第8話ヴォルク:ここまでがプロローグ
「——逃げんぞ」
城に戻れない以上、そうするしかない。
「逃げるってどこにっすか?」
「つかそもそも俺たちも逃げる必要あります? 隊長を殺して差し出した方がいいんじゃねえですか?」
隊員の一人がそんなことを言って腰に帯びた剣の柄尻に手を置いた。
「できるもんならやってみろや」
だが、その剣は抜かれることはない。んなことは俺がさせねえ。
そいつは俺が放った殺気によって肩をすくめるようにして剣から手を離した。
その言葉が冗談だってのはわかってたからこそ、俺もそいつが剣から手を離した時点で殺気を散らした。一見すると剣呑な雰囲気だが、俺たちからしてみりゃあ日常の一コマだ。
「そもそもこの任務に参加したって時点でお前らも『処理対象』だろ」
「まあ、っすよねー」
「で、結局逃げるってどこにってことになりますけど、あてとかあんですか?」
あてねぇ……昔いた傭兵団は潰れたし、そこが使ってた拠点も今はどっかの誰かが使ってんだろうから使えねえ。
他には知り合いの家に行くってのも手段ではあるが、その場合はそいつを巻き込むことになる。流石にそれは避けてえ。
この国以外にもいくつか拠点と呼べる場所だとかはあるが、どれも遠い。
「できるだけ近くて安全な場所で思いつくやつは手え上げろ」
「近い場所ってなんでっすか? 遠い方がいいんじゃねえすか?」
「あー、まあ安全面で言ったらその方がいいんだけどよぉ。じゃあ聞くが、こんなかでガキの扱いに慣れたやつはいっか?」
いねえだろうなと思いながらそう聞いてみたが、まあやっぱりなって感じだ。誰も手をあげるやつはいねえ。
「ちっ、役立たずどもめ」
「役立たずって……あんたもじゃねえか」
うっせえよ。確かに俺も子育てなんざしたことねえからわかんねえけどよ。
「まあガキを助けるってんなら女が必要だ。それも、子育てできて乳出せるようなやつな。遠くに行くにゃそいつも連れて歩かなけりゃあならないわけだが、そんなことを了承するようなやつなんていねえだろ」
一応城を出て来る時には乳を飲んだらしいが、そっからもう何時間も経ってる。今日は飲ませなくてもなんとかなるかも知んねえが、それが明日明後日と続くとどうなっかわかんねえ。つか多分死ぬ。
そうさせないためには女が……あれだ、乳母的なやつが必要になる。
だが、乳が出る女で俺たちについてきてくれるやつなんて都合のいいやつがいるわけがねえ。だから遠くにゃいけねえ。
移動途中の村や町に寄って乳の出る女を探して移動するってこともできんだが、そんなことがいつまでも続けられるとも思えねえ。
それに何より、俺たちは長旅なんざ慣れてっが、この赤ん坊はどこまで耐えられるのかわからん。多分国境を越えることなんざできねえんじゃねえのか?
ここまできた馬での移動だって赤ん坊の体には悪いもんで、それが影響して死ぬんじゃねえかとすら思ってる。
だから乳母の件がなくてもどっか近場で拠点を探さねえとならねえ。
「そんなわけで、できるだけ早く女を確保する必要があんだよ。そのために近場で拠点になりそうな場所聞いてんだ」
「女を確保って、まるっきり賊の言葉じゃねえの?」
「まあ騎士なんてもんをやってるよりか賊の方がこいつにゃあ似合ってんだろ」
「ちげえねえな」
部下たちは笑ってるが、それは否定できねえ。だがそりゃあおめえらもだろうが。お前ら、その鎧脱いだら騎士なんてとてもじゃねえが見えねえぞ。
「黙れバカども。おら、なんか案を出せ!」
つっても、ここ数年は俺もこいつらもほとんど一緒に行動してたわけだし、どっかいい場所の情報なんて知ってたら俺だって知ってるはずだ。
だから正直、望み薄だよな——
「あー、じゃあ一ついいっすか?」
なんて思ってると、誰も案を出さねえなかでエディが手を挙げた。
「あ? よし、言ってみろ」
「あんまし気乗りはしねえっすけど、悪性都市はどうっすかね? あそこなら母乳の出る女を確保すんのはそう難しくねえっすし、場所も確保できます。追手だってそうそう来れねっすから、安全っちゃー安全っすよ」
悪性都市って……お前マジで言ってんのか?
「ただし力があれば、ってか?」
エディの言葉に部下の一人が最後に付け加えたが、まさにその通りだ。
あの場所は『悪性』都市なんて呼ばれてるだけあって、クソッタレどもの集まる掃き溜めだ。
あそこにゃあ騎士になる前、傭兵だった頃に何度か行ったことがあるが、殺しも盗みも強姦も誘拐もなんでもござれの犯罪の見本市。
バカが宿に泊まれば拐われ、雑魚が街を歩けば殺される。道を見回せば左右には非合法のブツや奴隷が所構わず混沌と売られてるような、そんな犯罪者共の巣窟。
治安なんてもんは気にするだけ無駄。
一応この国——ザヴィートに所属してるってことになっちゃいるが、その実支配なんてできてねえ。
当たり前だ。あそこの連中がどっかの下につくなんて認めるはずねえからな。
それに、あの場所は国境付近、っつーかもはやあそこが国境みたいな感じか。ザヴィートの他に二つの国と隣接してる真ん中の地点でちょうど街がある感じだな。
そんな立地をしてるから、一応ザヴィートの土地ってことになっちゃいるが、他の二国もあの街を狙ってる。
そんな場所に行くなんざぁ、普通なら自殺行為だ。それも、こんなガキを連れてだなんてな。弱点抱えてますって言ってるようなもんだ。
だが、そこに行けば少なくとも追っ手を撒くことはできるだろう。
それに、最悪の場合はあそこから他国に行くこともできなくもない。あそこが一番近い国境だから距離的にもそれほど問題はない。
唯一にして最大の欠点が命の危険だが……まあなんとかなるだろ。
「よし決まりだ。こっから……あー、馬で三日ってところか?」
「その間の飯はどうすんだ? 俺らは、まあいいけど、そいつは大丈夫か?」
「それくらいならどっかしらの村によればなんとかなんだろ。……多分」
どのみちこっからどこかに行くとしても同じようにどっかの村や街で調達する必要があったんだから変わんねえ。
「マジで行くのかよ。お前は戻ったら貴族になれんだろ? もしかしたらって思わねえのかよ。逃げるにしてももっといい場所があんだろ」
まあ、だな。だが、そんなのはもう無理だ。俺たちは帰ったところでまともな扱いをされるとは思えねえ。
そのことは全員わかってるだろうからこれは本気で止めようと言ってんじゃなくて、最終確認みてえなもんだろ。
「貴族なんて元々させるつもりねえだろ。簡単に殺されるつもりなんざねえが、めんどくせえことに変わりはねえ。それから、場所の文句なら一人で生きられねえのに殺されそうになってるこいつに言え」
「あ〜あ〜う〜」
俺が抱いていた赤ん坊を文句を言ってきたそいつに向けて見せると、赤ん坊——ヴェスナーは楽しそうに手を伸ばして笑った。
それを見たそいつの顔は、賊にいそうな傷跡の残った厳つい顔をだらしなく緩めて手を伸ばし、ヴェスナーに指を掴まれた。
「何しまりのねえ顔してんだよ。きめぇな」
そう言うと周りの奴らは文句を言ったそいつのことを笑ったが、まあ俺たちみんな同じようなもんだ。
女は抱いてきたが、家庭なんざだーれももってねえ。
全員家庭なんざ持ってない、今まで散々バカやってきた奴らの集まり。それが俺らだ。
機会がなかったわけじゃねえ。今更家庭を持つことに執着がなかったってのもあるんだろうが……多分、罪悪感とかがあるんじゃねえか? 今まで仕事とはいえ散々人を殺してきた俺たちが、家庭なんて持って幸せになっていいのか、ってな。
中にはなんの罪もねえ奴を殺したことだってある。だから恨まれてるのは自覚してる。
だから、もしそんな恨みが自分だけじゃなくて家族に向かったら、大切なものが壊れちまったら、って怖がってたんだと思う。
そんなわけで、今までこうして赤ん坊なんてもんに触れるどころか近寄ることなんてなかったから、まあ……可愛いんだろうな。
「まあいい。とにかくお前ら、これからあのクソッタレな掃き溜めに行くが、行ったことのねえやつはいっか?」
ヴェスナーを抱き直しながら聞いてみるが、やっぱり今回も誰も手を上げねえ。つまりは全員あのクソったれな掃き溜め都市と私的に関わったことがあるってことだ。
「誰もいないっと。全員があの街と関わりを持ったことがあるって、おめえら本当に騎士かよ?」
「そりゃあおめえもだろうが」
「ごもっとも。だがまあ、なら説明なんざ必要ねえな? くれぐれも馬鹿やって俺たちに迷惑かけんじゃねえぞ」
「あんたが一番なんかやらかすだろうがよ」
そんな言葉とともに部下たちは笑ったが、まあ、間違いでもねえわな。
「っつか〝俺達〟って、俺たちのことじゃねえよな? お前と、その赤ん坊のことか?」
「はっ! 天下の『黒剣』様が随分とあれだな。父親気取りか?」
言われてから気づいたが、なんだって俺は〝俺達〟なんて言ったんだ? まさか、マジでこいつの父親でいるつもりか?
……はっ。馬鹿馬鹿しい。
「おう、黙ってろ馬鹿ども。あとでぶん殴ってやるが、今はこっから離れんぞ。追手がきたらめんどくせえ」
ただまあ、このまま死なせるのは気に入らねえし、何よりこいつとこいつの母親が引き離された時の光景がどうしても頭から離れねえ。
あの王妃にこいつを会わせる事はできねえが、せめて生かしてやるくらいは構わねえだろ。
「っし。じゃあ行くぞ!」
「「「おう!」」」
そうして俺たちは悪性都市を目指して馬を進めた。
……とりあえず、あの町に着いたら安全を確保するためにひと暴れすっかね。
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