第11話 1日目⑦

 一日目は、めぼしい手がかりは得られなかった。暗くなってきて客足が増えてきたところで、撤収することにした。もしこの街にいるとしたら、もう仕事のために林立する雑居ビルのどこかにいるはずだからだ。


 次は、また外を出歩くであろう二日目の早朝に捜索をする。休憩も必要なのだ。


「アサヒ、そろそろ帰るか」


「そうだね。うーん……どこにいるのかなぁ」


「当たり前だけど、電話とか繋がらないんだよな?」


「そうだね。位置情報も切られてるから、携帯では探せないかな」


「ま、逃げる奴はそのくらいするよな。逃げたのか、連れ去られたのかは知らないけどよ」


「逃げたんだよ。きっと」


 アサヒは強い目でそう言う。気にはなるが、お互いの事は聞かない約束だ。俺だって自分の事は恥ずかしいから話したくない。


「飯でも食って帰るか」


「今日も外食なの?」


「それか、コンビニ弁当だな」


「ダメだよ! 毎日そんな食事じゃ栄養偏るよ! 今日は私が作るから。この辺にあるスーパーってどこ?」


「一週間くらいだろ。気にすんなよ」


「成長期なんだから、良い物を食べないとなんだよ。ほら、いくよ!」


 アサヒは俺の手を引いて、どこにあるかも知らないスーパーに向かって歩き出す。数歩進んでアサヒは立ち止まった。


「で、スーパーってどこだっけ?」





 スーパーで買い物を済ませ、家に着いた。俺も一時期は自分で作ろうと頑張っていたので、調味料や油は揃っている。食材を買えばいつでも再開はできるようになっていたのだ。ただ、やる気が起きなかっただけだ。


 アサヒは手慣れた感じでキッチンに立ち料理を始める。多分だが、親がいない時は自分でやっていたのだろう。同級生には、部屋でゴロゴロしていれば飯が出てくる奴がごまんといるというのに、自分の事を一切不憫だとか思っていない様が痛々しい。


 俺は手伝わずにゴロゴロしておけば良いというので、エアコンの効いた部屋でダラダラしていると、汗をダラダラと流したアサヒがキッチン兼廊下から入ってきた。


「ふぅぅ! 生き返るね。キッチンまでエアコンを効かせてくれないあたり、やっぱりコマってモテないなって思ったよ」


 俺の部屋は玄関から俺のいる部屋に続く廊下にキッチンがある。キッチン兼廊下と部屋はドアで仕切られているので、アサヒのいるキッチン兼廊下までエアコンの風は届かない。この時期に密室で火を使うのだからかなり暑かっただろう。


「これは六畳用だからな。この部屋で限界だよ。それに、そっちは換気扇も回してるんだからそこのドアを開けたら効率が悪くなるだろ。更に料理の匂いがこっちの部屋に入ってくる。開ける意味がないんだよ」


「そういう屁理屈っぽいところがモテないって言ってるんだよ!」


 アサヒが勢い良く皿をテーブルに置いた拍子に皿の中の汁がはねる。皿の中には豚の生姜焼きが入っていた。ホクホクで美味そうだ。


 そもそも、モテないと言われても大して俺には効かない。定職についておらず、チンピラとつるんでいるおっさんがモテる訳がない。自分で言っていて悲しくなるが、そういうものだと諦観している。モテるモテないの価値観が罵倒になると思っているあたり、やっぱりガキはガキだと思う。


「美味そうだな」


「得意料理だからね。でも気が利かないコマには上げないよーだ」


 アサヒはあかんべえをすると、俺の目の前から皿を引き上げて自分の方に寄せる。そのまま皿をもって俺に背中を向けて一人で食べ始めた。


「おい。寄越せよ。俺の金で買った肉だろ」


「いーやーだー! 生肉でも食べてればいいじゃん! 冷蔵庫にまだあるからね!」


「悪かったって。また明日もアイスおごってやるからさ」


 アサヒは体をピクっと反応させる。


「トリプルを二つ」


 背中を向けたままアサヒがそう言う。どうやらアサヒは交渉のテーブルについたようだ。なかなか美味そうな生姜焼きだったので、ダブルまでは余地があると思っている。


「そりゃ食いすぎだろ。ダブルだ。後、俺のやつを分けてやるよ。それでカップ二つだ。四種類食えるぞ」


「ケチだなぁ。あー、生姜焼き美味しいなぁ。ちょっと譲歩するだけで食べられるのに、勿体ないなぁ」


 昼に食べたハンバーガーも胃袋から完全に消え去っていたので、生姜の匂いが食欲をそそる。生姜焼きをアサヒに握られた時点でこの交渉は俺に圧倒的に不利だったようだ。


「じゃあ、アサヒの分だけトリプル、俺のはダブル。これで実質五種類だぞ。どうだ?」


 アサヒはしばらく逡巡して、俺の方を振り向いてきた。相変わらず、太陽のように笑っている。口を思いっきり横に伸ばしていて、スマイルマークの顔文字に出来そうなほどだ。


「いいよ! じゃ、交渉成立ね。ちなみに、今日クーポン貰ったから、コマの分もトリプルにアップグレードできるんだ。六種類選べるよ。何にしようかなぁ」


 俺の分の皿をテーブルに置くと携帯でアイスクリーム屋のホームページを開いて、どの味にするか悩み始めた。アサヒの気が変わらないうちに皿を自分の方に引き寄せる。


「それなら最初からそう言えよ」


「最初に出すと、ダブルを二つで四種類。それを片方だけアップグレードで落ち着いちゃってたでしょ? それだと五種類しか選べないじゃん。五種類選べる状態でお店に行って、六種類選ぶ。小さな幸せだねぇ」


 アサヒは生姜焼きを食べながらなぜさっきの会話が必要だったのかを熱弁してくるのだが、俺からすればさっさと結論にたどり着いて欲しかった。アサヒはこうやって代わり映えしない日々に小さな幸せを見出しているのだろうと思うと、そんな事は言えなかった。


 生姜焼きを口に運ぶ。ここ一年、いや、一人暮らしを始めてからこんなに美味い飯は食ったことがない。それほどまでに美味しい。


 そんなにいいスーパーではなかったので肉は外国産の安物だ。玉ねぎも今後使うか分からないので使い切りのカット野菜。それなのに、なぜこんなに美味いのだろう。


「美味いな」


 ぽつりと感想が漏れる。アサヒの事なのでもっとオーバーに感想を言わないとむくれそうだと思ったのだが、意外にもそんなことはなかった。仏のように微笑みながら俺の方を見ている。


「誰かと食べると美味しいんだよね。後は、うま味調味料」


 誰かと一緒に飯を食う。久しく忘れていた感覚だ。入店したての嬢とは飯に行くし、松本ともたまに飲みに行く。だが、そういう時に味わうのとは違う部位で美味しさを感じている気がした。アサヒなんて知り合って一日しか経っていない小娘なのに、そんなに俺はリラックス出来ているのか。なぜそうなったのか、自分でも分からない。


「いい話ぽかったのに最後ので台無しだな」


「アハハ……落ちをつけろと教育されてきましたので」


 照れ隠しなのか頭をかきながらそう言う。


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