エンカウント!
絵空こそら
エンカウント!
バス停で綺麗なお姉さんにとびかかられた。
文庫本を読んでいた僕は悲鳴をあげる。彼女はお構いなしに僕の手から本を引っぺがそうとする。
「すみません!許してください!」
「これ!これだわ!これこれ!」
僕はひとつも悪いことをしていないのに反射で謝ってしまうし、お姉さんは血走った目で「KORE!」を連呼している。傍からみたら痴話喧嘩に見えたかもしれない。もっとも、傍と呼べる場所に人はいなかった。
「君、この本にメモ挟まってなかった?!」
やっと人の言葉を取り戻した彼女がきいた。
「め、メモ……」
「挟まってたよね?こんくらいの紙!そこになんて書いてあった?!」
確かにその紙には覚えがあった。二日前古本屋で購入した文庫本には、カバーと一ページ目の間にメモが挟まっていた。僕は、本を売った人が買い物メモをくっつけたままにしてしまったのだと思い、その生活感に少しばかり情緒を感じた後、すぐごみ箱に捨ててしまった。
「え、えっと、紙は挟んでありましたけども、なんて書いてあったかまでは……」
「思い出せ!絞り出して思い出せ!」
お姉さんは僕の胸倉に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。すさまじい気魄だ。僕は身震いすると、大急ぎで記憶の底を掘り返す。
「確か、ふぐ刺し、とかだったような……」
そう言った途端、憑き物が落ちたように、彼女は表情をなくした。そして一瞬後、顔がぱっと明るくなる。
「そうよ!そうだった!ふぐ!それだわ!」
ありがとう!と野球部員みたいな声量で叫んだあと、彼女は脱兎のごとくバス停から走り去ってしまった。「ええ……バス乗らないんだ……」と思いながら呆然とその姿を見送ると、入れ替わりにバスが到着して、僕は空いている席に座った。
僕の人生ベスト5に入るほどの恐怖体験だったので、警察に届けようかとも少し思った。でも、最後に見せた笑顔があまりにも眩しかったので、きっとよほどご飯のメニューに困っていたのだろうと思うことにして、この記憶を封印することにした。
記憶の封印が解かれるのは案外早かった。喫茶店で地味なお姉さんから話しかけられたのは、それから約一週間後のことだ。
「あの……先日は、大変、失礼しました……」
あまりにも消え入りそうな声だったので、最初は僕に話しかけたのだと気づかなかった。レポートを書くのをいったん休憩して、本の続きを読んでいた僕は、席の近くにおずおずとした様子で立っている彼女を思わず二度見した。
「え?僕ですか?」
そう聞くと彼女はコクコクとうなずいた。僕は首を捻る。女性に謝られるようなことをしただろうか。
「あの、本の、メモの……」
そう言われてからようやく合点がいく。確かに謝られるようなことをしていたと首を縦に振る。
でも、目の前にいる女性はあの時のイメージと少し違った。あの時はもっと派手な印象があった。頭の上でくるりとまとめられた明るい髪の毛だとか、カラーコンタクトだとか、ピンクの唇とか、花柄のワンピースとか、踵の高い靴とかが記憶に残っていて、黒髪に眼鏡に化粧っ気のない、TシャツGパンの女性とは似ても似つかない。
「お詫びといってはなんなのですが……飲み物を奢らせていただけないでしょうか……」
かくして女性は僕の向かい側に座った。僕はノートパソコンを鞄にしまって、二杯目のコーヒーの到着を待つ。
「わたくし、壬生大島桜子と申します」
「え?芸名ですか?」
「ペンネームです……」
きけば、駆け出しの少女漫画家だということだ。連載しているのは、コンビニの雑誌ラックにも置いてあるような、有名どころの漫画誌らしい。彼女は訥々と語り始めた。
わたくしは先週、思い悩んでいました。来月号のお話の展開です。どうにも思いつかず、でも、焦りは禁物だと思い、息抜きのために、資料用として購入していた小説を読んでいました。その時、漫画の神様が降臨されまして、今後の展開がめでたくも決まったのです。
キーワードをメモして、3徹目だったわたくしは、上機嫌で寝室に行きました。翌朝、古本屋に本を売りに行くという話をしていたアルバイトの子に、その小説も読み終わったから持って行ってくれと頼んでしまいました。わたくしは、その本に漫画の神様の声を挟んでいたことをすっかり忘れていたのです。
古本屋を訪ねましたが、もうその本は売れてしまったとのことでした。どうしても、あの時なんと書いたか思い出せず、違う展開を描こうとしました。でも、どんなオチも、あの時ひらめいたものよりも面白くない気がするのです。そうして筆が進まないまま締め切りが迫ってきます。
でも、わたくしは、あの時思いついた展開しか描きたくない、正解はあれだけなのです!わたくしは、息抜きをしようと決心しました。時間がないときこそ、焦りは禁物です。編集者にばったり出くわしても連れ戻されないように、カツラを被り、お化粧もしました。少しだけお出かけしよう、とバス停に辿りつくと、あなたが本を読んでいました。その本は、背表紙にシールがついていました。わたくしが古本屋で購入したときからついていた、大変よくできました、と書かれた花丸のシールです。
あとはご存じのとおり、申し上げるのも恥ずかしい痴態をさらしてしまいました。
「その節は、大変ご迷惑を……」
壬生大島先生がまた頭を下げようとするので、僕は慌てて止めた。
「いや、僕はたまたま本を読んでいただけで、何もしていません。確かに怖かったですけど、めっちゃ怖かったですけど」
「でも、あのときあなたがバス停にいてくれなかったら、わたくしは締め切りまでに満足のいく漫画を描けませんでした。本当に感謝しております……」
彼女は弱弱しい声で言って、深く頭を下げた。黒々とした髪の中心に旋毛がみえる。顔を上げた彼女の笑顔は、確かに見覚えがある眩しさがあった。
帰り道、コンビニに寄って、彼女の漫画が載っている雑誌を手に取ってみた。少女漫画を読むのはほとんど初めてで、少し気恥ずかしかった。壬生大島先生の漫画は、ふぐの毒にあたった女の子を、男の子がふぐ毒の成分テトロドトキシンを分解する魔法のキスで目覚めさせるという話だった。ぶっとんでいる。思っていた少女漫画と違いすぎて、僕は思わず笑った。
と同時に、一生懸命ペンを走らせている先生の姿が思い浮かんだ。話はよくわからないけれど、登場人物の描写は丁寧で、表情からも感情がちゃんと伝わってくる。気づくと登場人物の一挙手一投足を真剣に目で追っていた。
「打ち切りになりました……」
後日、また同じ喫茶店で再会した壬生大島先生はやつれていた。
「きっと、一般人に解毒ファンタジーの面白さはわからなかったんですよ」
僕は自分でもよくわからないフォローをする。
「あんなにいいアイディアだと思ったのに。斬新で奇抜で前人未踏の、面白いお話になったと思ったのに……。 やはり面白いことを思いつくのは、わたくしには無理なのでしょうか。次の話、どうしよう……」
項垂れる彼女を見ながら、僕は苦笑した。一番漫画みたいなことをしているのは先生なのに、と思った。
……待てよ?
「今度は先生の体験を描いてみたらどうですか?」
彼女は少しだけ顔を上げた。
「体験、ですか?でも、わたくし、そんなに面白い体験したことない……」
「この前したじゃないですか!ほら、例えば、バス停で探し物を持っている人にばったり会うとか……」
それをきいて先生の表情が固まる。しまった。プロの先生に、つい生意気な口をきいてしまった。
「すみませ……」
「それよ!それだわ!」
彼女の顔が、初めて会った日のように明るくなる。カラーコンタクトをしていなくても、その瞳は十分輝いているように見える。
彼女は猛然と立ち上がると、また「ありがとうっ!」と弾けるような声で言い、喫茶店を飛び出して行ってしまった。
僕はまた呆然ととり残されてしまった。入り口のドアに取り付けられたベルがカランカランと鳴っている。
頬杖をついて目を閉じた。自然と口角が上がる。
新連載が楽しみだ。
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