焦燥感という足枷

 結局、何の役にも立ってはいないのだ。焦燥感というものは、いつだって背中をどついているばかりだ。それによって助かったこともあるが、それは僕が行動を起こした結果であって、焦燥感は行動に対しても、その結果に対しても、何の作用も及ぼしていないのだから。


 かといって、邪魔だと叫んで投げ捨てたなら、それを自分から取り戻しに行かなければならなくなるのだろう。全く厄介極まりない。どうしてこんなものばかり、大事に抱えてきてしまったのだろうか。もっと自尊心とか、意欲とか、自我を保つのに役立つものを持ってくればよかったのに。恐らく、生き返る前に遠慮したのだ。だから今こうして自分の弱さと向き合う羽目になっているのだ。いや、全てのものを抱えられる程には、両腕が大きくなかっただけなのかもしれない。


 それが自分の良心から生じた結果なら、焦燥感もそうなのか? 全く馬鹿馬鹿しいことだ。自分の弱さを投げ捨てて、強さだけを持ってくる程の傲慢さがあれば、今頃は世界征服だって成し遂げていただろうに、馬鹿なことをしたものだ。しかしかえってよかったかもしれない。僕にはそんなことをする動機なんてものはないのだから。世界征服なんて、時間も人材も大量に必要で、人材を束ねる統制も、統制に足る十分な褒美も必要で、そうやってただただ面倒でつまらないことに生涯をついやすのはごめんだ。だったらまだ文章を書き連ねている方がマシというものだ。だから、これはそんなに素晴らしいことでもない。だがいいだろう。世界征服よりはいいだろう。そんな七面倒しちめんどうなものと比べたら、大抵のことは素晴らしいことだ。


 それはともかくとして、もしかしたら、ここが一番最初なのかもしれない。僕は生き返ったと思っていたが、そうではなくてむしろ、ここから世界征服までの道のりを進んでいくのかもしれない。生き返っていくその輪廻の中で、やがて世界は僕の手で掴み取られるのかもしれない。だとしたらその時、それだけ世界はちっぽけになったのだ。残念だ。


 僕は、ここにいたい。だが焦燥感は、その停滞をどうにか拒もうとするばかりだ。焦燥感は僕に何の手助けもしてくれやしない。なのに! 役に立ったような振る舞いでこちらに微笑みかけてくるのだ。話しかけてきている訳でもないのにやかましいのだ。今日もそれを感じている。その微笑みはどうやら僕の良心の表れのようであるらしい。僕を窮地から脱出させようと突き動かす気持ちなのだと。


 僕は、どうにかしてこれを投げ捨てようとして、ここまで来たのだ。だが投げ捨てられなかった。空き缶のようには、たばこの吸い殻のようには、邪険に扱えない不可欠さだった。それを伝えなければならなかった。この気持ちはまさしく焦燥感だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る