第36話『悪』の信念
しかし、なんにしてもこいつを寝かしつけないと親父んところに話をしにいくことができない。
もういっそのことソフィアに任せて俺は親父んところに向かおうかとも思ったが、それはなんだか憚られる。なのでやっぱりこいつを先に寝かせるしかない。
子供を寝かしつけるには……お話しか。
でもお話っつっても、御伽噺的なものをこいつが真面目に聞くか? なんかこう、もっと違うやつの方が……ああ、うちの奴らの経験談的なものの方がいいか。
よし、呼ぼう。『悪』の経験談なら大人しく聞いてるだろ。あとせっかくだし、こいつに寝るように言ってもらおう。
「ソフィア。誰か呼んできてくれ。こいつにうちの奴らの経験談を聞かせてやりたい」
「えっ! いいの!?」
「ああ。お前、『悪』に憧れてるんだろ? だったらここの奴らの話はちょうどいいはずだ」
「やったー!」
もう眠いからか、反応がだいぶ素直なものになってる気がする——いや、最初からこんなもんだったか?
「でも、代わりに話を聞いたら寝ろよ? あいつらだって忙しいわけだし、そういつまでも拘束するわけにはいかないからな」
「うん! わかったわ!」
笑いながら返事をしたリリアを見て頷きを返すと、ソフィアへと顔を向けた。
「そう言うわけだ。呼んできてくれ」
「かしこまりました」
返事と共にお辞儀をしたソフィアは部屋を出ていき、しばらくすると誰かを伴って部屋に戻ってきた。
「エミール? お前がきたのか」
やってきたのは赤茶の髪を後ろに撫で付けた四十過ぎくらいの男だった。
俺はてっきりエディあたりが来るんじゃないかと思ってたんだが、どうやら違ったようだ。
このエミールという男もエディ達と同じく最初のメンバーの一人だ直接戦闘って意味ではエディやジート達に劣るから護衛には向いていないが、その分話術というか交渉や買い付けなど話の必要な場では役に立っている、らしい。直接その場を見たことがほとんどないからよくわからないけど。
「俺じゃがっかりですかい?」
「いや、そう言うわけじゃないけど……こう言うのはエディあたりが来るもんかと思ってたんだが……」
「ああ、まあエディも適任っちゃあ適任でさあね。ただ、今はちょいと所用でして……」
そう言ったエミールの視線が俺ではなく後ろにいるリリアに向いていたことから察するに、多分エディのやつがこいつに関してエルフ達に知らせに行ったんだろう。あいつなら襲われても問題なく生き残れるだろうしな。
「……ああ。それじゃあ仕方ないな」
「まあ、そんなわけで俺で我慢してくだせぃ」
「我慢なんて必要ないだろ。お前のことが嫌いってわけじゃないんだから」
「はは。そりゃあ嬉しい言葉ですね。最近はジートとエディばっかで俺らはあんまし坊ちゃんと関われねえでしたからね」
「あー……悪いな」
「いやいや。こうして話せてるんですから十分でさあ」
エミールはそう言ってにかっと悪意の感じさせない気持ちのいい顔で笑うと、リリアの寝そべっているソファの対面に座った。
「——で、なんでしたか……ああ、昔話をすりゃあいいんですかい?」
「そうなの! 何か武勇伝ってある?」
「武勇伝ですか……そうと言えるかは分かりやせんが、まあいくつかお耳汚しといきやしょうかね」
そう言うとエミールは自分と仲間達が経験してきたことを身振りを交えて話し始めた。
元は貴族だったという自分の生立ちから始まり、どうして自分が賊として活動したのか、どんな『悪』を成し、どんな道を歩んできたのか。どんな苦労や楽しみがあり、今に至るのか。
エミールの話は時間にしてみれば二十分程度だっただろう。だが、その時間を感じさせないものだった。
「——とまあ、こんな感じでしたねぇ。色々語りはしやしたが、まあ今は満足いく人生だったって自信を持って言えますかね」
そう締めたが、その話はまともに聞く気のなかった俺でさえ引き込まれるほど上手く、つい聞き入ってしまった。
「……」
「すごい! やっぱり私も立派な『悪』にならないとよね!」
エミールの話を聞いてはしゃぐリリアだが、そんなリリアを見てエミールはそれまでとは少しだけ雰囲気を変えて口を開いた。
「——一つ、嬢ちゃんに聞きたいんですが……」
「え?」
「嬢ちゃんの言うところの『悪』ってどんなやつですかねぇ?」
なんで突然そんなことを聞いたのかわからないが、とりあえずこの場は見守ってみるか。
「私の『悪』? えっと……法律や規則なんて知ったことか! って好き勝手やって、自由気ままに生きて人生を笑って楽しんで『正義』に負けない……誰にも縛られない人?」
それがこいつの『悪』か。
まあこいつが憧れた経緯を聞けば納得もできるが、それってなんか『悪』って言っていいのかって感じだな。
『悪』って表現も間違っちゃいない気もするが……うーん。
「ですかい。なら、そいつぁちいっと間違ってると思うんですがねぇ」
「間違ってるって……何が?」
「まず、正義ってのはどんなやつだと思いやすか?」
「正義? ん……悪を倒す人?」
「そう。正義ってのは悪を倒す奴のことを言うんでさ。悪がいるからこそ正義は『正義』でいられる。けど、じゃあ逆に悪は正義を倒す奴なのかって言ったら、そいつぁ違う」
正義で〝いられる〟か。でもそれは日本にいた時も見たことがあったな。なんかのネタ画像だったが、平和な世界でヒーローが何もしないでベンチに横になって仕事がないって言ってる奴があった。あれは笑えるものだったが、しかし真実でもある。
『正しいこと』なんて『悪いこと』の否定でしか証明できないんだってな。
『悪』がいるからこそ『正義』を成すことができる。正義は単体では存在していられないが、悪はなんの存在に頼らずとも悪でいられる。
ではその『悪』とはなんなのか。それは……
「本物の『悪』ってのは、信念を持ってる奴のことを言うんでさあ」
信念? 悪から程遠い気がする言葉だな。なんかもっとこう、なんて言ったらいいかわからないが、もっと違うあれだと思うんだが……。
「信念?」
そんな俺と同じ疑問を感じたのか、エミールの言葉を聞いてリリアは首を傾げた。
だがそんな俺たちの様子を見てもエミールは言葉を止めることなく続けていく。
「そう、信念。正義を倒すだけのやつでもなけりゃあ嬢ちゃんが今言ったようにただ思うがまま、好き勝手やるだけでもねえ。そんなのは、俺から言わせてもらえりゃあただの三下。やってる規模の違いかあったとしても、結局は路地裏のカツアゲをする三下も圧政を敷く暴君も同じ。ただのみっともねえ小悪党にすぎやせん」
「小悪党……」
「規則を破ってでも、常識をぶち壊してでも、正義とされているものに逆らってでも、それでも叶えたい願い、守りたい信念ってもんがあるからこそ、『悪』ってのは『悪』でいられる」
叶えたい願いに、守りたい信念か……。
今の話を聞いても相変わらず『悪』らしくはないと思う。でも同時に、それが正しいんだとも思えた。
「『悪』でいるには覚悟がいる。どんなことがあっても願いや信念を貫き通すための覚悟が」
エミールはそう言うと一旦言葉を止め、リリアのことと……それからわずかではあったが俺のことをチラリと見てきた。
これは、俺にも言っているんだろうか。……いや、だろうか、じゃなくて本当にそうなんだ。これは、リリアにではなく、どちらかというと俺に向けられた言葉だ。
俺はエミールの言ったような覚悟や信念なんて持ってこなかった。自分さえ良ければ他人なんてどうでもいい、そう考えて生きてきたし、それは今でも変わらない。
それに関しては親父なんかは好きにやれって言ってるし、ジートなんかは自分のことだけを考えて余裕があったら他に目を向ければいい、なんて言ってるが、エミールはまた違う想いがあるんだろう。
だからこそ、自分の子供のように思っている俺に対してそうなってほしいと願いを込めて今の話をした——んじゃないかと思う。憶測も大分入っているし、こんなのは俺の妄想でしかないとも言える。
けど、大きく間違っているわけでもないんじゃないだろうか?
そして俺のことを見たエミールは再び視線をリリアに戻すと口を開いて話し始めた。
「嬢ちゃんには、その覚悟がありやすか?」
「覚悟……」
リリアはエミールの問いかけに答えられないようで言葉に詰まっていた。
でも、その言葉には俺も何も答えを出せない。
だって、俺の中に信念なんてものはないから。強いていうのなら自分は絶対に生き残る、とか楽しく過ごす、くらいなもんだ。
それでいいんだろうか? 果たしてそれは信念や願いと言えるのだろうか?
「あ、あなたの信念は……何?」
俺が自分の思考に没頭しているとリリアはエミールに問いかけ、その言葉で俺はハッと意識を戻して次に聞こえてくるであろう言葉に耳を傾けた。
「俺ですかい? 俺の願いなんてのは単純なもんでさあね。ありきたりな……ただ自分と、それから『家族』を守りたいってだけの平凡なもんでさあ」
「そんなのが、悪になるのに必要な信念……?」
「はは。信念、ってよりは願い、ですかねえ。まあありきたりなしょぼい願いだってのは理解してやすよ。ですが、人間突き詰めりゃあ願いなんてそんなもんなんですよ。ただまあ、ありきたりな願いだとしても俺にとっちゃあ何よりも大事なんでさあ。なもんで——」
エミールはそこで一旦言葉を止めるとそれまでの優しげでどことなく安心感の感じる笑みではなく、挑発的で『強さ』を感じさせる笑みを浮かべた。
「『家族』を害するんなら、それが神であろうと殺してやりやすがね」
それがエミールの願い、信念か。
「——————かっこいい……!」
リリアは感無量と言わんばかりに顔を輝かせてエミールのことを見つめている。
見つめられている本人はいつものような雰囲気に戻って照れ臭そうに頭を掻いているが、意外と満更でもないようだ。
……でもまあ、確かにかっこいいとは思ったな。
「そうかい? なら早く寝な」
あ、本来の目的は忘れてなかったんだな。
エミールを、というか人を呼んだのは元々リリアを寝かしつけるためだった。
でも、こんなテンションの高くなってる状態で寝てくれるだろうか?
「え……でも私は——」
「立派な『悪』になるんでしょう? だったらまずは早寝早起きして自分の体調管理をしっかりしねえといざって時にぶっ倒れちまいやすよ。そりゃあさすがにカッコ悪すぎやしねえですかねぇ? 自分の状態を完璧に管理できてこその『悪』ですぜ」
「っ! ……そうね。その通りだわ! もう寝ないとよね! おやすみなさい!」
リリアはエミールの言葉にハッと目を見開くと、はっきりと頷いてからソファに横になって用意してあった布団を被った。
……なんかもう、エミールの言うことならなんでも素直に受け入れそうな気がするな。
楽なのはいいんだが、その様子を見ているとどことなく不安というか、将来が心配になってくる。いや俺が心配する義理はないんだけどさ。
「それじゃあ坊ちゃん」
エミールはそう言うと俺に視線を向けてきた。こいつが寝付いたのを見計らってこいってことだろう。
「わかってる」
「なら、俺はこれで行きやすね」
「ああ。ありがとな」
俺の言葉を聞いたエミールはニッと笑うと静かに扉を閉めて部屋から去っていった。
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