生きていると、生きていないといけない

 正確には、生きている間は、常に決断を迫られているということだ。


 訳が分からないかもしれない。しかし、これは重要な事なのだ。心臓が正常に働いていれば、身体の機能に異常が生じていても生命活動が継続されるように、生きている間は、(少なくとも死に至るまでは)生きながらえなければならないのである。


 それは例えば、何かどうしようもない苦しみと遭遇した自分であっても、絶え間なく続く闘争の中の自分であっても、あるいは明日には死んでしまうとしても、生きていなければならないということだ。それは苦しみの中だ。痛みの中だ。そして、それらが継続している時間の中に、生命は宿っているということだ。だから、生命こそが、それら苦痛を感じさせる原因とも言えるだろう。


 それでも、生きていないといけない。生存はその時、見苦しく、汚らしいものであるかもしれない。それでも、生きていないといけない。自分はもう、生きる意志を失ってしまったかもしれない。それでも、生きていないといけない。それは、もはや自分の気持ち一つで決められるような事柄ではなくなってしまったのだ。いや、初めからそうだ。本来、生きることは、死と同様に強制的であったのだ。だがそうではなくなった。いつからか、自分の人生を生きられるようになった。生存本能だけでなく、理性が働くようになった。決断できるようになったのだ。


 今は自由がある。決して十分ではないかもしれない。それでも、選択の余地がある。だから、死んでしまえる人だっているだろう。それでも、そうなるまでは生きていないといけない。誰かに言われてそうするのではなく、自棄やけを起こして自分を台無しにするのでもなく、あくまでも自分の決断として行動するのだ。それこそが生きるということだ。それができなければ、例えどれだけ生命に満ち溢れていたとしても、とは感じられないだろう。


 その一つの感情の為に、人は決断を迫られているということだ。その様な時に、自分が選択したという確信の為に、人は生きているのだ。だから、生きていると、生きていないといけなくなるのだ。






 別に、誰もそうは言わなかったと思いますけどね。だからこれも、僕が勝手にそう思っているだけだという事でしょう。僕がその様に決断したと、そういう事でしょう。そんな事を信用してどうするのですか。生きていたいと思える様に生きていればいいじゃありませんか。それが駄目なら、これまで連なってきた文章なんかは、丸められた後にゴミ箱に堆積たいせきするだけのものなのです。


 しかし、これからあなたが何をするにせよ、生きていなければ話になりません。まずは生きる事です。何が自分にとって生きている状態なのか、それを自分で決断する事です。そうでなければ、生きていても死んでいても、同じ事ではありませんか?

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