第35話『悪』への第一歩
それは「こいつも見下すのか」みたいな『農家』って天職を蔑む奴に対する呆れなどではなく、純粋な疑問だった。
ただ単純に、エルフの間でも同じような認識なのだろうか、と。
「は? なんで嫌われ者なわけ?」
「いや、だって『農家』だぞ?」
「うん。で?」
だが、どうやら俺の考えは違ったらしい。
リリアは俺の言った『嫌われ者』という意味が理解できないようで、訳がわからないとばかりに眉を寄せて首を傾げている。
「——どうにもお互いの認識に齟齬があるみたいだな」
「齟齬って、どんなよ」
「いや、それはわからんが、ともかく話が噛み合ってないだろ」
人間は『農家』という天職を見下しているが、どうにもエルフたちは見下すなどということはないようだ。
そこにどんな理由があってなのかはわからないが、とにかくお互いの認識が違っているのは確かだと思う。
「まずお前の『農家』についての認識を聞かせてもらえるか?」
「いいけど……私っていうか私たちの共通のやつになるわよ?」
「それでいい」
むしろその方がいい。こいつの常識は当てになら——じゃなくて、あれだ。エルフの常識がわかるわけだからそっちの方がありがたいんだ。うん。そういうことにしておけ。
「『農家』っていうのは、私たちの間では大当たりとして扱われる天職なの。ほら、エルフって基本的には森に住んでるじゃない? 元が植物と合わさった精霊の子孫だからなんだけど……まあそんなだから植物を育てる天職って喜ばれるの。他にも『木守』とか『植物魔法師』とか、あとは土とか水の『魔法師』なんかも喜ばれるわね。でもその中でも『農家』っていうのは一番上なの」
植物を育てる、か。その点で言えば、確かに『農家』ってのはいい職だろうな。何せ植物を育てるのに特化していると言ってもいいんだから。
「なんでだ? 植物を大事にするなら『植物魔法師』の方がありがたがられそうな気はするんだが?」
けど、植物相手に特化してるって言うんだったら『植物魔法師』なんて天職があるんだからそっちの方が良さそうな気はする。
育てるという点では向いていないかもしれないけど、本来のエルフの力——精霊の力とか『森の化身』って意味ではそっちの方が上なんじゃないか?
「まあ、そっちもありがたがるってのは合ってるわよ? でも、『植物魔法師』ができるのって、植物関係のことだけなのよ。土をよくすることはできないし、水を与える事もできない。ただもうすでにある植物をどうにかするだけなの。それは他の天職も同じ。専門分野にしか効果が出ないの。それに対して『農家』は土もいじれるし水も出せるし植物を育てる事もできる。いわば植物を育てる専門家。常態スキルで『意思疎通』なんて使えるってわかった日には、そいつはもう大変よ。みんな大喜びのお祭り騒ぎになること間違いなしね」
「マジかよ」
住んでる場所や種族の成り立ちなんかの違いはあるが、そこまで人間とエルフの間で認識の違いかあるとは思ってなかった。
「ついでに言うなら、だからこそ人間を嫌ってるってのもあるわね」
「……だからこそ? どう言うことだ?」
「なんでか知らないけど、エルフって『農家』が出づらいのよ。『植物魔法師』や『土』や『水』の魔法師はよく出るんだけどね。で、人間は『農家』がそこらへんに溢れてるでしょ? 森や自然を大事にしないくせに植物を育てる専門家である『農家』の天職がよく出るのが気に入らないみたいなのよ。ようは嫉妬よ嫉妬」
あー、人間は平民の代表ってくらい『農家』が多いらしいからな。エルフからはそんなに生まれないんだってんなら妬まれることもあるか。
「で、人間側ではどうなの? 私たちの話はそれで全部よ」
「あー、そうだな……人間側では『農家』は不遇で扱われてるな」
「へ? 不遇? なんでよ?」
俺の言葉が理解できないと言うようにリリアは首を傾げた。まあ、今のエルフの価値観を聞くとそうだろうな。
「お前が言ったみたいに人間には『農家』なんてそこらへんに溢れてるからな。それに、戦争なんかの戦いに役に立たない『農家』ってのは求められてないんだよ。『魔法師』や『戦士』なんかは大歓迎なんだけどな」
「……はー、随分と野蛮よね〜」
「まあ、それが人間だからな」
何かを育てて守るより、何かを育てた誰かから奪うことを考えるのが人間だ。だからこそ争いはなくならず、生まれ変わって生きる世界が変わったってのに、生まれ変わったその世界でも人は戦争をしている。
これはもうどうしようもないんだろう。それが人だ。人が『人』である限り、何をしたって、何を言ったって争いは消えないんだと思う。
——でもまあ、それも俺にはどうだっていいことか。俺の害にさえならなければ、いくら世界で人が死のうが苦しもうがどうだっていい。だって俺の害にはなってないんだから。
これも人だ。でも、人間結局はそんなもんだろ。大事なのは自分と、自分の生活を織りなす環境だけってな。
そんなどうでもいいことを考えると、その考えに見切りをつけて再びスキルの修行に戻っていった。
スキルの修行を終えて適当にリリアを誤魔化しつつ大人しくさせ、夕食を食べたあとは風呂に入れさせた。
そしてようやく就寝の時間だ。まだ少しばかり早い時間ではあるが、寝かしつけた方が楽でいい。このあとやることもあるしな。
しかしここで問題が一つ発生した。
面倒を見ると言うことでリリアは俺の部屋で寝ることになったのだが、当然ながら俺の部屋にはベッドは一つしかない。
「お前はソファで寝ろよ」
——ので、リリアをソファに寝かせることにしよう。
「へ? なんでよ。私がベッドでしょ? 普通はお客様を大事にするものじゃない!」
残念ながら俺の中ではお前はお客様カテゴリーじゃねえんだよ馬鹿野郎。
「——あ、でもこれ結構ふかふかね。さすが『悪』の本拠地。いいもの使ってるわ」
むくれながらソファに乱暴に座ったリリアだが、思っていたより柔らかかったのだろう。座りながらソファの上で跳ねるように体を動かし始めた。
こいつが最初に使ってた来賓用のはあまり長居しないようにそこそこの質で抑えてあるからな。もちろんそれなりの品だが、あそこにあったやつを基準で考えれば俺の部屋にあるものはいいものだろうよ。
「じゃあそれでいいな」
「それとこれとは別よ! 私はベッドを使うんだからね!」
そう言いながらも楽しそうにソファで跳ねているリリアを見てガキかよ、と思ったが実際ガキだった。
だが、俺は他人にベッドを譲りたくない。
そもそも俺は自分の部屋やパーソナルスペースに許可してない誰かが入るのが嫌いだ。
だってのに、なんで俺があったばかりのやつにベッドをかさなければならんのだ。部屋に入れているだけでも感謝してほしい。
身内であれば構わないが、お前はダメだ。
だから絶対に譲らんぞ。どうにかして言いくるめないとな。
「……まあ待て。いいかよく聞け。ソファで寝ろって言ったのは、何も俺がベッドで寝たいからじゃない。お前のことを考えてなんだよ」
「私のため?」
「そうだ。——一つ聞くが、ここのお菓子は美味しいか?」
こいつの反応からして、この家で食べたものはお菓子に限らず料理であっても美味しかったんだろう。だがその中でもこいつはやっぱりと言うべきか、特にお菓子に反応していた。
だから、そこをつけばどうにかできる隙はあるだろう。
「うん。家にいるとリーシャたちが食べ過ぎは良くないって言ってお菓子をくれないの。代わりにって果物はくれるんだけど、それとこれとは違うっていうか。果物も美味しいんだけど、砂糖の甘さとは違うのよ。ここのは最高ね!」
リーシャって誰だよと思ったが、そんなことは気にせずに話を続けていこう。どうせこいつがお嬢様やってる時の使用人とかそんなんだろうし。
「そうか、それはよかったよ。でだ、そんなお菓子をもっと食べたくないか? それも、ごろごろとだらけながら寝転がって」
「寝転がってって、そんなことしたお行儀が悪いでしょ」
なんでそこで真面目になるんだよ。そんな不思議そうな顔をしてないでもっと喜んでけよ!
こいつ多分……いや多分ってかまず間違いなく元々の性格は真面目ちゃんだよな。薄々わかってはいたけれどもさ。
「よく考えろ。お前は『悪』になるんだろ? リーシャたちの言うことを聞いてばかりでいいのか? 言いつけを破って自分のやりたいようにやることこそが『悪』じゃないか?」
「っ! ……なるほど! 言われてみれば確かにそうね!」
俺の言葉に目から鱗とでも言うように目を見開いて驚きを露わにしたリリアは、早速とばかりにソファに寝転んで目の前にあったクッキーをに手を伸ばし、自身の手の中にあるクッキーをしげしげと見た後に恐る恐る口に運んだ。
俺からしてみればたったそれだけのことなのに、リリアはにへっと口元を緩めて笑うと次のクッキーに手を伸ばした。
これで適当に話し相手にでもなりながらお菓子を食べさせてお腹いっぱいにさせておけば、そのうち眠くなって寝るだろう。
見たことがないこいつの教育係であろうリーシャよ。すまん。こいつが帰った時に反抗したりとかなんか問題があるかもしれないが、それはこいつのせいなんでこいつに説教してやってくれ。俺は関係ない。
親父のところに行って話をしないといけないんだが、こいつは連れてけないよな。寝てくんないかな?
その後は特に中身のない話をしながら時間を潰していたのだが、その話の途中でリリアがあくびをした。
「お前もう寝ろよ」
「いや。まだまだ寝ないから」
あくびをしたリリアを見て、そろそろ頃合いかと思ったのだがどうやらまだ寝る気はないようだ。
「夜まで起きてるわよ! 言いつけを破って遅くまで起きてるなんて『悪いこと』しても恐れないんだから。だってそれこそが『悪』だもん!」
……めんどくせえことになったな。言いつけに逆らうことを教えたのは俺だけどさ、ここで逆らわれても困る。こう言うのってなんて言うんだろう。自業自得とか、もしくは因果応報?
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