第29話新たな仲間・ソフィア



 第二スキルの修行を始めてからおよそ一月後、朝方のまだ日が上りきる前に目が覚めたのでもう一度寝直そうとしたのだが、なんとなく眠れなかった。


 そのためにスキルの修行を程よくやって疲れれば寝れるかな、と思って倉庫の方へと歩き出した。

 こんな時でもスキルを使うって発想が出るのはもうしょうがないと思う。


「——ん? あれは……」


 だが、倉庫に向かって歩いていくと、丁度倉庫のある方角から誰かが歩いていたのが見えた。


 こんな時間に倉庫に? ……誰だ?


 もしや賊か? と思ったが、それにしては足取りが悠長すぎる気がする。賊ならもっと目立たないように速やかに移動するはずだ。


 ではうちの人間かと思って誰かに聞こうかとも考えたのだが、俺はその誰かの背を追うことにした。それはどう考えても危ないことだが、多分第二スキルも使えるようになったし、今の俺なら賊だったとしても倒すことができるとか思って慢心していたんだろうな。


 薄暗い中遠目に見える背中を気づかれないように距離を離しながら追っていく。この程度の隠密行動なら慣れたもんだ。何せこの町で生き延びるには必須技能だってことで小さい頃から鍛えられたからな。スキルなんて使わなくても素人相手じゃ見つからない自信がある。

 問題はこの街のほぼ全員がただの素人じゃないってことなんだが、どうやら俺の追跡に気がつかないってことはあの人物は素人のようだ。


 だが、この街で——もっと言うのならこの家にいる者で素人って言ったらそう思いつかない。


「——。——。——」


 うちで働いている奴の顔を順番に思い出していくと、俺が追跡していた人物は立ち止まり、何かを呟き始めた。

 気づかれないようにと距離をとったせいでここからだと何を言っているのかはっきり聞き取れないが、多分の声の感じからして女だろうか?


 だが、女ねぇ……もう少し寄ってみるか。


 そう判断した俺は、相手が俺よりも格下の隠密能力しか持っていないと言う前提で考え、気づかれないであろうギリギリの場所へと進んでいくことにした。


「——ゅ」


 ある程度まで近づくとようやく声が聞こえてきたので、俺は足を止めて女へと意識を向けて耳を澄ませることにした。


「——播種」


 だが、そうして聞こえてきたのは最近では耳に馴染んだ単語だった。


 播種——その単語は毎日のように嫌になる程聞いている。まあ毎日のようにってか、実際に毎日聞いてるんだけどな。だって俺が言ってるんだから。


 けど、その単語を口にする人間は限られる。何せそれはスキルの発動のために必要な言葉なのだから。


『播種』と言うスキルは、俺と同じ『農家』でないと使うことはできない。にもかかわらずそれを口にすると言うことはあの人物も同じ『農家』と言うことになる。


 この家の人間で女で『農家』となると、俺は一人しか知らない。


「……ソフィア」


 確信を持てた瞬間にふと口から漏れてしまったが、そうだ。俺のスキルと常識などを指導するために親父が連れてきた元貴族の奴隷。

 奴隷とは言っても世間一般で言うような扱いはしていないで普通の家人と同じ扱いをしているわけだが、そんな彼女がどうしてここににいるんだ? それに、わざわざ倉庫に忍び込んだりもしていたし、スキルを使っているのも謎だ。


 ……聞いてみるしかないか?


 いくら考えても答えなんて出るはずもなく、であれば直接本人に聞いてみるしかない。


 俺は茂みに隠していた体を起こすと、そのまま一歩踏み出してソフィアのに向かって歩き出した。


「ソフィア」

「っ!」


 まさか誰か出てくるとは思わなかったのだろう。ソフィアはビクッと肩を跳ねさせると一瞬の間も置くことなく勢いよく振り返ってこっちを向いた。

 ソフィアだってこの家の警備については知っているだろうから、賊も入ってこないと思っていたはずだ。

 そこに俺が突然姿を見せたんだから、その反応も無理はないだろう。


「ヴェスナー、さま……?」


 一人だと思っていたところに突然姿を見せた俺に驚き目を見開いているソフィアからは、以前のような無感動な人形っぽさは感じられなかった。


「ああ。どうしてこんなところにいるんだ?」

「それは……」

「ああ、咎めるつもりがあるわけじゃない。賊ではないと思っているし、純粋な好奇心だ」


 俺が現れたことで焦り、誤魔化そうというような態度を見せたソフィア。

 だが、俺が追加で言葉をかけると誤魔化すのを諦めたのか、ソフィアは姿勢を正すと深呼吸をしてから俺のことを見つめて口を開いた。


「……少しだけ、自分語りに付き合っていただけますか?」

「珍しいな。と言うか初めてか、お前がそう言うことを言うのは」


 自分語りなんてすることない以前に、そもそもこいつがうちに来てから俺たちはまともに話したことはなかった。

 会話自体はあったのだが、それは全部業務連絡的なものだ。


 ソフィアは奴隷だから主の命令にないことはできないし過干渉もしない。

 俺は家族でもなく、面白そうだとも思えない人形のソフィアに興味がなかった。


 だからこそ、俺たちは今まで触れ合うことはあっても踏み込むことも、自分を晒すこともなかった。


「そう、ですね。今までは諦めていましたから」

「今までは、か。じゃあ今は違うってか。まあ、せっかくこんな時間に起きたってのに暇だったしな。話したいってんなら聞かせてくれ」


 それなのにソフィアは今、目に見えなかったが確かにあった一線を踏み越えてきた。

 今までも少し変わったなと思うことはあったが、それでも今回のような大きな変化はなかった。だから今のソフィアの発言に驚き、踏み込んできた彼女に少しだけ興味が出てきた。


「私は、無駄だと諦めていました」


 光の加減だろうか? そう語り出したソフィアの表情はいつものようにすまし顔に見えるものの、その顔に影を落とし、悲しんでいるように見えた。


「自分の天職が『農家』だとわかったその日から、私は捨てられまいと、有用だと示すのだとスキルを使い続けて第二位階まで上げました。ですが、その結果がこれです」


 そう言うなりソフィアは自分の首についている奴隷用の首輪に右手を当て、そっと這わせる。


「意味なんてなかった。何をやっても無駄だった。不遇には不遇とされる理由があって、所詮私は意味のない存在だった。そう、思っていました」


 最初は首輪に当てられているだけだった手だが、次第に首輪をつまむような形で指先に力が込められていき、ソフィアは首輪と、その下にある首を掴むように指先を首に食い込ませた。

 それは、自分ではどうしようもない理不尽への恨みや嘆きからだろうか。


 だが、そうして力の込められていた手から突然フッと力が抜け、降ろされた手は体の前で重ねられた。


「けれどあなたは違った。自身の天職に嘆くこともなく、本当に楽しそうに毎日スキルを使い続け、鍛えてきました。そして、私では……いえ、私だけではなく今まで誰にも思いつかなかったような非常識とも言える使い方を見つけました」


 ……非常識って、これ、俺は馬鹿にされているんだろうか?


 ソフィアはそんなことを思っていないんだろうし真面目な話をしている最中で悪いんだが、ふとそう感じてしまったのだ。


 けど、そんなことを感じさせるくらいにソフィアの纏っている雰囲気は変わっていた。

 まだ暗さは残っている。だがそれでも妬みや恨みに塗れていると言うわけでもない。


「……結局の所、私は最初から諦めていただけだったのです。それでも現実を認められないから悪あがきをしていただけ。スキルを使うにしても、あなたのように応用や利用法を考えることも必死になることもなく、ただ嫌なことから目を逸らすためだけに惰性で続けていただけでした……。自分で諦めて、手放して、それで勝手に絶望してただけの愚か者」


 俺を見ているが俺を見ていないような眼差しで行われる彼女の独白。俺はそれをただ黙って聞いているだけ。

 それは何かを言う必要のある場面ではないからと言う理由だけではなく、なぜだかソフィアの言葉を邪魔してはいけないと感じてしまったから。


 そしてソフィアは一旦言葉を切ると目を閉じて深呼吸をし、小さく口元に笑みを携えると再び目を開けて俺のことを見つめた。


「——けど、少しだけ足掻いてみようと思ったのです。まだ遅くないと。諦めるにはまだ早いと。だって、目の前には折れることなんて知らずに歩き続ける背中があるのですから」


 しかし何が変わったと言うわけでもないのに、そう言ったソフィアの様子は深呼吸の前と後では全く違ったものに見えた。

 先ほどまでは多少なりとも感じることのできていた悲しみや恨みといった負の感情は今度こそ完全に消え去り、逆に希望とも呼べる色が感じ取れるような気さえする。


 今の短時間の間で、彼女は何度もその心の有り様を変えた。それも、誰に何をされたと言うわけでも、恨みや憎しみという負の感情というわけでもない。自身の力だけで前を向いたのだ。


 一度は堕ち、全てを諦めたはずなのに再び立ち上がり前を向くその姿は、とても美しいと感じた。


「——————へえ」


 ああ、その眼はいいな。今までの死んだような目とは違う、明確な意思を持った力強さを感じる眼だ。


 俺はこの世界に生まれ変わってから一度生きるのを諦めたからだろうか。こういう強い意思を持ってる人間ってのは割と好きだ。

 折れることのない強い心を持ったやつはすごいと思うが、一度は諦めたのに這い上がろうとする人間はさらにすごいと思うし、とても好ましい。


 自分さえ良ければ〜、なんて考える俺が、思わず手を貸してやりたいなと思うくらいには好ましい。


「そのためにヴォルク様にご許可をいただいて、通常業務に支障をきたさない程度であれば早朝のこの時間に限り、スキルの訓練を認めていただいたのです」

「……なるほどな」


 親父はソフィアのことを知っていたわけか。

 正式な雇い主は親父なわけだし、この館にあるものは親父のものなんだからわざわざ俺にいう必要がないと言えばない。

 だがそれでも、なんとなくずるいと感じてしまった。


「なら不審者じゃなかったわけだし俺はもっかい寝るよ」


 しかしまあ、思いがけず想定外に良い話を聞くことができたんだ。これ以上邪魔をするのはやめておいて、俺は大人しく部屋に戻って時間になるまで二度寝をすることにしよう。


「はい。お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」

「それじゃあまた後でな——先生」


 それだけ言うと俺は振り返って部屋へと戻るべく歩き出した。

 新しい『仲間』も増えたわけだし、これからはもうちょっと頑張るとするかね。

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