第3話 0日目③

 アサヒを家に連れて行く事になったが、その前に仕事だ。初出勤の女の子を飯に連れて行って愚痴を聞く。


 アサヒは寝泊まりする場所を確保できたからか、そこからは大人しく座って携帯をいじっている。言葉を交わしたのは、WiFiのパスワードを伝える時だけだ。大山さんの専用席である、バックヤードで一番高価なソファに座っているのだが、今日は店には来ない日なのでバレないだろう。


 ラストまで残っていた女の子達がポツポツとバックヤードに入ってきては着替えを済ませ、形だけの挨拶をしながら帰っていく。


 俺は顔見知りだし、裸体を不特定の客に見せた後なのだから、誰もここで着替える事を気にする様子はない。アサヒの反応が本来あるべきものだと忘れかけていた。そういえば、誰もアサヒという異物に対しても関心を持っているようには見えなかった。自分の事で精一杯な人が多いのだと思う。人に気持ちを向ける余裕がないのだ。


 最後にゆっくりと部屋に入ってきたのが新人の女の子。名前は覚えていない。顔は普通。容姿の話ではなく、満足感に溢れている訳でもなければ、極端に落ち込んでいるという訳でもないということだ。ただ、まだこの生活が始まることに実感が伴っていないタイプだ。


 これまで何人もの嬢の新人時代を見てきたが、一番早くいなくなるのがこのタイプだ。だから、明日も来ていたら名前を覚える。飯を食った後、家に帰ってから現実と向き合い、ほとんどはそこでバックレることを決意する。だからといって引き止めるために家についていく訳にもいかない。仕事以外で店の女の子と関係を持つなんて、大山さんに比喩無しで殺されかねない。


 ハンバーガーを食べながら、話を聞く。俺がするのはそれだけだ。落ち込んでいるタイプは、案外早めに現実と向き合えているので、俺と話すと落ち着いて判断ができるようになるらしい。


「今日、飯を奢ることになってるんだ。一緒に行かないか?」


 新人の女の子に声をかける。


「え? そういうのいいんで。早く帰って寝たいから。てかなんなの? ここ更衣室でしょ? 男は早く出ていってよ」


 この反応をしてくるタイプは明日から来なくなる。更衣室に男がいる事に違和感を覚えるような、正常な感覚を持っている間に辞めたほうが本人のためだろう。ブスだし頑張って引き止める必要もない。


 バックヤードから出て扉を閉める。すぐに着替えを終えて新人の女の子が出てきた。叩きつけるように扉を閉める。壊したとしても弁償する気はないのだろう。何をそんなにカリカリしているのか分からないが、もう会うこともないだろうし、背中を見た瞬間、正面から見た時の姿を脳内からデリートした。


 扉を開けてバックヤードに入る。アサヒはずっと同じ場所にいた。主人が帰って来ないため給仕する対象がおらず、手持ち無沙汰なメイドのようだ。


「おい。アサヒ。飯、行くか」


 アサヒは待ってましたと言いたげな顔で俺の方を見てくる。


「さっきの子に断られたから、次は私なんですか? 二番目かぁ。なんかモヤモヤしちゃうなぁ」


「アホ。元々三人で行くつもりだったんだよ。飯代を貰ってるから返すのも面倒なんだ。うまいもん食いに行こうぜ。ハンバーガーとかどうだ?」


 大山さんは金払いはいいが、経費の使い方にはうるさい。きちんとレシートをつけて報告しないと自腹になってしまう。逆に言えば、アサヒと二人で食って、それを新人の女の子と飯を食ったことにすれば問題ないのだ。タダ飯ほどうまいものはない。


「いいね。フレッシュナス行こうよ! 早く早く!」


 制服が詰め込まれているのか下で見た時よりもパンパンに膨れ上がったスクールバッグを抱えて立ち上がり、扉の方にアサヒが回り込み、手招きをしてくる。


 そして、いつの間にかタメ口になっている。最近の若者は、と言いたくなるが、タメ口の方が気楽なので丁度良い。




 アサヒを先頭に受付の方に行くと、松本が締めの作業をしていた。


「おぉ! やっぱ似合ってるねぇ。どう? うちで働いてみない? アサヒちゃんならすぐに人気ナンバーワンになれるよ」


 ここに来てすぐに松本とは自己紹介を済ませていたようだ。身分を知った上で風俗嬢としてスカウトしているのだから、こいつがゆくゆくは弁護士になるなんて信じられないと思わされる。


「アハハ……まだ未成年ですから」


「今は高校何年生なの?」


「二年です」


「いいねぇ。高校生活にも慣れて受験はまだまだ先。青春真っ只中だねぇ」


「まぁ、この四月からずっと不登校なので、あまり意味はないですけどね」


 松本は気まずそうに黙り込む。いかにも訳アリなのに学校の話を振るなんて地雷原に突っ込むようなものだ。悪気があった訳ではなく、自分がそういう高校生活を送ってきたが故に、周りもそうだと勝手に思い込んでいるだけなのだろう。


「よし、フレッシュナス行くか。松本はどうする?」


「私はいいよ。帰ったら課題をやらないといけないんだ」


「そうか。じゃ、おつかれ」


「おっつー。アサヒちゃんもまたね。あ、やっぱ待って待って。後でそいつの家に服持っていくよ。制服とメイド服だけじゃ生活できないでしょ」


「え!? いいんですか!?」


「いいよ。お古だけどね。そいつの家、ヤバいんだ」


 アサヒが恐る恐る俺の方を見上げる。俺のオタク部屋を知っているのは大山さんと松本だけだ。松本に見せるつもりはなかったのだが、大家を口八丁で脅して俺の部屋に忍び込んでいたのだ。本当に、心から、将来こいつに弁護される人が気の毒でならない。


「な……普通だよ。ほら、行くぞ」


 半ば強引にアサヒの腕を掴んでエレベータに乗り込む。二人で乗るとかなり狭い空間だと再認識する。扉が閉まると、圧迫感が更に増してきた。すぐ目の前にアサヒの頭がある。鼻呼吸をするだけで匂いが鼻腔に突入して、いい匂いがすると脳みそに理解をさせてくる。ここに来る前に家で風呂を済ませてきたのか、風呂上がりの匂いと少しばかりの汗の匂いが混ざっている。


 六階から一階までの旅はすぐに終わった。歪な音を立てながらエレベータの扉が開くと、夏の湿気がムワッと体を包み込んだ。アサヒはすぐにエレベータから飛び出て歩道で踊り始めた。


「フレッシュナス! イェイ!」


 メイド服を着た女子高生が深夜の風俗街で踊っている。異様な光景だ。本当なら、この時間は家でお気に入りのアイドルなのかインフルエンサーのライブ配信をベッドで転がりながら見たり、友達と連絡を取り合ったり、机に向かって将来のための知識を蓄えたり。色々やれることはあるはずなのに。


 それでも、一階から登るときの様子とはエライ違いだ。ハンバーガーが好きなのか、フレッシュナスが好きなのか、はたまた寝床と親切な人を見つけたので安心したのか。どれなのかは分からないが、この子にはこのまま真っ当に生きていって欲しいと思った。俺のように、高校を中退して、生ゴミを漁って生きていくネズミのような生活をして欲しくない。そう願わずにはいられなかった。

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