本当には発熱していないけど

 あたりまえだ。そんな時に文章になんて構っていられるか。そういう時は横になるに限る。誰だってそうだろう。そうではないのか? 熱を出しても働かなければならない人間というのは、自分ではなくて、仕事を生きているようにしか見えない。そういう時こそ自分を生きる……というか、存在させようとするべきではないのか。そこで自分を怠ったら、どこで自分を行うのだ。


 そうだ。自分とは行使するものなのだ。だから権利だ。これを無視したら、それは権利の侵害なのだ。あたりまえだろう。あなたにだけはそれが無いだなんて、そんな都合の良いことはあるまい。そしてやはり、僕にもそれはあるわけだ。僕は権利だ。権利を主張する者だ。そして、その声を誰にも聞き入れられないまま、人知れず消えていくのだ。


 あるいは聞き入れられたとしても、粗雑そざつな返答を寄越されることだろう。それは既に何年も前に何某なにがしが言っていたと、僕を小馬鹿にして帰っていくのだろうと思う。それに対して復讐心を燃やすとか、そういうわけではないが、腹立たしい気持ちは消えてなくなってくれやしない。そして、それに対して打つ手もなく悶々もんもんとし続けるのだ。そうならなくてよかった。そう済ませると、そうして僕は消えていく自分の姿を確かに捉えてしまうのである。


 僕は、馬鹿にされてでも他者の眼前に存在しようとするべきなのか、悩んでいる。どうしようもなく嫌われてもいいのなら、とにかく現れてみて、色々とおふざけをしてしまえるだろうが、僕にはその先がある。恐らくは、人生というものが連なっていくのだ。僕はそこを無事に通り抜けたいと望んでいる。それなら、馬鹿にされずとも生きていける方法は他にもあるし、それをするべきなのだろう。でも、それでは無事ではあっても、幸福ではないかもしれない。望みは叶えられたが、報酬はない。ただ満足感だけが辺りに漂って、僕はそれを幸福と思わされながら消えていくのだ。それでいいのだろうか。それは騙されたってことじゃないか?


 そうやって結局、自分を騙しているから世話がない。それだって不幸だと勝手に思い込んでいるだけなのだから。そもそも騙されたとかどうとかという前に、物事に対して誠実になるべきなのだ。自分の意志に対して誠実になれなければ、権利に対してもそうだろう。




 だから、僕はちゃんと体調を崩して横になるべきだったのに。

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