第5話 生は……ダメ
六時にセットしたアラームで起きる。
起きたらすぐに隣の部屋に行き、シンシアも起こす。
畳の上に敷かれた布団。その四隅に立てられた物干し竿。それに掛けられたレースのカーテン。
本人曰くプリンセスベッド風らしいが、どう見ても蚊帳にしか見えないところで寝る妹。
しかしその格好はパンツにキャミソールのみ。ちゃんと着て寝たはずのフリフリのパジャマは布団の脇に投げられている。
「シンシア、起きろ。朝だぞ」
「んっ、お兄様ぁ……生は……生はだめ……」
「どんな夢見てんだよ。ほら起きろ!」
声をかけただけじゃ起きないシンシアの肩を掴んで揺らす。と同時に胸も揺れる。
俺は兄だからとくに何も思わないが、こいつの親衛隊が見たら驚愕ものだろうな。
「ん、んん……はっ! お兄様! 豚肉は生はだめですっ!」
「いや、何の話だよ」
「あ、夢だったのね。お兄様が貴重な肉を生で食べようとしていたから……」
「そんな馬鹿なことはしない。いいからほら起きろ」
「えぇ……あら? パジャマが……。着て寝たはずなのに。もしかしてお兄様、シンシアを抱いたの!?」
「弁当のおかず一品減らすからな」
「ああっ! 三割は冗談なのよ!」
残りの七割はどこいった。
「「いただきます」」
俺はシンシアと台所の小さなテーブルを囲んで手を合わせる。他のみんなはまだ寝ているから小声だ。
「ところで、お兄様は今日はどこに行くの?」
「俺は斎藤ミートに行く。肉を切った後の端材と揚げカスを安く分けてくれるみたいだから、学校が終わるまで取っておいて貰おうと思ってな。シンシアは?」
「ワタシはクラスの男子の家がケーキ屋さんをやっているみたいで、そこに行ってくるわ。商品にできないスポンジケーキを、捨てずに保管してもらっているの」
「なら今夜はケーキ作るか。冷凍庫に搾るタイプの生クリームが確かあったハズだし。果物もお隣さんから貰った物があるからな」
「あら、それは楽しみね!」
その後、食べ終わった食器を洗って片付け、二人を揃って玄関に立つ。
「じゃ、シンシア。気をつけて行けよ」
「えぇ、お兄様もね」
「「行ってきます」」
◇◇◇
学校に着くと、同じ学年のリボンを付けた一人の女子が近づいてくる。
「御子柴くん……お、おはよ。今日も髪型カッコイイ……ね?」
寝癖ですがなにか?
そして返事をする前にまた一人。今度は先輩だ。
「おはよう御子柴。良かったら今度映画見に行かないか? あそこのポップコーンはいろんな味もあって、映画以外にも楽しめるぞ。その後は私とも楽しめるぞ?」
結構です。家で採れたてのとうもろこしを茹でて食べてるので。
「御子柴くん」
「御子柴くん」
「御子柴さん」
返事もしてないのにどんどん女子が湧いてくる。集まってくるその姿は、まるでえのき茸みたいだ。
他の男子から見れば羨ましいのかもしれないけど、わかるか? 常に監視でもされているような視線の怖さと、勝手に失望される恐怖が。
だから女は苦手だ。俺はすぐに教室に入り自分の席につく。これでやっと平和になった。
……ちがう。平和じゃない。ホントの恐怖はこれからだった。俺を脅そうと考えている渡良瀬がいたんだ。
隣を見るとまだ登校はしていないみたいだが……。
くそっ! ただでさえ昨日チップスの食べ過ぎで胃がムカムカしているというのに。
「おはよ、御子柴くん」
来たぁぁぁぁぁっ!
まずはフレンドリーな挨拶で俺の警戒心を解こうとしているのか? その手にはのらない。平常心を保つぞ、俺は。
──んなっ!?
ちょっとしたイジワルだと!? あれが!?
俺がどれだけ動揺したと思ってるんだ!
しかも、あんなのだと!?
誰も悪くないだと!?
やっぱり昨日のは足の匂いの事を言っていたのか!
いや、そんなはずはない。いくらなんでもこの距離で匂いがわかるはずがない。
まさか……イジメか? いや、そんなまさかな。
そう思ってた俺が馬鹿だった。
まさか昼飯用のパンを買ってこいって言われるとは思わなかった。それも滅多に買えないレアな物を。
つまり、「チャイムと同時に走って買ってこい。色々バラされたくなかったらな」と、言うことなんだろう。
俺は財布を見る。中身は七百二十二円。これで足りないなんてことはないだろう。
本当なら断固断るところだが、さすがに昨日の今日だ。
それに下着を見た罪悪感も僅かにだが、確かにある……。
くっ、今日だけだからなっ!
俺は昼休みに入るチャイムと同時に走り出した。
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