第2話 高橋ユニオンズ青春記 白夜書房 2011年 長谷川晶一著

 こちらが、私が2012年4月に初めてアマゾンレビューに掲載したレビューの原稿です。なお、私のアマゾンレビューは諸般の事情で現在非表示になってしまっておりますが、一部原稿を残した者もありますので、そちらをかれこれ、御紹介していくのと同時に、新たに加筆も致します。


(タイトル)    孤児つながりの、悲しくも心温まる物語


(記事本文)

わずか3年間しかこの世に存在しなかった、今や幻と言ってもいい球団・高橋ユニオンズ。

あの大投手・スタルヒンの最後の所属球団でもある。

戦前の巨人軍を描いた本に出てくるスタルヒン投手とは、似ても似つかぬほどの別人。

浜崎監督が、集まった選手たちのことを「ポンコツと呑兵衛の集団」と揶揄していたそうだが、当時のスタルヒンは、それをまさに地で行く(その両方の条件を満たす?!)ような、ベテラン選手になっていた。

しかし、彼もまた、一種の「孤児」であった。白系ロシア人の亡命貴族の息子として、無国籍のまま育ち、ついに国籍なきまま、日本社会の「孤児」のように生き、野球界を引退した後、間もなく、「事故」で死亡してしまった。

そしてまた、この球団もまた、野球界の「孤児」のようなものであった。


実はこの本のある章の見出し写真に、突然の解散劇の舞台となった岡山県野球場(衣笠選手の連続フルイニング出場が途切れた球場でもある)で、選手ら関係者全員で「U]のマークを形づくって撮影したものがある。

実はこの写真の球場の背後には、かつて『孤児院』と呼ばれた「養護施設(現在の呼称は「児童養護施設」)」があった~実は私はその施設に在園していたことがある。

ちょうどユニオンズが解散となる直前の2月、この養護施設は銭湯を兼ねた園児用の浴場を完成させている。戦前(1936年)に建てられた木造の園舎の前に、白塗りのきれいな建物が写っているが、それが浴場である。


それはともあれ、野球界、いや日本社会の「孤児」とさえ呼ばれた大投手スタルヒン、そして野球界の孤児ともいえよう「高橋ユニオンズ」の解散写真の背後には、本当に、孤児を収容していた「養護施設」があったというのも、何かの因縁なのかもしれない。

とはいえ、高橋ユニオンズが属していた当時のパシフィック・リーグにあった球団は今や、どこも、当時の形をとどめていない。

かつて高橋ユニオンズを葬った球団たちも皆、後にはその形を失っていった。ある球団は合併、ある球団は「身売り」・・・


永遠のものは何一つないことを、この本を通して改めて教えられた。

でも、高橋ユニオンズという球団がかつてあったことは動かぬ事実。

その球団を通して、今も、様々な形で、人と人とのつながりが生まれています。

その中の一人が、この私(昭和44年生まれなので、当然、この解散劇の時には生まれてもいません)。

もしこの球団がなかったら、確実に出会えなかったであろう、さまざまな人たちと出会えています。

そして、いい話をいくつも聞かせていただいています。


「ポンコツと呑兵衛」~私も、「ポンコツ『で』呑兵衛」でいいなら、これからもこの世で楽しく生きていける自信がつきました(実際私は、どちらの要件も満たし切って?!~苦笑~いると思う)。


(追記)

 今回の拙著「超二流の道~ギミックに引出された熱量」の最初に充てたのが、「ゼニのとれる風呂」。私のいた養護施設は、銭湯機能を持つ風呂を建て、その運営で地域の人たちにも風呂を開放し、いくらかの入湯料をいただいておりました。実際、大相撲の力士が近くの岡山武道館に来た折に入りに来てくれたこともあったようです。もちろんこのユニオンズと直接の接点は実際にはないとは思われますが、そこはやはり、つながりをつけてみたいと思い、今作で一部披露させていただいた次第。

 なお、次作ではこの球団絡みの話はあまり出ない予定ですが、シリーズ4作目を目途に、この球団の話を出そうと考えております。

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