第23話 6日目②
駅ビルから松本のアパートまでは歩いても十分くらいだ。走ればもっと早い。タクシーなので更に早くに着いた。多分部屋の中で落ち込んでいるのだろうし、そんなに急がなくても良かったと思いながら、タクシーの会計を済ませて後部座席から降りる。
目の前には、今時珍しいくらいにボロいアパートがある。家賃は駅チカの立地で三万円。それ相応の設備とセキュリティだ。玄関の前までは何のセキュリティも用意されていない。
以前ここにベロベロに酔っ払った松本を送り届けた事もある。女の一人暮らしにしては不用心すぎるのだが、松本も家庭の都合で自分で学費も生活費も稼いでいるらしく、あまり余裕はないとの事だった。
一階の右から三番目の部屋。何度ノックをしても返事はない。ここまでは想定通りだ。玄関に置いてある鉢植えに突っ込まれた妖精のガラクタのケツの穴。そこに合鍵が隠されている。これも酔っ払いを送り届けた時に学んだ。
鍵を開けて中に入る。前に上がった時と変わらない良い匂い。松本だって目を瞑って黙っていれば女子大生という肩書なのだ。女子大生の部屋の匂いと言えばかなり良い匂いな気がする。
その匂いをかき分けながら俺を先頭に奥の部屋に進む。そこには、泡を吹いて倒れている松本がいた。
「おい! おい! しっかりしろ!」
松本を抱えて揺らすも反応はない。呼吸はしているので生きてはいるが、体に異変が起こっていることは確かだ。
「揺らさないで! 救急車。一、一、九。早く!」
俺を押しのけるようにアサヒが入ってきて、指示を出しつつ松本の気道を確保しながら首に手を当てている。俺よりも詳しいようなので、アサヒに任せて救急車を呼ぶために電話をかける。すぐにつながり、救急車を手配してくれた。
電話中に気付いたのだが、部屋には何本もの注射器が落ちている。それに、松本の着ている長袖シャツはめくられており、黒ずんだ肘の内側が露わになっていた。これは何度も見たことがある。最初に見たのは中学校の保険の授業。それからも、この街では生で見る機会は山ほどあった。麻薬を注射した跡だ。松本がそういう人だとは全く気が付かなかった。
「アサヒ、警察もすぐに来るはずだ。お前、警察には会いたくねえんだろ。先に家に帰ってろ」
「え、でも……分かった。後で連絡頂戴。松本さんはこのまま安静にしておけばいいから」
アサヒは俺を見て力強く頷き、服の入った紙袋を持って走り去っていった。
かろうじて息をしている松本を見つめながら、無事であってくれと願う事しかできない自分に歯がゆさを覚えるのだった。
応急処置を受けてベッドに横たわる松本を見つめる。救急車に同乗してから数時間でこの部屋に通された。やはり麻薬の打ちすぎが原因で意識がなくなったということだった。命に別状は無いらしいので、後は意識の回復を待つだけらしい。
アサヒに連絡を入れたのだがずっと既読が付かない。どこかをほっつき歩いているのだろう。最悪のパターンも考えたが、アサヒがそんなことをする人ではないと信じている。
恋人のふりをして毟るだけ毟って、サヨナラ。俺が本気になってきたのでポイ捨てした。そういう風に生きていく事に決めたのか、元々そうだったのか。この街にいるとそういう話ばかりが耳に入ってくるので偏見で凝り固まってしまう。
警察の人が部屋に入ってきて事情を聴かれた。この街では少しばかりやんちゃを働いた事もあったので、警察は俺の顔を見るなり顔つきが変わった。だが、懇切丁寧に事情を説明すると俺が関わっていない事はすぐに信じてもらえた。松本については意識が戻り次第事情を聴くらしい。逃亡を手助けするな、と釘を刺された。
警察が帰ってからもずっと一人で松本のそばにいた。薬に手を出すほど精神を病んでいたのか、俺と飲んだ日も家に帰ってからやっていたのか、いつからなのか、俺は松本を助ける事が出来たのか。ありとあらゆる時点を思い返しては後悔の念に苛まれる。
「まさか、お前が弁護される側になるなんてな。俺が捕まったら、お前に弁護してもらいたかったよ」
柄にもなく独り言が漏れる。
「おいおい。どうしたんだよ。らしくないぞ」
窓から外を見ているとベッドの方から声が聞こえたので驚いて振り向く。松本が目を開けてこちらを見ていた。まだかなり気だるそうだ。
「大丈夫か?」
「あぁ。なんとかね。多分だけど、コマが来てくれなかったら死んでたよ」
「お前……自殺するくらいなら連絡するなよな」
松本が生きていた事に感謝してしまう。唯一といってもいい俺の友人だった。こいつは俺の事をそう思っているのかは分からないが。それでも、生きていたことが嬉しくて松本を抱きしめてしまう。
「ちょ、やめろって。コマ、ほんとどうしちゃったんだよ。それと私は自殺じゃないぞ」
後半の真面目なトーンに驚いて松本から離れる。自殺ではない。つまり、誰かに致死量レベルの麻薬を打たれたという事だ。
「どういうことだ? 誰にやられたんだ?」
「大山だよ」
絶対に松本は嘘をついている。この瞬間はそう思っていた。
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