第4話

 翌朝はいつもより三十分早く家を出た。まだ登校時間には早いせいか、学校の表玄関に人の姿は見当たらない。シューズボックスを開けると、扉が軋む音が玄関を伝っていく。こんなに静かなら朝早く学校に行くのも悪くはない。


 校舎東側二階にある一年生の教室へと向かう。誰もいない廊下を歩き、一年三組の扉を開けた。教室内にも人の姿はない。


 俺は自分の席にスクールバックを置くと、すぐに教室を出た。再び誰もいない廊下を歩く。


 一年五組の教室の前で止まり、後方の扉を開けた。静謐とも言える空間の中、浅野がポツンと窓際真ん中の席に座っている。扉を開く音に気づいた浅野が、こちらを向き、「ほんとに来たんだね」と弱々しい笑みを浮かべた。


「あいつらはここで待ってれば来るんだな?」

「……うん。でも大丈夫かな?」

「一回だけなら怪しまれることもないだろ。それにもう迷ってる時間はない」


 その時、ガラッと音を立てて、俺がいる方の反対側、教室前方の扉が開いた。



「というわけで、浅野君は先生から用事を言付かったので俺が来ました」


 でっち上げの事情を伝えると、風井の眉がピクリと動いた。端正な顔立ちと色白の肌のせいか、表情の細かな動きが目立つ男である。


「問題ないですよね?」

「……ああ、今日くらいならな。でも金のやり取りってのはシビアな問題だ。人伝にするのは感心しないな」

「わかってます。今日だけですよ」


 俺は浅野の代わりに屋上へと来ていた。浅野を迎えにきた上田に俺がついていったのだ。


 浅野が教員の頼み事で席を外せないことを伝えると、上田はすんなりと俺をここへ連れてきた。苛立っている風井との違いを鑑みるに、上田が与り知らぬ事情が風井と浅野の間にはあるのかもしれない。


 俺は胸ポケットから千円札を取り出した。予め自分の財布から取り出しておいたものだ。それを風井に差し出す。


 千円は中学生の出費としては痛手だが、両親に代わって家計を握る俺にはそこまでのものではない。少食の姉の分も含めて飯代等の仕送りは貰っているし、俺自身も消費意欲がほとんどないので、現金はそれなりに貯まっているのだ。


「今日はこれだけです。どうぞ」


 風井は黙って俺の手にあるお札を抜き取った。それをそのままポケットにしまう。


「もう行っていい。あと、浅野に今後は必ず自分で来るよう伝えておいてくれ」

「ちょっといいですか?」

「なんだ」


 俺は事前に用意していた質問を繰り出した。


「風井先輩。先輩と浅野はどういう付き合いなんですか?」


 風井の眉間にわずかな皺ができる。一瞬の間が空いた。


「浅野が何か言ってたのか?」

「いえ、何も。ただ気になったんですよ。先輩と後輩で金のやり取りするなんて珍しいなって」

「……浅野とは家が近所だ。別に珍しいことじゃない」

「小学校は一緒だったんですか?」

「ああ」


 浅野が風井のフルネームを知っているのに納得がいく一方、疑問も浮かぶ。

 

 何故、風井は浅野をターゲットにしているのか?


 普通、近所の後輩を選んでカツアゲをすることはないだろう。少なくとも俺だったらしない。バレて近所トラブルに発展すれば面倒だからだ。風の噂でヤンキーがカツアゲをする時は、地元ではなく、三駅ほど離れた駅チカのゲーセンを狙うという話も聞いたことがある。単純に金のためならば、極力自分とは縁のない人間をターゲットにするはずだ。


「今日はもう帰ってくれ。俺も忙しいんだ」


 風井の声に明らかな苛立ちのニュアンスが混じりはじめた。これ以上の質問を許す雰囲気ではない。ここは引いておくのが得策だ。


「わかりました。それじゃ俺はこれで」


 俺は踵を返し、出口へと向かった。


 千円の代償としては収穫が少なかったものの、風井が何の理由もなく浅野を狙うような馬鹿ではないことはわかった。慎重そうな性格を鑑みれば、金だけの目的で浅野を狙うような男ではない。恐らく、風井には金以外に浅野をターゲットにする理由があるはずだ。そこを突けば、この問題はたちどころに解決するだろう。そこのところは、地道に風井以外のところから情報を仕入れていくしかなさそうだ。


 俺は塔屋のドアを開け、屋上を後にした。

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