無謀な使命感

 何をしているんだろう。そう思う時がある。いつもそう思っている。どっちだろうか。少なくとも今はそう思っている。それもこれも全ては、こんな事をしていなくても生きていけるからだ。だが、これをしている。文章を書き連ねている。僕はどこか真剣さに欠けているのだ。これは社会経験の少なさによって生じる幼さなのだろうと思う。


 だが、社会経験が自分を大人にさせる訳ではあるまい。いや、それによって大人という存在に変化していくというのはおかしな考えではない。だが、そのように社会経験が作用したのは、まさしく個人の資質ししつによる結果であって、社会経験そのものは、特に自分を変えようと働きかけるものではないのだ。もっと言えば、経験というものは、単なる記憶の一側面に過ぎないものであるだろう。記憶に影響された結果として個人が成長を遂げることはあっても、記憶がそのように作用することはないはずなのだ。


 そういう意味で言えば、幼さというものもまた、社会経験の欠乏けつぼうによって生じているとは限らないかもしれない。つまり、それもまた個人の資質であって、為人ひととなりであって、これを変化させるとなれば、それはもう強烈な影響が必要となるし、そしてもちろん、その影響を受け止める人格は不可欠であろう。主体が変化の源ならば、経験は、記憶は、変化のきっかけに過ぎない。




 少し本を読めば、中学生だって同じことを考えつくだろう。結局、僕の幼さだけが確かで、他は全て妄想と変わらない。いや、調査や論文によって裏付けされた意見として成立したとしても、根源にはやはり幼さが変わらずに残っているだろう。僕はこれを晴らしてやらなくてはいけない。でも、どうすればいいのかなんて分からない。それでも成し遂げようと試みなければならなかったのだ。それがこの結果だ。僕はこうして、無謀の果てに羞恥を得ていくのである。後には青二才の気配が残っていく……。

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