけじゃないんだから、嫌だったら別に他の宿に帰ることも……」

「いえ、本当に大丈夫です。私はこの部屋で構いません」


 だが、冒険者の訓練としてはありなんだとしても、俺たちは真面目に冒険者をやるつもりはないので、こんな訓練をする必要はないと言えばないんだよな。

 だからベルが嫌だと言うのなら宿を変えてもいいと思ったんだが、ベルはなんでもないかのような顔で首を振った。


「まあ、それで良いなら良いけど……着替えなんかの時には言ってくれ。できるだけ見ないように気をつけるから」

「……はい」


 なんか返事をするまで僅かにあった〝間〟が気になるけど、そんな気にする必要はないだろ。というか気にしちゃいけない気がする。


「えー、あーそれじゃあこの後の方針だが、なんか食べてから受けた依頼をこなしにいこうか」

「今からで大丈夫なのか? もう昼は過ぎてるけど、今日中に終わるか?」

「平気平気」

「そういえば何か考えがあると言われてましたね」

「ああ。大丈夫だ。任せてくれればすぐに終わるから」


 とりあえず宿も取ったことだし、俺たちは依頼に行くことにした。

 今の時間は昼過ぎくらいなので、これから昼食をとってから依頼に行くとなると、普通に考えれば遅いくらいだろう。

 いくら街の近くだって言っても、その場にたどり着いてすぐに見つかるってもんでもないだろうし、宿や食事代なんかの経費を含めて考えると、結構な量の採取をしてこなくちゃいけないことになる。そうなると、慣れている物ならともかくとしても、俺たちみたいな素人では日暮れまでに終わるかは微妙なところだろう。


 しかしそれでも俺は依頼をこなすために悠々と宿を出ていった。

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