限界があるとして

 それは、僕の辿り着く境地ではないのだろうと思う。つまりそれはこれ以上は進めないという所まで進んでいったという事であって、僕はそこまで自分に試練を与える事ができないと。


 だから、ただ進んでいくんだと思う。ただ進んでいって、限界をとうに過ぎているのだと思う。そうでなければ、僕は続けられないだろう。続けたくても、それが著しく困難になるのだろう。限界というのは必ず現れて、全ての道を塞ごうと試みるものである。その為に生まれるものである。僕はそれを見つけてやる事ができないだろう。そう思う。


 恐らく、どこかにはあるのだ。限界というものが、やはりある訳なのだ。だが、そこにたどり着く事は決してない。そこは仙境の地だ。人里離れて幾星霜いくせいそう、死するその時にやっと目にするものなのかもしれないのだから……そこに辿り着くまで、進んでいける保証など、どこにもないのだから。


 だとしても、ただ進んでいくしかない。僕は愚鈍だ。一つ選んだ道さえも、蝸牛かたつむりのように緩慢に進んでいく者だ。だからこそ、絶えず進み続ける者だ。そうでなければ、世の中の人々は容易く僕を追い抜いて、僕のしている事を全くの無意味に仕立て上げるだろう。そんなつもりはなくても、そうなっていくのだろう。だから、本当は自分のせいなのだ。自分をどうにかしてやらなければ。それが、限界に出くわそうとする気持ちの表れなら、やる事と思う事があべこべで、解決する事も解決できなくなってしまっているのに違いない。


 時ばかり経っていく。歳ばかり取っていく。僕みたいな若造でさえそうなのだから、老齢の者は、よりその実感を重ねているのだろう。それでも、未だ限界を見ずにいるのだろう。僕はどうだろうか。やはり見物の一つもできないのだろうか。いや、限界というものを見物したところで、どうなるでもないのだろう。結局、自分を続けていくしかないのだから。その自分を続けるという事が、限界の先にある事ではないのか?


 平時では自分というのは継続している訳だ。そして、限界というのは平時ではない。それもそのはず、そこは今まで辿り着いた如何なる場所よりも尊い場所なのであって、それが平時である筈も無い。なら、自分というのはその時損なわれる筈だ。真に自分を保たなければならない時というのは、まさしくその損なわれようとする瞬間であって、その時々であって、少なくともそれは、限界に辿り着こうとしている者の発想ではないだろう。


 ただ横に広がった平地の上で、何度も擦り傷を負っている。それが僕だ。他の誰でもない者であってほしいものだ。こんな愚鈍で、阿保らしくて、人に迷惑をかけてへらへらと笑っているような人間など、この世にたった一人でいいのだ。だがそうはいかない。そうやって望んでも、そうはならない。それが現実の限界であって、可能性の限界であって、僕はそれを遠目にじっと眺めているだけなのだと。

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