第25話 7日目①

 七日目。携帯に返事は入っていない。既にアサヒはどこか遠い町に旅立ったのだろうか。新しい白いワンピースにグレーのスニーカーを身に着け、モノトーンコーデで次に引っかける男を物色しているのだろう。


 頭が覚醒してくるにつれて、昨日の夜から何も口に入れていないことを思い出し、空腹に襲われる。家には食材しかないのだが、調理をする気も起きないので、近くのコンビニに行くことにした。


 マンションの外に出ると、いかにもその筋の人と一目で分かる派手なシャツを着た二人組がいた。顔も見覚えがある。黒石会の関係者だ。


「おい、コマ。ちょっと来てもらおうか」


「はい。分かりました」


 大方、昨日の大山さんの件なのだろう。ここで抵抗してもいい事はないので、素直に二人に挟まれて黒石会の事務所に連行される。





 黒石会の事務所は俺や大山さんが根城にしている歓楽街の外れにある雑居ビルの二階に入っている。俺はほとんど顔を出したことがない。大山さんに連れられて最初の挨拶に行った時と、毎年の新年の挨拶くらいだ。


 事務所の中は、黒石会のお偉いさんが勢ぞろいという感じで、まさに盆と正月が一緒に来た、という感じだ。おかしな事を考えると顔がにやけてしまうので雑念を振り払う。ここでは一挙手一投足が大問題に繋がりかねないのだ。


「コマ。わざわざ来てもらって悪かったな。折り入って話があるんだ」


 長いテーブルの向こうに座っている一際高そうなスーツを着たおっさんが黒石会の会長だ。この人の気分次第で俺は殺される。俺の顔と名前を憶えているわけがないほど、やんごとなき立場の殿上人だ。その会長が俺の名前を覚えている。それだけ、俺が重要なファクターになっていることを意味する。


「大山のところにネズミが入ったんだ」


 それは知っている。松本の事だろう。俺が知りたいのは、その結果どういう沙汰になるのか、というところだ。


「はい。知っています」


「おぉ。知ってるのか。こいつなんだがな」


 そういってテーブルの下から一人の人間を引きずり出してくる。


 アサヒだった。見間違える訳がない。松本のお古のワンピースを着た、黒髪のショートカットのタヌキ顔のハムスター。俺が好きな人。


「どうもあちこち嗅ぎまわっていたらしいんだよ。売人やら事務所の中やら資料をかたっぱし写真に収めていたらしい。何か知らないか?」


 そういうことをするのは松本だ。アサヒではない。


「知りません。その人は俺が面倒を見ている高校生です。人違いではないでしょうか」


「おいぃ! あんまとぼけんなよ。お前もサツと繋がってんのか?」


 お前も、ということは誰かが警察とグルになっていた、つまり黒石会を裏切っていたという事だ。まさか大山さんだろうか。


「俺は大山さんの駒です。大山さんを裏切ることは絶対にしませんし、していません。大山さんが警察と繋がっていた、という事ですか?」


 当の大山さんは部屋の隅で小さく座っている。この件の責任は既に一部を体で取らされているみたいだ。


「お前、ふざけんじゃねえぞ! こいつだよ! アサヒ! アサヒマリアだよ!」


 会長は怒り心頭といった雰囲気でクリアファイルに入った書類を机に叩きつける。近くにいる人がその書類を俺に手渡してくる。


 そこに書かれていたのは、朝日麻莉亜という人の経歴だった。右上に『内部資料』と書かれているので、どこかの組織の内部資料だろう。ここの人にかかればそんなものも簡単に取り寄せられる。『所属』という欄に『麻薬取締部出向』と書かれていた。顔写真は、まごう事なきアサヒの顔だ。


「こ……これは……どういうことですか?」


「こっちが説明してほしいんだけどなぁ。世話をしている女子高生? ただのマトリの潜入捜査官なんだよ!」


「そっ……そんな事は。現にこいつの母親に会いました。継母です!」


「そいつもグルだったんじゃねえのか? とにかくお前が惚れ込んだこの糞アマは俺達の組織の情報をまるっと国に流しちまった訳だよ。どうしてくれんだ? オイ」


 どうするもこうするも、この世界での決まりは一つ。体で支払うしかないのだろう。松本が言っていたレベルの資料が流出したのだとすれば、俺の首で済むのかも分からない。どんな事が待ち受けているのか全く分からない世界なので、逆に恐怖を感じない程だ。


「お……俺はどうなっても構いません! そいつは解放してください! 本当に、ただの高校生なんです! 実の親にも継母にも捨てられた、可哀そうな娘なんです!」


 会長はガハハと笑う。笑いすぎてむせるほどに。周りのお偉いさんも会長が笑い始めたのを見てから笑い始めた。何がそんなにおかしいのか。この中で一番アサヒと一緒に居たのは俺だ。その俺が、アサヒはそんな人ではないと言っているのだから信憑性は一番高いはずだ。


「まだ騙されてんのかよ……大山ァ、こいつの惚れっぽさは何なんだよ。女はあてがってなかったのか? 田舎の童貞高校生よりピュアじゃねえか」


 大山さんは口の中が切れているのか何も言葉を発さない。


「アサヒ! お前からも言ってくれ! 違うんだよな? ただの高校生で、本当は今日も学校に行くんだよな?」


 アサヒは猿轡をされていてモゴモゴと何かを言っているが言葉になっていない。会長がニヤニヤしながら猿轡を外すとアサヒは俺の目を見て申し訳なさそうに話す。


「私は朝日麻莉亜です。この人達の言うように潜入捜査官です。あなたの事はよく知りません」


 アサヒの目を見れば分かる。俺の事を庇っている。この期に及んでそんなことは無意味なのに、俺の事を助けようと演技をしている。


 俺はアサヒを助けるために何かできる事はないのか。必死に脳みそを回転させる。栄養が足りなければ体中の脂肪をかき集めてもいいから何か考えろと脳みそに指令を出すが、一向にいい案は出てこない。


 やがて、俺は壊れたように笑い始めた。いや、心の疲労がたたって本当に壊れたのではないかと思ってしまう。


「フフフ……フハハハハ! ほんと、間抜けですね、俺って。騙されてたのかよ。高い服まで買わせやがって。アサヒ、犯してから殺してやるよ! ここに、連れてきてください」


 ここにいる人は狂っている。俺を含めて全員。アサヒが本当に潜入捜査官だったとしたら、この人を殺す事は百害あって一利なしだ。それでも、目の前で行われる狂気。それを見たいという欲求に駆られた狂人たちは、俺の目の前にアサヒを連れてきた。

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