第1話

「来学期から一志の学校で教師をすることになった。よろしく」


 姉はいつもよりずっと早い時間に帰宅するなり、淡々とした口調でそう報告した。ダイニングテーブルで夕飯を食べていた俺の箸が止まる。


「はい?」


 リビングの入り口に立つ姉の方を見る。決して冗談を言っているような表情ではない。


「大学はどうしたんだよ?」

「クビになった」

「クビって……理由は」

「私の授業中の発言がアカハラだなんだと噂になってな。大学からほとぼりが冷めるまでと追い出されることになったんだ」


 アカハラ。略さずに言えば、アカデミックハラスメントだ。


 その言葉だけで、俺には姉がどんな所業をなしてきたのかが、大体想像できた。大方、姉は授業中に『馬鹿』だの『知能指数が低い』だのと、生徒が傷つく言葉を平気で吐き続けてきたに違いない。そして、それを恨みに思った誰かにとうとう告発されたのだろう。


「で、暫くは大人しく家にいようかとも思ったんだが気が変わってな。中高あたりで後進の育成でもしようと思ったわけだ」

「いや、だからって何でよりにもよってウチなんだよ」


「他にしろよ」と言いかけたところで、一つの理由に思い至る。


「親父か」

「そうだ。今しがた中西さんに返事をもらってきた。一ヶ月後の夏休み明けから勤務開始だそうだ」


 中西さんは俺たちの親父、江崎竹久の後輩だ。同じ大学で同じ学部だったらしい。それでいて、俺が通う私立西央中学の理事長でもある。共に同じ大学で学んだ情か、それとも科学者として、学術、教育の分野で莫大な力を持つ親父への忖度か。何れにせよ、姉は親父のコネを利用したのだろう。


「まさか、教員免許が役に立つ日がくるとはな」


 姉は小さくそう言うなり、二階の自室へと向かった。リビングに静寂が戻る。


 俺はすっかり宙に浮きっぱなしになっていた箸を、皿の上に置いた。


(姉が俺の学校の教員になる? これは悪い夢なのか?)


 俺は体が妙に軽くないかを確かめてみた。次に周囲をぐるりと見渡し、風景に変な箇所がないかを探す。だが、残念なことに、奇妙な感覚やおかしな箇所はひとつも見つからなかった。どうやら夢ではないらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る