こんなもん読んでる暇あるなら体を休めろ
人は僕の感性を求めてはいない。人は、僕の感性から生み出される結論。そしてその結論を導き出す過程を求めているのだ。つまり、その結果にまつわる説得力のある説明を、人は求めているものなのだ。僕は、その事をわざわざ一から十まで全部説明してもらわないと理解できなかった。だが世の中に生きる「普通の人」というのは、自然とその目的を理解していくところがある。もちろん、僕の様に説明をしてもらった人ばかりであるだろうが、だがそれを理解した上で、自分から成果として抽出するまでに至るのである。これは普通の事とは思えない。
そして、その様な「普通の人」が世間に
だが、それが普通だと
だからこそ、社会的な要求というもののバランスを注視しなければ、社会格差の是正や、社会から脱落した人の救済というものは、到底成し得ないものなのだ。要求が尊大になっていけば、それについていけない人によって、世間は無法地帯と化すだろう。だが要求をあまりに低くすると、世間という、この世で一番面倒なものを保つ人の誕生を、自然発生に期待する事になってしまう。故に社会的な要求は、脱落を少なくし、かつ社会を保つのに必要な人員を生み出せる様に水準を保たなければならない。つまりこの言葉は、圧力を減らした上で、見かけ上の圧力を保つという意味を持つ事になる。
こんなに面倒な事な他に無いだろう。だが、誰かがやらなければならないのだ。自分の人生の様なものだ。誰も代わりに自分の人生をやってくれやしないのだから、自分がしなければならない。社会と比較して異なる点があるとすれば、そこには自分以外の人間が大勢になっているという事だけだ。後は何も変わらない。後は全て面倒の渦の中だ。そこでどうにかやっていくしかないのだから、それを面倒だと呼ぶのなら、確かにそうなのだろう。だから、皆よくやっている。この「皆よくやっている」という状態を、それを保つ努力を「普通の人」がしている事とするのは、あまりにも残酷な結論ではないだろうか? あまりにも無邪気だ。コウノトリが子供を運んで来る逸話を、本当の事だと信じているのと変わらない。それが当然の事だと……そんな訳がないのだ。
そうやって生じてくる様々な荒波の中で、あなたはよくやっている。自分の日々というものを、何とか乗り切っているという事は、他の誰にも例えられない、あなた自身の成果なのだ。これは僕の感性だ。だから、これは本来評価されない言葉であるはずだ。だが、あなたはここから何かしらの感情を抽出し、そこから思考を進めていく事になるのだろう。それによって評価が生じたりするのかもしれないが、僕にとってそれはどうでもいいことだ。重要なのは、日々を乗り切っている事の方だからだ。それは、他の誰にも任せられない事であるし、だからこそ自分がそれを行うという決断に意味が生じるのだ。つまりはその結果に意味が集約されるのであって、あなたの評価に価値が無い『という意味ではない』と、一応書いておく。
そもそも、評価が生じる源泉が、あなたの日々を特に変える事もないのに偉そうに説教をして、それで悦に浸っているのと変わらないものだという事に、考えが至ってほしいだけだ。こんな文章よりも、あなたの方が重要だ。この文章を見る主体こそが評価を下す存在を示すものであって、それこそが、筆者にとって欠けてはならない存在なのだから。僕はあなたがどこに生きているかなんて知らないし、もっと言えば、あなたがどんな性別であろうと、どんな肌の色をしていようと、信じている宗教が何であろうと、どうでもいいことだ。
僕に重要なのは、ただ日々を過ごしていくあなたがそこにいることだ。それだけだ。そこに価値があるのだ。「普通の人」という概念には、その視点が欠けているから駄目なのだ。成果だけを求められたら、人は生きていけなくなる。人は、自分を求めてもらう事で生きながらえていくのだから、自分である意味があって、そうして人は生きていけるものなのだから、それがなくなることはおそろしいことで、日々を生きることは、そのおそろしさを解消してくれるものなのだ。日々に対して自分という存在を要求させるからだ。僕はこの句をどうしても書きたくてここまでだらだらと書き連ねていたのである。
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