第20話 4日目④

 あまりの事に二の句が継げない。口をあんぐりと開けていることは分かるのだが、それ以上体が言うことを聞かないのだ。


 俺が、アサヒから母親を奪ってしまった。厳密には俺は探しただけで、手を下したのは大山さんだ。手を下したと言っても殺された訳ではないはず。死んだらそれ以上金は降ってこないのだから。




 初めての仕事で熱量は高かった。時期も今と同じくらいで暑い日に汚い街を歩き回っていた。ヘドロのような臭いにも鼻はすぐに慣れて不快感を感じていたのも一瞬だった。家出する時に履いていた学校指定の白スニーカーは、本当に白いのかと疑うほどに真っ黒に汚れていたが、洗うのも面倒だった。


 初めての仕事は人探し。借金漬けで、これまでも何度か大山さんの事務所に来ては、返済の延期を求めて土下座をしている姿を見たことがある女だ。


 話を聞くと、働いても働いても大山さんの闇金に利息を持っていかれるので、給料は生活費と利息の支払いで全てが消える。娘の進学だのなんだので突然の出費が重なり赤字になるときもある。だから元本が減らない、と嘆いていた。


 その女は来る度に借金を重ねていった。それが愚かな行為というのは中卒の俺でも分かった。借金を減らしたいなら、収入を増やすか、支出を減らすか、あるいはその両方をする必要がある。あの女は、そのどちらもせずにただ借金を重ねて当座の金で今月だけを凌ぐ。その先に待っているのは、更に増えた利息の支払いだけだ。そんな事にも気づかない愚かな女。当時はそう思っていた。


 やがて、収入の殆どが利息の支払いに回るようになったと言い出した。自分が生きるためではなく、大山さんのために仕事をしているのと変わらない有様だ。それもこの女が招いた事なので自業自得ではある。


 ここまで金を貸す大山さんもどうかと思っていたが、首が回らないところまでじわじわと追いつめるのが狙いだったらしい。金が返せないとなると、大山さんの態度が一変した。風俗に行くか、臓器を売るか。その女は、金のあてがあると言って提案を断り、一度事務所から去った。


 もちろん、そんなものがあるならこんな事になる前に頼っているはずだ。予想通り、期日までに連絡がないのでその女を探すことになった。そして、すぐに見つかった。


 女は薄暗く汚い安ホテルにいた。男とホテルの部屋で裸になっているところに飛び込んだのを今でも覚えている。恋人ではなく、売りだったらしい。とにかく現金をかき集めていたのだろう。


 その場で大山さんに何度か殴られて大人しくなると、事務所に連れて行かれた。俺はそれ以降の足跡は知らない。俺はあくまでグレーなところまで。黒いところは本業の人達の仕事だ。金輪際関わることのない女なので、そいつがどうなるのか気にしようとも思わなかった。


「良くやったな。これで美味いもんで食ってこい。女には使うなよ。金の無駄だからな」


 これは俺が大山さんに初めて褒められた経験だった。お祝いのディナーはこの街に来て何度も通った、フレッシュナスのハンバーガーにした。達成感はあるはずなのに、味はいつもより薄かった。





 アサヒは俺の顔を怪訝そうに見てくる。まさか、目の前にいる、ずっと一緒に行動していた奴が自分の母親を奪っただなんて、これっぽっちも思っていない様子だ。


「コマ、どうしたの?」


 アサヒの声が聞こえる。鼓膜が震えて脳内でアサヒの声だと認識する。その瞬間、俺は自分が何をすべきなのか分かった。


「いや、何でもないよ。まさか似てないって言ったけど血が繋がってないとは思わなかったからよ。本物はやっぱり似てんな」


「そうでしょ。もうずっと前のことだから、探しても無駄だよね」


 似ていると言われた時は嬉しそうに笑う。もう諦めているのだろう。本当の母親には会えない事を知っているかのように、シュンとして下を向く。あの女もこんな太陽のように笑う人だったのだろうか。事務所では終始怯えていたので笑顔は見たことがなかった。


「そうだな。なぁ、もう親の事は忘れねえか? 俺もそうだが、このまま二人でやり直すんだ。お前の学費は俺が稼ぐ。ここにあるアニメグッズを売れば生活費の足しになる。高校を出たら二人で働こう。ささやかだけど、寂しくはない暮らしができるはずだよ」


 自分が何を言っているのか分かっている。女子高生に駆け落ちをしようと言っているのだ。しかも、出会って五日で。それほどまでに俺はアサヒが他人とは思えないくらいに感情移入していた。


 アサヒは目を逸らして考え込む。一回り年の離れたおっさんが駆け落ちを提案してくるのだ。普通は気持ち悪いと思うはず。後はそれを態度に出すか出さないかの違いだけだろう。


「前向きに考えてみるよ。コマも、組を抜けるのに色々と大変でしょ? ほら。筋を通す、みたいなやつ」


「だから俺はヤクザじゃねえんだって」


「そうだったね。まぁ、気持ちは嬉しいよ。本当に。だけどまだ三日はあるからさ。お母さんが心変わりしないとも限らないし。その後に考えよっか」


「あ……そうだな」


 なんとなくだが、アサヒが気を使っているように見えた。態度には出さないが、気持ち悪いと思っているのだろう。俺を傷つけないように、遠回しに断っている。そう思えた。


「ね……寝るか! 明日からも早いからよ」


「うん! おやすみ!」


 アサヒはそそくさとベッドのど真ん中に寝転がった。俺の隙間はない。そりゃそうだろう。駆け落ちに誘ってくるおっさんとシングルベッドで寝たい訳がないのだから。それでも、俺は俺の道を見つけた気分だった。


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