第26話はじめてのおつかい(十二歳)

 



「——よし」


 ヴォルクの部屋を後にした俺は、一旦部屋に戻ると軽く装備を整えてから街に出ていた。

 街に行くのに〝装備を整える〟ってのは少しばかり違和感があるが、こんな街だし着の身着のままってわけにもいかないだろ。

 装備って言っても、自衛用のナイフと予備のナイフと薬。それから煙幕なんかの逃走用の道具くらいで鎧なんかはつけてない。

 つけても無駄ってのもあるが、そこまで行くと流石にただの買い物ではないからな。


 金は屋敷を出て来る時にエディの小言と一緒に渡されたから問題ないし、張り切って買い物に行くとしよう。


 けどこれ、気分は『はじめてのおつかい』だな。お使いにしては周りの環境や俺の所持品なんかが物騒だし、もう12なのに初めてってどうなんだって感じもしないでもないが、護衛が外れなかったんだし仕方がない。


「にしても、どこに行くかな」


 そもそも種ってどこに行けば買えるんだ?

 肉や魚はそれらしい店に行けばすぐに買えるけど、種って八百屋でいいのか? それともそれ専門の店があるんだろうか?

 でも、あったとしても専門のやつに大量に卸すくらいしかやってないと思うんだよな。


 ……まあ、適当に歩き回ってれば八百屋くらいあるだろうし、そこで聞いてみればいいか。


 なんて気楽に考えながら街を歩いていたんだが、とてもではないが『はじめてのおつかい』をするには向かない街だよな。


「ねえ〜、そこの君〜。どお〜、私と遊んで行かない〜? いいこと教えてあげるわよ〜」


 男が街を歩けば、俺みたいな子供であっても売りに声をかけられる。


「あっ、待てクソガキ! ぶっ殺してやる!」


 それを無視して進むと別の場所で店を開いていたやつが盗みに遭い、盗んだ少年へと石を投げつける。


「ぐがっ!? こ、の……」


 その武器が避けられて別人の頭に当たり、当たったやつは頭から血を流した。

 完全にとばっちりだが、まあよくあることだ。周りにいたやつは特に気にしないやつと自分が当たってたかもしれないことに怒りを見せて店主に攻撃を仕掛けるやつ、それからそもそもの原因である盗みをしたガキを捕らえようとするやつと、様々な反応だ。


 でも、これでもまだマシな方だ。

 俺に声をかけてきた売りの女がいたが、他の地区ではもっと数が多いし明らかな病気持ちがいる。

 盗みだって、盗まれた場合は石を投げるんじゃなくて武器を投げるか殺傷力のあるスキルを使う。

 その後の乱闘だって殴り合いにはなっているが、殺し合いにはなっていない。


 けどこの東区では親父が手入れをしたから他の地区に比べて治安が良く、病気持ちは少ないし派手に暴れるやつも少ない。


 少ないってだけで完全に無くすことはできないのだが、それはもう仕方ないだろう。だってそういう街だし。

 無理やり綺麗にしたとしても、東区だけ綺麗にしたところで他の地区からならず者が流れ込んできておしまいだからな。


 そもそもこの街に来るんだったら自衛くらいできないと話にならない。襲われても、対処できない方が悪いのだ。


 普段は護衛に守られているからなんともない俺ではあるが、今の俺に護衛はおらず、その襲われる側だ。

 何せそこそこいい仕立ての服を着た身なりのいいガキだからな。どっかの金持ちの子供が親の言いつけを破って物見遊山で抜け出してきた、とでも思う奴もいるだろう。


 だからこうして狙われる。


「悪いが、その程度じゃやられないっての」


 さっきの店主の投げた石から始まった騒動へと軽く視線を向けながら歩いていると、俺の懐に手が伸びた。スリだ。


 しかしそんなものに気づかないはずがなく、俺からスろうとした痩せ細った男の手を叩き落とす。

 そしてそれと同時に腰に差していたナイフを抜いて男の手を軽く切りつけると、そのまま動きを止めることなく僅かに血のついた鋒を男の首へと突きつけた。


「一度は許してやる」


 そう警告してからナイフを男の首元から離すと、男は舌打ちをしてから逃げていった。


 服の内側にしまっていたのにそれの場所を正確に当てる能力は素直にすごいと思う。多分些細な服の膨らみや重心のズレなんかから判断したんだろうが、その技術をもっと違うことに活かせよ。でもどう活かすかは自分で考えろ。


 そんなこんなで些か〝騒がしい〟街を歩いていると、比較的静かな通りに出た。


 ここは東門から比較的近くにある商店街のようなものだ。

 こんな街に商店街なんてあっても襲われる対象になるだけだが、ここには親父が私兵を配置しているので滅多に襲うやつはいない。ここに手を出すってことは『五帝』の一人と完全に敵対するってことだからな。この町で生きて行くつもりならまず手は出さない安全地帯だ。


「ああ、いらっしゃいませ」


 そんな商店街に並んでいる店の一つにそこそこ立派な作りをした八百屋があったので、種を売っているかはわからないけどとりあえず入ってみることにした。


 だが、入った際の声がなんとも普通すぎて逆に違和感を感じてしまい、俺はもうこの街に馴染みすぎているんだろうなと思わずにはいられない。


 そのことに僅かに苦笑しながら店に入った俺だが、ここは『店』と言っても商品棚が置かれているわけではない。入り口から入ってすぐのところにカウンターがあってそこに男が座っているんだが、商品は全てその奥側に置かれている。


 これは大抵の店でそうなのだが盗まれないための設計だ。真面目に商品棚なんて並べたらどれだけ頑張って見張っても盗まれるからな。なのでこの街では基本的に客には商品を触らせないのだ。


「ここは種って売ってるか?」


 俺が金を持っているか判断するためだろう。品定めするような眼差しを向けてきた店主らしき男の視線を無視して話かける。


「……種、ですか? ええはい。一応売ってはいますが……どのような種がご入用で?」

「あー……」


 そういやあ今更だけどなんの種がいいんだろう? 小さすぎると俺が見えないから却下としても、じゃあどんな種が向いてるんだって言われるとわからないな。

 それに、あるって言っても大量に揃えられないかもしれないし……んー、とりあえず麦でいいか。麦の種ならないってことはないと思うし、それなりに大きさがあると思うし。


「麦はあるか?」

「麦ですか。それでしたら問題ありませんが、本当に麦の〝種〟でよろしいのですか? 精製したやつじゃなくて?」

「ああ、種でいい」


 普通に麦が必要なら精製したやつだろうから、俺みたいに種が欲しいって言うやつはめずらしいだろうな。


 あ、でもとりあえず使えるかどうか確認でもしておくか。


「一つ頼みがあるんだが、少しでいいから売ってる麦の種を見せてくれないか?」

「それくらいでしたら構いませんよ——どうぞ」


 カウンターの奥の空間。その隅の方に置かれていた袋からカップ一杯分を救って差し出してきたのでそこから軽く掴み、それを確認するように手のひらの上で転がす——ように見せかけてその麦の種のうち一粒を選び、スキルを発動する。


 声に出さないままスキルを発動したことによって、手のひらの上にあった麦のうち一粒だけが目の前の男からは見えない角度で放たれ、俺の足元の床に向かって突っ込んでいった。


 どうやら麦はちゃんと『種』として使えるようだな。ならこれでいいな。


「これはどれくらいあるんだ?」

「その種でしたらそれなりの量はあります。正確な量は倉庫へ行って確認しないとわかりませんが、百は下回らないはずです」


 手に持っていた種をカップに戻しながら尋ねるとそんな答えが返ってきた。


 百か。流石にそんなには要らないだろうな。一袋だと足りないかもしれないが、五袋程度もあれば足りると思う。

 でもあって困るもんでもないし、十も買っておけば余裕を持って使うことができるだろ。


「じゃああれを、そうだな……十個買うよ」

「あれを十? ……どこかに麦畑でも作るのですか?」


 そう言った瞬間男の目が僅かに細められた。これは、俺のことを探ってる?

 でも麦でなくても種をこんなに大量に買うんだとしたら怪しいか。


 仮に俺がこれで麦を作るんだとして、それを止めようとしているのか、それとも上手くいったら買取でもしようと思っているのか、もしくは違う何かか……。


 この男が何を考えているのかわからないが、いずれにしても知っておきたいと思うのは商人として共通のことだろうな。


「それ、言う必要ある?」


 でも、教えるつもりはない。だって俺のスキル用だし、言ったら俺の天職がバレるかもしれない。


 もし『俺がスキルで使う用』なんて教えたら、俺が——五帝の息子が不遇とされている天職である『農家』だと知られることになる。

 わざわざ『農家』のスキル用に種を買ってまで鍛えるなんて、ただの家人のためにそこまでしないだろうからな。

 だから必然的にこの種は息子のためということになり、俺がその息子だってことも『農家』だってこともバレるかもしれない。


 でも、そうして俺が『農家』だってバレるとまずい。

 それが決定的に、ってほどでもないが、多少なりとも色々な方面で影響が出てくるだろう。具体的には俺を狙う輩が増えたり、親父に反抗する輩が増えたりだ。


 だって『農家』は弱いからな。他の地区の五帝たちがヴォルクをどうにかするために俺を狙うことだってあり得るし、弱いやつが上に立つことを嫌うやつがヴォルクに喧嘩を売るかもしれない。それは面倒だ。


 そうでなくても天職がバレるようなことはするべきではない。なので俺はこの種の使い道を教えるつもりはない。


「……いえ、失言でした。売ったものの用途を聞くべきではありませんでしたね。では代金の方ですが……」

「金はあるよ。いくら?」


 一瞬だけだったが、男の視線がこちらに向けられたのがわかった。そして、その後にうっすらと口元が歪められたのも。


「あの袋を十ですと、こちらになります」


 男はそう言いながら紙に何かを書いてこちらに差し出してきたが、そこには数字が書かれている。これが種の代金ということか。


 けどこれ、多分相場よりも高いんだろうな。だって口元が緩んでるし、瞳の奥にある色がそうだ。

 こっちのことを金持ちのガキがお使いに来たとでも思っているのか? 


 だが残念だったな。悪いがこちとら人生二週目なんだよ。見た目通りの年齢じゃねえんだ。そんな態度なんて見てればわかるわボケが。


「これはちょっと高くないか?」

「ええ。この国の相場としてみれば高いでしょう。けれど、〝この街〟だと少々事情が変わります。何せ輸入も輸出も厳しい街ですから」

「……ふーん」


 まだ言い逃れるつもりみたいだが、まあ詐欺なんてこんなもんか。


 ここは安全ではあるが、それは襲撃に遭いづらいってだけ。詐欺やスリなんかはむしろ他のところよりも多い。

 何せ、五帝の兵が警備しているおかげでミスっても死ぬことはないからな。ボコられることはあるかもしれないけど、それでも死ぬことはないので安心して詐欺れるしスれる。


 こいつもそんなふうに考えている一人なんだろう。

 もっとも、この街にはそんな考えをしない奴は逆に珍しいってくらいだけど。全員が何かしらの悪意や犯罪歴を持っていると言っても過言ではない。だってそういった悪辣さを持ってないと速攻でカモられて潰されるし。


「まあ初めてのお客様ですし、今後もご贔屓にしていただけることを願っていくらか気持ち安くしてきましょう」


 けど、今回に限っては相手が悪すぎるんだよなぁ。そこは自分の選定眼が悪かった、もしくは時の運だと思って諦めてくれ。


「そうか? いや悪いね。それじゃあこれを家に運んでおいてくれ」

「かしこまりました。家の場所をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、そうだったな。それじゃあ——東のヴォルクの家に運んでおいてくれ」

「————————は?」


 俺がそういった瞬間に男の動きは止まった。

 うん。そうなると思ったよ。


 だって、詐欺ろうと思った相手がこの街の王様の関係者だってわかったらそうなるわ。


「は、え、あ……い、今、ヴォルクの家、と言われましたか?」

「ああ。俺はそこに住んでるからな」

「で、ではあなたは……」

「ヴォルクの息子だ」


 しかもだ。それがただの関係者どころか息子だって分かれば、この男の滝のような汗も無理はない。

 人の顔色ってこんなに変わるもんなんだな。血の気が失せた色ってこういうのを言うんだと思う。


 他人が見ていれば気の毒になりそうなくらいだが、俺は止めるつもりはない。だってやられたらやり返さないとだろ? 舐められたままではいられない。立場的にも、俺個人の心情的にも。


「いやー、助かったよ。探すにはもっと時間がかかると思ったんだが、こんなすぐに見つかって、それも、割引までしてもらってさ。このことは〝ちゃんと〟親父に伝えておくよ。『親切なやつがいた』ってさ」

「そ、それは……いや、待って……」

「ん? どうした?」

「いや、その……」


 可哀想になるくらい色の失せた顔で戸惑う男。


 ……まあ、今回はこれくらいで許してやるか。事を荒立てて騒ぎにしたくもないしな。


「ああ、会計がまだだったな。——で? いくらだったっけ?」

「っ! ……あ、ああ、こちらです。ど、どうやら先程のものは計算を間違えてしまっていたようでして、申し訳ありませんでした。こ、これも歳のせいでしょうか? ボケたくはないものですね。ハハ……」


 俺が精算の催促すると、男はその言葉の意味を理解して下手な演技をしながら新しく値段を書いた紙を俺に差し出してきた。


 うん。それはいいんだけどさ、お前……これ、差し出してきたのに書かれてるのって元の値段の十分の一じゃん。これは元々の値段が十倍だったのか、それとも媚びるために十分の一まで下げたのかわからないな。いやまあ安いならそれでいいけど。


「これだけ先にもらっていくよ」


 俺はそう言うと目の前にあった袋から一掴みだけ麦を手にすると、それをポケットの中に突っ込んだ。

 男はそんな様子を不思議そうに見ているが、それでも何も聞いてこないし表情も崩さない。


「ああそうだ。これからも来ることがあったら〝よろしく〟」


 なんにしても種を買うことはできたのでそう言ってから俺は店を出ていくと、背後からはドサリと〝何か〟が崩れ落ちるような音が聞こえたが気にしない。


 完全に虎の威を借る狐だが、使えるものはつかわないとな。これくらいなら親父も名前を出したことで怒ったりしないだろ。そもそもどんなタイミングで名前を出したとしても怒らなそうな気はするんだけどな。

 でもこれ、調子に乗りすぎないようにしよう。好き勝手できるのはありがたいけど、なんか違うからな。


 その後は親父の言っていたように適当に街をぶらついて見ることにした。一人で街を見る機会はないわけだし、少しくらい楽しむのもいいだろう。

 護衛はありがたいし役に立っているんだが、ずっと一緒にいられると息が詰まるからな。

 よくお姫様とか王子様が城を抜け出すシーンがあるが、あれの感覚がよくわかるよ。……まあ、俺も一応王子様だけどな。だからどうしたって話だが。


 なんにしても、せっかくの一人行動なわけだし今の状況を楽しもう。

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