第14話 2日目③

 トイレの前に座り、発泡酒を開ける。プルタブを引いて中から炭酸が漏れる音がアサヒにも届いたようで「ズルい!」とむくれていた。このまま炭酸の音を聞かせ続けたらいずれは出てくるのかと期待したがそんなに甘くはなかった。


 ぬるくなる前にアサヒが飲み残したビールに口をつける。発泡酒とは段違いにうまい。


「なぁ……悪かったって。ケーキもあるぞ。もうぶたないから出て来いよ」


『全部DV男の常套句だよね! また叩くんでしょ!』


「そんなことしねぇって!」


 アサヒは何かスイッチが入ったようにトイレの中から拒絶してくる。父親がDV癖でもある人だったのだろうか。アサヒの過去について知らなくても良いと思っていたが、あちこちに地雷が埋まっているので知らないとやりづらい事この上ない事に気付いた。だが、そんな事を聞いてしまうと、アサヒに更に情が移ってしまう気がした。


 アサヒの過去も、俺の過去も話さずに関係を改善する方法はないだろうか。考えを巡らせていると一つのアイディアが降ってきた。酒の力は偉大だ。空きっ腹に酒を入れたせいで酔いが回るのも早い。普段なら言えないような恥ずかしい事も素直に言える。


「アサヒ、家族だよ。家族にならないか」


『はぁ? 何それ。どういうこと?』


「そのまんまだよ。この街にいる間だけ、家族として過ごすんだよ。年の離れた兄弟でも、夫婦でも、親子でも、従兄弟でもいい。別に名前付けは適当だよ。ただ、家族みたいに過ごそうってだけだ」


『何の意味があるの?』


「家族なんだから、悪い事をしたら怒るし、良い事をしたら褒める」


『さっき自分がした事を正当化したいだけじゃん!』


 至極真っ当な事を言う。そう受け取られても仕方がないだろう。自分でも分かっていないこの感情の正体。アサヒを見捨てたいのか、守りたいのか。前者が圧倒的優勢だった天秤が、徐々に後者に傾きつつあることを自覚し始めている。せめて、将来的にこの街の風俗店で会うような事にはなって欲しくない。


「それは……そうだよな。本当に悪かった。何であんな事をしたのか、自分でも分からないんだよ。お前とはすぐにお別れするんだし、俺に迷惑をかけない範囲で好きにしてくれって言いたい。だけど、どうしても見過ごせないんだ。心配なんだよ」


『なんで? なんで私にここまでしてくれるの?』


「だから分からないんだよ。分からないから、理由が必要なんだ」


『それが家族ってこと? 家族だから心配するんだって自分を納得させたいの?』


「そうだな。そういう事だ」


『アイディアは分かったけど、私にメリットなくない? コマがこれ以上お節介焼きになるってだけでしょ?』


「俺に甘えていいんだぞ。寂しかったら、わざわざ後をつけてタピオカ屋まで来たりしなくても、連絡をくれれば良い」


『え!? 尾行してたの気づいてたの?』


 繁華街に星の数ほどあるタピオカ屋の中から一発でうちを引くなんて確率だけで言えばありえない。そんなフワフワとした根拠でカマをかけてみたのだが、どうやら本当だったらしい。こいつ、母親探しはやる気あるのだろうか。


「俺くらいになるとな、簡単に気づくんだよ。この界隈の奴は尾行され慣れてるからな」


『すごいねぇ……あ、そうじゃなくて! じゃ、期間限定家族って事でいいのかな?』


「あぁ。アサヒが良ければそうしよう」


 お互いの家族像は絶対に異なっているし、世間一般のそれからかけ離れた家庭で育った二人だ。問題の種しかない事は容易に想像できるが、それでもモヤモヤしたままアサヒの手伝いをするよりは、仮初の関係でもいいから定義した上で進めたかった。


 五分ほどアサヒは無言で考え込んでいた。やがて、トイレのロックを解除する音が聞こえ、開かずの扉となっていたトイレのドアが開く。アサヒは勢い良くドア開けてきたので俺の頭に直撃する。


「痛えな。俺がここに座ってることくらいちょっと考えたら分かるだろ」


「分かってるに決まってんじゃん。さっきの仕返し。これでチャラにしてあげる」


 アサヒはニッコリと笑い、俺の横に座ってくる。アサヒの飲みかけの缶ビールを手に取り、軽く振っている。俺が残りを飲み干した事に気づいたようだ。


「全部飲んだんだ。ズルいなぁ。あ、間接キスだね。コマは女子高生が飲んだあとの缶を、執拗に舐め回したんだろうなぁ」


「家族だからそういうのは気にしないんだよ。思春期みたいなこと言うなアホ」


「思春期真っ只中ですよ。今のはテストでした! コマが照れたらまたトイレに引きこもるところだったよ」


 危うく引っかかるところだった。あくまで俺はこいつの保護者。そういう目で見てないし見るつもりもない。


「ケーキとコーラがお土産であるんだけど、いるか?」


「食べる! けど、これヤバいね。グチャグチャじゃん」


 アサヒは笑いながら、グチャグチャになったケーキを開けて指ですくって食べ始めた。手はクリームまみれ。その手を顔に当てて喜びを表現するものだから、早速、頬にもクリームがついている。その辺に落ちていたタオルを差し出すと、自分の指からクリームを舐め取ってタオルで拭いている。


 顔のクリームは取れていないので指差すと、目を瞑って顔を前に突き出してきた。俺に取れということなのか。


「自分でやれよ」


「家族なんでしょ? ほらほら、早くぅ」


 アサヒの手からタオルを奪い、強めに顔を拭く。


「いたた! 痛いよぉ」


 酔いが回ってきたのか、アサヒが素っ頓狂な声を出すだけで笑えてくる。腹を抱えて笑っていると、アサヒも一緒に笑いだした。ひとしきり二人で笑う。


 笑い疲れた頃、アサヒが立ち上がり、コンロの前からこちらを見てくる。


「今日の晩御飯は煮物なんだけど、いるか?」


 俺の声真似をしてアサヒが言う。そんなに低い声をしている自覚はない。周りの人にはこんな風に聞こえているのかと少し驚く。


「あぁ。食うぞ。盛り付けるから向こう行ってろ」


「もっと私っぽく反応して欲しかったな」


「やらねぇよ」


 アサヒはつまらなそうに「ですよね」と言うと部屋の方に行った。煮物を確認すると、下の方が黒焦げになっていた。


 家族としての最初の共同作業は、黒く焦げた煮物の処理だった。焦げた部分は優しい譲り合いの精神で押し付けあった。これからもアサヒとは仲良くやっていけそうだ。

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