水曜日のonomatopoeia
ツイてない日だ、と優雅なクラシック音楽をききながら思った。
Café onomatopoeiaは、曜日ごとに流れている音楽が変わる。月曜は邦楽、火曜は洋楽、水曜がクラシックで木曜はロック、金曜はそもそものBGMがなく、土日はかなり古い歌謡曲や洋楽を流している。よくわからない民族民謡だの、エレクトロニック音楽だのを流すこともあるのだが、そういう日はたいてい祝日だ。
音楽に合わせて内装もメニューも変わる。一人で店を切り盛りしている店主が、どうしてこうもころころと内装を変えられるのか謎だ。
私は木曜に来るのが好きだ。好きなバンドも曲もないし、歌えないけど、ロックというジャンルや店の雰囲気が。周りを見渡せば常連らしい、いかにもストレスをため込んでいそうなサラリーマンや、中二病をこじらせていそうな学生や、曲に合わせてリズムをとっているバンドマン風の男、がいるはずだった。ドアをあけた瞬間、しまったと思った。
テーブルや椅子は見慣れた武骨なものではなく、ベルベット生地の見るからにふわふわしてそうなものだし、明るい光が天井から滑らかなピアノの音色とともに降り注いでいて、客のいるテーブルには絵本のようなケーキセットがこじんまりと載っている。こころなしか客層も柔らかい雰囲気の人が多い。
勢いよくドアを開けてしまったし、店主が「いらっしゃいませ」と愛想よくいうので、私はそのまま店に入ってしまった。いつものカウンター席に腰かけると、そこにもレースのテーブルクロスが敷かれている。椅子も小さいながら、座り心地のいいものに変えられていた。
私はいつも通りコーヒーを頼んだ。絵的には紅茶のほうが似合うんだろうなと思いながらつい反射で。でも店主はにこにこしながらコーヒーを淹れている。
見慣れない内装をぼんやり見回して、同じ建物でもこんなに雰囲気が変わるものなのかと感心しながら、折りたたまれていたメニューを開く。紙の質も内容も違っていて、本当に私の知っているonomatopoeiaなのかと疑う。普通に考えたら、こっちのほうが人気が出そうな内装だ。でも私はロックの響く木曜日の質素なこの店が好きだな、と改めて思う。
コーヒーが運ばれてきて、啜ると慣れ親しんだ苦いおいしさが口の中に広がった。
そのとき、店のドアが開いた。私は気にせずコーヒーを飲んでいたけど、なかなか扉が閉まらないのでそちらに目をやると、女性が目を白黒させながら突っ立っていた。店主に「いらっしゃいませ」と声をかけられ、「どうも……」と蚊の鳴くような声で言ってようやく店に入り、私のふたつ隣のカウンター席に座った。
私は何気ない風を装いながらその女性を見る。肩までの黒髪に、眼鏡、青白い肌と、セーターにジーンズといった野暮ったい恰好。メニューを開いたままきょろきょろと店内を見回している。店主に声をかけられて、しどろもどろになりながら注文していた。
私はくすっと笑った。私以外にも曜日を間違えた人がいたのだ。見たところ、木曜日に見かけたことはないので、火曜日のお客さんかな?と思った。
そうこうしているうちに彼女のもとへ注文が運ばれてきた。三段のケーキスタンドに、下の段からサンドイッチ、スコーン、カップケーキが載っている。アフタヌーンティーというものだろう。そしてポットに入った紅茶。見ているだけでおいしそう。彼女もさぞや嬉しそうな顔をしているだろうと思ってちらっとそちらを見やると、彼女はなぜか顔面蒼白だった。
「ごゆっくり」という店主の笑顔に彼女は引き攣った笑顔で返し、もう一度メニューを手に取ると、青い顔がさらに青くなった。紅茶にもケーキにも手をつけず沈んだままの彼女に、私は思わず声をかけた。
「ねえあなた、どうしたの?」
彼女はびくっと身体を震わせて、小動物のような瞳で私を見た。
「わ、わたくし、とんでもないことを……」
きけば、彼女は所持金が1000円しかないのだそう。それなのに慌ててメニューの一番上に書いてあったものを注文したら、1800円だったということだ。なんてそそっかしい人だろうと思うも、面白さが勝って私は笑ってしまった。
「わ、笑い事じゃないです!わたくし今からお家にお財布取りに戻らねば……!マスターさんに言わなきゃ」
そう言って立ち上がろうとする彼女を私は止めた。
「まあ待ってよ。私もお腹空いてるの。それ分けてくれたら、半分払うわ」
私は素敵なケーキスタンドを指さして言った。彼女は目を丸くする。
「そんな、ご迷惑をかけられません……」
「迷惑だなんて。美味しそうだとは思ってたけど、さすがに一人じゃ食べられないから手を出せずにいたのよ。あなたは家に戻らなくてもいいし、私は美味しいケーキが食べられるし、名案だと思わない?」
私が笑って言うと、彼女は席に座った。
「本当にすみません。感謝してもしきれません。なんなら全部召し上がってください」
「だから食べきれないんだっつの」
私は噴き出した。
onomatopoeiaを出ると、彼女はまた頭を下げた。
「本当にありがとうございました。このご恩はいつか必ず……」
「いいっていいって。私もおいしいケーキにありつけたし、ウィンウィンってやつよ」
彼女は顔を上げると、ふっと顔を綻ばせた。
「おいしかったですね。また食べたいです」
見た目のせいでどうしても暗い印象があるけれど、笑うと眩しい感じのする人だと思った。
「あー!先生!」
その時遠くで声がして、大学生くらいの青年がこちらへ走ってきた。先生?彼女が「内海くん」と呼び返す。「恋人?」ときくと、顔を真っ赤にして、「違います」と否定した。
「さっき荻野さんから電話来たんですよ。先生を見てないかって。いつもの喫茶店にもいなかったし、どこに行ってたんですか?」
内海くんは私たちの目の前に来ると、息を切らしてそう言った。私の存在に気づくと、「こんにちは」と挨拶をする。私は会釈を返した。
「ごめんなさい、少し息抜きをしてすぐ帰るつもりだったのです。すぐ帰ります。いいネタも浮かびましたし!」
彼女は鼻息荒くそう言った。私に向き直ると、
「それでは、大橋様。またonomatopoeiaでお目にかかりましょう」
「ええ。私は基本的に木曜にいるから」
「はい。わたくしは、土曜日によくおります」
眩しい笑顔でそう言って、彼女は青年と連れ立って歩いて行った。私はその姿を見送りながら、さっき聞いたことを思い出して笑う。曜日を三つも間違えたのか、彼女は!なんて面白い人と出会ってしまったんだろう。
陽が暮れかけた水色の空には三日月が浮かんでいる。私も自分の家に向かって歩きながら、たまには木曜以外のCafé onomatopoeiaに行くのも悪くないなと思った。
エンカウント! 絵空こそら @hiidurutokorono
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