恋する男子に盆踊りを教えて(5)
時刻は、午後5時過ぎ。
この日は、8月15日。終戦の日と呼ばれている日だ。
俺は、アルバイトが終わり次第、そのことをSNSで仲間たちに伝えて、最寄りの駅から電車に乗ることにした。
駅前のアーケード通りにある商店街は、休業日のビラを貼って軒並みシャッターを下ろしていた。
しかし、俺が働いている花屋にはお盆休みがない。
なぜなら、墓参りのためにお供え花を求める客が多く、花屋にとっては絶好の稼ぎ時だからだ。
ワンマン電車の窓から沈みかけの斜陽を眺めながら、川に架かる橋を越えて隣町へと向かう。
日本の盆踊りは元来、新暦で言うところの8月15日から16日にかけて、夜通し行われるのが習わしである。
十五夜の月は明るく、ご先祖様の霊を迎えて踊り明かすのにうってつけの夜だからだ。
「そろそろ着くぞ」
「では、駅まで迎えに行きます」
「道順さえ教えてくれればいい」
「いいえ、どうせ途中で寄りますから」
そうこうとケータイで話しながら、電車を降りて改札を抜ける。
各駅停車でなければ電車が止まらない、木造の駅舎がある小さな無人駅だった。
都会の駅みたいに複雑な構造ではなかったが、急いでいて出口の方向を間違えたのか、踏切を渡ってプラットホームの反対側へと向かう。
千嵐小夜は、駅舎の入り口にある券売機の前をうろうろしながら、俺の到着を待っていた。
「お待ちしていました」
夜会巻きにかんざしを挿して黒髪をまとめた浴衣姿だった。腰の後ろにうちわを挿して、真っ赤な鼻緒の下駄を履いている。
おそらく、家を出る時はまだ日が高かったのだろう。暮れなずむ夕日に洋風の日傘を差していて、それが妙に印象深く感じられた。
「ところで、野々坂は?」
「うちの弟を連れて、先に向かいました」
ふーん、そうか。
と頷いて、俺たちは歩き出す。
「お前んち、この辺りなのか?」
「ええ、反対の方向ですけど」
「あいつも浴衣なのか?」
「うちの母は、和裁が趣味なので」
へー、そうなんだ。
ということは、浴衣の丈を合わせてもらうついでに、着付けも教えてもらったのだろうか?
「そういえば、越智さんは?」
「今日は別の用事があるから、来られないんだってさ」
「そうですか、仕方ありませんね。お盆休みですし」
「そんなに落ち込むなよ。親戚付き合いとか、法事とか、色々あるんじゃないか?」
この時、午後6時45分。
そろそろ日没の時間だ。
駅から少し離れると、辺りは田んぼだらけだった。
それから、農地に水を流すための用水路。コンクリートのブロック塀に囲われた民家から、犬の遠吠えが聞こえる。
茶色い蛾が群がる電柱の街灯。家路を急ぐ自動車のヘッドライト。
ふと空を見上げると、じわじわと薄らぐ黄昏に一番星が現れていた。ガードレールのない危険な道路に、カラコロと下駄の音が鳴る。
こっちのほうが近道かつ安全だと言うことで、俺たちは途中で県道を外れて、田んぼと田んぼのあいだに敷かれたあぜ道を行く。
地面に残された車輪のわだちを辿れば、夏草が踏みならされていて歩きやすい。
チラシの案内図に記されている盆踊りの会場は、辺鄙な野山にひっそりとたたずむ古寺だ。
駐車場はこちら、という矢印に従って曲がりくねった山道をのぼる。だんだんと目的地へ近づくにつれて、路上駐車された自動車が目立つようになってくる。
「もう、遅いってば。いつまで待たせるつもり?」
野々坂百花は、山麓からお寺へ向かう参道の入り口にいた。
おしゃれな紋をあしらった半袖半ズボンの着物――甚兵衛をまとった男の子と歩みを合わせて、手をつないでいる恰好である。
あたかも錦鯉みたいに派手な花柄に、地味な帯をあわせた浴衣姿だ。明るめな髪色のポニーテールをお団子に結っている。
片手でいじっていたスマホを小さな巾着袋にしまうと、ぱっぱと裾を蹴出しながら駆け寄ってくる。
「それにしても、何なのよ。あんたのその恰好は……」
野々坂は、ほのかな月明かりのもとでふと足を止めると、よくよく暗がりに目をこらし、いかにも疑わしげな表情を見せる。
そして、握った両手を腰に当てて仁王立ち、ぷんすかぷんといった感じで不満をあらわにする。
「仕方ないだろ、バイト帰りなんだから」
俺は、パーティー会場へ着いた途端いきなりドレスコードを指摘され、ようやく自分が間違っていたことに気づく。
今日の俺の服装は、座右の銘がプリントされたお気に入りのTシャツと、たくさんポケットがついたカーキ色のカーゴパンツである。
「……まったく、信じられない。私たちが浴衣を着たいって言ってるんだら、あんたもそれに合わせて服を選ぶのがマナーってもんでしょう?」
――ほら、行こう陸君。
あんなやつと一緒にいたら、こっちが恥ずかしいわ。
そう言って野々坂は、千嵐の弟と仲良く手をつなぎ、どこか遠くへ行ってしまう。
大きくなったらお姉ちゃんと結婚しようね、なんて言いながら。
千嵐陸。年齢は6歳。
先祖代々、この土地で米作りを営んできた千嵐家の長男坊だ。
以前――町内の河川敷でバーベキュー大会が行われた際、みんなで一緒に石切りをして遊んだことがある。
その時は途中で雨が降ってきて引き分けに終わったが、今回に関しては素直に負けを認めざるを得ない。
「さあ、私たちも行きましょう」
千嵐は、ほんの少しだけ膝を曲げつつ、こちらに向かって優しく手を差し伸べる。
そして、股を割って浴衣の裾を尻っ端折ると、大勢の見物客が集まる盆踊りの輪の中へ、俺を連れ出そうとするのだった。
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