恋する男子にアイドルを教えて(2)


 中間試験の一日目と二日目は午前中で終わった。

 テスト期間の日程は、一日ごとに半日ずつ。木曜日、金曜日と続き、さらに土日休みを挟んで、翌週の月曜日から火曜日までの合計四日間となる。


 俺みたいに普段あまり授業を聞かず、試験直前になって徹夜で勉強するような生徒にとっては、この週末の過ごし方がとても大事になってくる。


 教室の時計が正午を回った放課後。

 普段ならば、昼休みに弁当を食べている時間だ。


 テスト期間中は部活動が休みになるため、購買に行ってもパンは売っていない。

 そうなると、家に帰らなければ食べるものがない。


 ところが、いつものように学校が終わるなり、荷物をまとめてまっすぐ帰宅しようとしたところで、隣のクラスの野々坂百花から、


「ちょっと電話を貸してくれない?」

 と呼び止められた。


「自分のケータイはどうしたんだ?」

「充電器に挿したまま、家に忘れてきちゃって」


「別にいいけど。誰かに連絡するのか?」

「ううん、あんたの名前でコンサートのチケットを予約するだけだから」


 俺はテスト勉強などそっちのけで、いつも彼女のことばかり考えているというのに、彼女の頭の中は、好きなアイドルのことでいっぱいだ。

 今年の夏、彼らは全国ツアーで地方へやってくる。地元球団のスタジアムを貸し切って、一夜限りの単独ライブだ。一年に一度のこの機会を逃せば、次はいつ夢が叶うか分からない。


「俺はアイドルのコンサートなんて行かないぞ。タッチ―もゆずっちも好みじゃないし」

「チケットがあまったら千嵐さんにあげるから心配しないで。たくさん応募しないと手に入らないんだもの」


 千嵐小夜は、各学年各クラスごとに選ばれた体育祭の実行委員だ。

 このあと午後から生徒会で話し合いがあるらしく、野々坂もそれに付き合って学校に居残っている。


 これはあとから聞いた話だが、どうやら野々坂は、テスト前にもかかわらずろくに勉強もせず遊んでいて、父親からケータイを取り上げられたらしい。

 まだ請求書は届けていないが、先月分の料金もかなりの額に上るのだとか。


 そして俺たちのクラス――一年D組から選ばれた体育祭の実行委員は、越智和馬である。

 こいつの場合は学級委員長も兼ねていて、学年対抗のリレーにも選出されている。男女からそれぞれ一名ずつ選ばなければならず、なかなか決まらなかったので俺が手を挙げて推薦してやったのだ。


「ところでお前は、さっきから何を聴いてるんだ?」


 和馬は、校内に鳴りわたるチャイムの音にも気づかず、耳にイヤホンをはめて音楽を聴いていた。

 生徒会からお呼びがかかるまで、大人しく教室で自習でもしておけとのお達しである。


「どろんこおむすび娘の新曲だよ」


 俺は、机に向かって勉強している和馬の肩に耳を寄せて、イヤホンの片方を貸してもらう。


 どろんこおむすび娘とは、去年の紅白歌合戦にも出場したことがある女性アイドルグループのことだ。

 かつて一世を風靡した国民的アイドルグループの姉妹ユニットと言えば、おそらく知らぬ者はおるまい。


「ちなみに君は、誰の推しなんだい?」


 そう言って和馬は、一人ひとり指を折って数えながら、現役で活躍しているメンバーの名前をそらんじる。


 というのも、テレビ番組のオーディション企画でユニットが結成されたのは、もうかれこれ十年あまり昔の話。

 当時はまだあどけなかった十代の少女たちも、いつしか立派な大人へと成長し、卒業という形で引退してしまった。


「しいて言うなら、俺はおかかかな」


 俺は、音楽関係のプロデューサーと結婚したあとすぐに離婚して、現在はマルチタレントとして活躍している芸能人の名前を挙げた。

 あのころ俺はまだ幼かったが、周りの女の子たちがみんな、楽しそうにダンスの振り付けを真似していたのを覚えている。


 将来の夢はアイドルになることだと公言していた野々坂百花も、そのうちの一人だ。

 あいつの場合は、当時から現在に至るまで何ひとつ変わっていないが。


「そういうお前は、どんな子がタイプなんだ?」


 俺は、後ろから腕を回してやや強引に肩を組んだ。

 イヤホンを外してさらに耳を近づけ、こっそり好きなアイドルの名前を教えてもらう。


 和馬は、さも涼しげな顔をして他人事のように無関心な態度をよそおう。

 暑苦しいぞと肘を張って俺を遠ざけようとするものの、脇腹をくすぐられてたまらず身をよじる。


「やっぱり僕は、梅ちゃんが一番かな」

「このまえ、ばっさり髪を切って話題になってた子だっけ? ほら、とうとう噂の彼氏と別れたのかってさ」


「君もそろそろ観念して野球部に入ったらどうだ? 中学時代の先輩から、しつこく誘われてるんだろう?」

「今さらどの面下げて丸刈りにできるかよ。何も悪いことをしてないのに、反省してると思われるじゃないか」


 これが、俺たちの青春だ。


 勉強と部活漬けの日々を楽しく過ごすうえで、恋愛なんて要素はおまけに過ぎない。

 もちろんモテるならばそれに越したことはないが、そうでなければ退屈というわけではない。


 もしも友達がいなかったら孤独に感じるかもしれないが、この世の中には友情よりも素晴らしいものがたくさんあって、それが俺たちの日常を満たしてくれる。

 たとえば、現実にはあり得ないイケメンだらけの学園ドラマだったり、深夜帯のアニメに登場する美少女キャラクターだったり。


 つまり俺は、彼女にとってかけがえのない存在ではない。

 自分にとって足りないものを相手に求めるような関係ではない。


 アイドルなんかと張り合っても勝てるはずがないと分かっているのに、どうにもこうにも自分の気持ちと折り合いがつかず、やきもちを焼かずにはいられない。


「ごめん、もう一回パスワードを教えて」


 野々坂は、渡り廊下からこっちに向かって手を振ると、人目もはばからず男子トイレに駆け寄ってくる。


 俺は、野々坂が貸そうとしてくれたハンカチに構わず、慌てて自分のズボンで手を拭く。

 どうやら、しばらく操作しないまま時間が経ったせいで、スマホにロックがかかってしまったようだ。


「それにしても、あんたのケータイ。ゲームと漫画以外何にも入ってないじゃん。しかもここ一週間の着信履歴が、お母さんで埋まってるんだけど」

「何回言っても生返事ばかりで聞かないからって、いちいち電話をかけて邪魔してくるんだよ。さっさと飯を食えとか、風呂に入れとかさ」


「あんたの名前で新しいアカウントを作成するついでに、色々と便利なアプリをインストールしておいてあげたから」

「……勝手になんてことをしてくれてんだ。こんなもの母さんに見られたら、絶対に勘違いされるだろ」


 俺は、誰にも見られぬように四桁のパスワードを入力し、指紋が残ったスマホのタッチパネルを磨く。

 すると、いつの間にか本人の知らないところで、ホーム画面の壁紙が勝手に変更されていた。


 教室の席に座った千嵐と、後ろから肩を組んだ野々坂が、仲良く頬を寄せ合ってピースサインを示している写真だ。

 あとから画像を加工できるアプリを使って、背景に色とりどりの花びらや蝶々を描いている。


 ついでに言うと、この時の出来事をきっかけに、俺は図らずも千嵐小夜の連絡先を知り得ることとなった。


 ――私の周りの友達で、使っていない女の子なんていないよ? と勧められたSNSのアプリに、あらかじめ登録されていたのだ。

 さらに詳しく説明を聞いてみると、他のユーザーからの申請を承認すれば、仲良し同士でグループを組んでチャットができるらしく、さらに個別にメッセージを送ることも可能だという。


 ――よろしくお願いします。

 ほぼ毎日のように学校で会って挨拶を交わしているのに、そんなふうにあらたまって自己紹介されると、こちらとしても何と返信するべきか分からず戸惑ってしまう。

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