第22話 6日目①

 六日目。親も見つかったし、俺が出る幕もなくなったので、ただ家に女子高生が泊まっているだけになった。


 朝はゆっくりと起きる。アサヒもダラダラとベッドにうつ伏せになり携帯をいじっている。


「アサヒ、今日はどうする? 母親のところ、行ってみるか?」


「うーん……どうしようかな。なんか、コマがいるならそれでいいかなって気もしてきたよ」


 居所は掴めたので、残り二日でどうこうするという訳でもないのだろう。俺もこのままアサヒが家に居てくれたら、と思っている節もある。


「お……おう。そうか」


「何? 照れてんの? まだ家族ごっこは続いてるんでしょ?」


「う、うるせぇな! 家にいると暇なんだよ。どこか行こうぜ」


「じゃ、今日はデートの日かなぁ」


 アサヒはニッコリと笑って、松本のお古のワンピースを持って風呂場に着替えに行った。




 駅ビルに来るのは久しぶりだ。昔はたまに服を買いに来ていたが、一通り揃ってしまってからは通販で済ませていたので足が遠のいていた。何より、一人で来るとデート中のカップルが目に入るため多少なりとも心にダメージを負ってしまうのだ。


「ねぇねぇ。何買ってくれんの?」


「なんで買ってもらう前提なんだよ」


「えぇ! だってここって服屋しかないじゃん。見るだけなの?」


 アサヒはキョロキョロといくつもの服屋を見渡す。もちろんそのつもりなのだが、最初から買ってやるスタンスだと面白くない。似合う服を見つけたらその場で買う。少しばかりのサプライズだ。もちろん予算上限は設けている。


 最初は少しお高めのエリア。何回ハンバーガーが食べられるか分からない価格帯なので、アサヒも少し尻込みしながら架けられた服を見ていく。




「これかわいい! あ! これもいいなぁ! コマはどっちが良い?」


 尻込みしていたのは最初の五分だけで、すぐに服を手当り次第合わせて俺に見せてくる。だが、俺も集中力が持ったのは最初の五分だけで、気づけば早く決めてくれと思い始めていた。


 正直、一番最初に見た白色のワンピースが一番似合っていて、それ以降のものはどうしてもそれに負けてしまうと感じていたのだ。だが、少し値が張るのでどうしたものかと悩んでいた。


「それ、いいんじゃないか?」


 ルーレットを止めるように、アサヒの姿も見ずに適当なタイミングで言う。


「いや、これ松本さんのお古なんだけど……」


 最悪なタイミングでルーレットを止めてしまった。アサヒは頬を膨らませてむくれている。


「真剣に選んでよね! じゃなきゃ意味ないじゃん!」


「お……俺が選ぶのか?」


「そうだよ。じゃなきゃ意味ないもん。やっぱ最初の白色のやつが良かったかなぁ。でも、高かったよね」


 感性は同じようだ。白のワンピースがあまりに似合っていたのでこっそり値札を見たのだが、一の横に0が五個ついていた。十万円だ。高校生の服にかける金額ではないし俺の予算もオーバーしている。


 それでも、あの白いワンピースを着て街中を、路地裏を、砂浜を、川辺を、川にかかる橋を歩くアサヒをイメージすると、他の服なんてこぼした牛乳を拭く雑巾に見えてしまうのだ。


「そんな高くないだろ。あれにすっか。行くぞ」


 アサヒの手を取って最初に見た店に急ぎ足で向かう。この間に売れてしまっては元も子もないのだ。


 いきなり手を掴まれたアサヒは「うわぁ」と素っ頓狂な声を上げる。そういえば俺からアサヒの手を握るのは初めてだったかもしれない。自覚すると恥ずかしさがこみ上げてくる。


「初めてだね。手、握ってくれたの」


「そうか? 気のせいだろ」


「気のせいじゃないよ。覚えてるから」


 アサヒは顔を赤くしてそう言う。何を照れているのかと笑い飛ばす立場のアサヒがそういう顔をすると、俺の反応が困る。「そうなのか」と適当に相槌を打つことしかできなかった。


 最初の店に戻ると「お帰りなさいませ」と声をかけられた。そんなに目立っていたつもりはなかったのだが、よく考えたら年の差がかなりある二人組だし、片方はかなりの強面。覚えやすい二人組なのだろう。


 アサヒがもう一度、白色のワンピースを持って鏡の前に立ち、体に当ててみている。やはり似合う。丸い襟も、しいたけのようなボタンも、高そうな生地も、全てアサヒのためにあつられられたかのようだ。


 白い物はこの街ではすぐに汚れてしまう。でも俺達はこの街から出ていくのだ。そのつもりで俺は動いている。だから、白い服も靴もこれからは思う存分身に着けられる。自分に言い聞かせるかのように、金額のことを判断基準から振り落とす。


「これにすっか」


「本当にいいの?」


「いいんだよ。似合ってるからな」


 頭の中で、フィギュアの中古市場の価格を思い出す。多分、五人くらいの嫁とお別れをする事になるだろう。いずれは全員とお別れする事になるので、早いか遅いかの違いだけだが。頭の中で限定品の嫁達に今生の別れを告げ、レジに向かう。


 店員は営業スマイルを崩さずにレジで待ち受けていた。


「妹さんですか?」


「え? あぁ。いとこなんですよ。誕生日が近いので」


 馴れ馴れしく話しかけてくるタイプの店員だった。適当な嘘でごまかして話を切り上げる。


「違うよ。将来の恋人」


 横からアサヒが割り込んでくる。店員も困ったように愛想笑いをしている。しばらくして店員から「いとこならギリギリセーフですね」と、接客業としては完全にアウトな返事がきた。


 恥ずかしくて一刻も早くこの場から逃げ出したい気持ちだったが、金額に見合った丁寧な接客と包装のせいでしばらく店の中をウロウロとするハメになった。


「おい。あんま適当な事言うなよ」


「喜んでたくせにぃ」


 そう言いながらアサヒが俺の脇腹を小突いてくるので、同じところを小突き返す。アサヒは脇腹が弱いのか、素っ頓狂な声を出して俺から離れていった。


 買い物袋を提げてほくほく顔のアサヒを見ていると、可愛いと思えた。年の差はあるが、もう何年かすれば合法だ。世の中にはもっと年が離れている夫婦だっているのだし、問題はないだろう、とか飛躍した考えが頭をもたげる。


「コマ! ありがと!」


 駅ビルを出てムワッとする熱気と太陽光に包まれた瞬間、アサヒが俺の方を見て満面の笑みを浮かべてお礼を言う。まるで、この熱気はアサヒが太陽になって、周りを暖めているのではないかと思うほど、これまでで一番の眩しい笑顔だった。


「いいんだよ。早速着るのか?」


「ううん。然るべき日かな。あーでも我慢できない! 明日着ちゃおうかなぁ」


 アサヒは本当に悩んでいるようで、とてもソワソワしている。そんな姿も愛おしく思えた。この思いを伝えるのはまだまだずっと先なのだろう。


 そんな事を考えていると、携帯が震えた。画面には松本からのメッセージが入っていた。


『ごめわたししぬわ』


 らしくないメッセージだが、なんだか嫌な予感がした。あんな極太メンタルの松本が死ぬなんて軽々しく言うはずがない。


「どうしたの?」


「い、いや。松本からなんだけどよ」


 アサヒもメッセージを見て緊急性を察知したらしい。ふやけていた顔から一変して、真面目な顔つきになる。


「家、分かる? すぐに行くよ」


 アサヒは車道に飛び出そうな勢いで歩道と車道の境目に立ち、すぐにタクシーを捕まえ出した。

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