第8話

 風呂から上がり自室に戻った俺は、勉強机の上に置かれたスマートフォンを手に取った。チャットアプリを立ち上げ、侑希にメッセージを送る。


(明日、浅野ことは姉貴がなんとかしてくれるらしい。だから明日までは風井たちに関わらないようにしてくれ)


 机の上にスマートフォンを戻し、ベッドの上に転がる。枕元に置かれた読みかけの文庫本を手にし、仰向けになって読書を始めた。


 三十分ほどしたところでチャットアプリの着信音が鳴る。侑希からの返信だった。スマートフォンの画面を見て安堵の息が漏れる。


(わかった。明日は何もしない。あと今日はごめん)

(あと、『明日は昼休みに放送室に来るように』とのことだ。時間になったら迎えに行くから席で待っててくれ)


 送信ボタンを押し、再び読書を再開する。



 翌朝も早い時間に家を出て学校へと向かった。人気のない朝の校舎を歩き、浅野のいる一年五組へと向かう。


 扉を開けると、音のない教室に浅野だけが背を丸めて座っていた。


「毎日ご苦労なことだな」


 そう声をかけて浅野の席に向かう。


「もう慣れてるし大したことないよ」


 浅野はこちらを振り返ると、寂しげな笑みを浮かべて言った。


「お前こんなことずっと続けるつもりなのか?」

「……そのつもりだけど。別に殴られたりするわけじゃないし」

「でも、嫌なのは嫌なんだよな?」

「…それは、そうだけど」

「風井のカツアゲを辞めさせる方法がある」

「え?」


 浅野は目を丸くしたかと思うと、すぐに瞳に警戒の色を浮かべた。


「断っておくけどぼくは何もやらないよ」

「ああ、何もしなくていい。ただし、隠れながら事の一部始終は見届けてもらう。それが唯一の条件だ」


 浅野が異国の言葉を聞くような呆然とした表情になる。俺は言葉を継いだ。


「理由は聞くなよ。俺が決めたことじゃないんだから」



 西央中学の放送室は職員室の隣にある。当然、メインで利用しているのは放送部だ。だが、それだけではない。放送室にはもう一つ別の顔がある。別名「贖罪部屋」。職員室の隣という立地と優れた防音性から、「教員が生徒を叱る場所」としても放送室はよく利用されるのだ。だから、放送部以外の生徒が放送室の鍵を借りることは、それ即ち「贖罪部屋」行きを暗に示す行為となる。


 放送室の鍵は職員室にあり、借りる時はその旨を職員室全体に響くよう、告げる必要がある。「放送室の鍵を借りていきます」と、大声で宣言をしないといけないのだ。


 無論、その生徒はほぼ例外なく、好奇の視線を浴びることになる。「あいつは何をやらかしたんだ?」という教員たちの好奇の視線を。そして、西央中学に着任したての姉はこの辺りの事情をまったく把握していない。


 作戦決行日の十一時半。つまり四時限目前の休み時間に、俺のスマートフォンのチャットアプリが着信を知らせた。発信者が姉だったため、俺はすぐにメッセージを確認する。


 中身を読んで愕然とした。


「ギリギリになる。放送室の鍵は一志の方で借りておいてくれ。二人を連れてくるのも忘れずにな」


 俺は慌ててすぐさま返信した。


「それは困る。鍵は姉貴が借りてくれ。さもなくば場所を変えろ」


 このメッセージが既読になることはなかった。そのまま約束の時刻は到来し、俺は渋々侑希と浅野を連れて放送室へと向かった。当然、職員室で鍵を借りる際には、好奇の視線を一身に浴びた。「あいつは何をやらかしたんだ?」という好奇の視線を。

精神に大きなダメージを抱えた末、放送室にたどり着くと、ものの数分もしないうちに姉はやってきた。


「意外と早く着いたな。一志に鍵を頼むまでもなかったみたいだ」と姉が呟く。


 俺はこの件に関して姉を一生恨むことにした。

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