嘆く父親 ―タンツ家当主現る―
――ギィッ――
理事長室の扉が音を立てて開いた。そこから現れたのは杖を頼りに歩いている病身の老いた白髪の男性だった。
ボタンシャツにダブルボタンのベスト、コートは着ておらず両肩にガウンを羽織っている。明らかに療養中の風体をしていた。その人の名をリザラム大隊長は呼んだ。
「タンツ候?」
「もしや、タンツ家本家ご当主?」
私たちの問いに彼は答えた。
「いかにも、タンツ家当主、ハンブル・ラウ・タンツです。正規軍軍警察と職業傭兵の方とお見受けする」
私たちも返礼する。
「これはご丁寧に。正規軍軍警察首都警備部隊大隊長のリザラムです。こちらは特級傭兵のエルスト嬢」
私は挨拶もそこそこにタンツ家当主であるハンブル候に尋ねた。
「ハンブル候にお聞きしたい事があります」
「はい、何をお尋ねになられるのか承知しております」
私たちが何を問題視しているのかすでに分かっているようで、その問いに抵抗すること無く彼は答えた。
「本校の現在の理事長の人事の理由と背景についてでございましょう?」
「えぇ、そのとおりです」
鋭く睨みつける私にハンブル候は平身低頭で地面にひれ伏す勢いで頭を下げた。
「本当に申し訳ない! ここにいる理事長は私の息子だが、このように現実の見えない夢ばかり見ている性格をしている。到底大きい組織の指導者を務めることはできない。別の者に理事長の職務を継承させようと思ったのだが」
「できなかったと」
「はい。私がこのような体で自由がきかないことをいいことに、私の妻や今この学校を牛耳っている校長や教頭、あるいはそれらと結託した連中、そういうものたちに押し切られる形で家督継承を強要されてしまった」
リザラム大隊長が訝しげに言う。
「つまり、あなたは理事長の地位を簒奪されたと?」
その問いかけにハンブル候ははっきりと頷いた。
「私がもっと早く強い意志を持って身を引いていればこのような結果にはならなかった!」
病に侵されたその体でハンブル候は嗚咽をするように詫びの言葉を口にしていた。
今にも倒れそうなボロボロの体で、全ての責任を認めるために彼はこの場に駆けつけたのだ。
その時、彼の息子が叫んだ。
「お父さん!? 何を言ってるんだよ?」
だが、親の心子知らず。彼の息子は父親の言葉全く理解できていなかった。
「いつも言ってるじゃないか?! 校長達もよくやってるって。それに――」
「黙れ黙れ! この馬鹿者が! 欲にまみれたくだらぬ連中にすっかり洗脳されおって!」
彼は杖をつきながら走り出すように息子の所へと駆けつけた。そして、持っていた杖を振り上げると自分の息子の顔面めがけてそれを振り下ろす。
――ドカッ!――
激しい音がしてハンブル候の息子は吹っ飛ばされた。
「いいかよく聞け! お前は騙されている! 寄付金集めという名目で学校の生徒達の父兄から金銭集めを短期間のうちに一気に行うためにこの学園の乗っ取りを画策する連中がいたんだ! お前はそのための都合のいい道具としてまんまと利用された!」
ハンブル候は杖を床へ激しく突き立てる。
「金を集めるだけ集めたら、さっさと逃げ出す手筈まで整えていた。私の妻、つまりお前の母親も今回の軍警察の突入と言う事態を受けて一人逃げ出した! 今、タンツ家の全精力を傾けて行方を追っている! 事態は最悪だ。もう今の状態のままでこの学園を維持することはできない」
そして彼は私たちの方を振り向くとこう告げた。
「お願いがあります」
「何でしょうか?」
答える私に彼は言った。
「この息子を、現理事長を今回の事態の総責任者として連行していただきたい。おそらくまともな尋問にはなりはしないだろうが司直の手により然るべき処罰を与えて頂きたい」
それは一人の人間の父親として避けては通れぬ現実だった。過ちを犯したのならば、その責任は取らねばならないのだ。
そんな彼にリザラム大隊長が言う。
「本当によろしいのですね?」
「はい」
そこに私は言った。
「あなたご自身は?」
当然の問いかけだ。この息子を法の裁きの場に突き出すというのなら、この学校の理事長という地位と、それに連動しているタンツ家の当主の地位は別なものに委ねなければならないからだ。
ハンブル候は言った。
「――当主の地位から退く。親族のしかるべきものに譲ろうと思う」
「お、お父さん?! 本気じゃないよね?」
驚き叫ぶ息子にハンブル候は言った。
「本気だ。その上でお前に申し渡す。〝勘当〟だ。お前のはたった今から親でも子でもない。親子の縁を切る!」
頭の血の巡りの悪い馬鹿な息子でも父親のこの剣幕に自分がどういう立場に置かれているのかようやく理解していたらしい。
「そ、そんな」
呆然とする彼にハンブル候は言った。
「リザラム候、連れて行ってください」
「承知いたしました。おい!」
「はっ!」
理事長室の外にはすでに数人の隊員達が待機していた。リザラム大隊長の呼びかけにすぐに姿を現す。
「聞いていたな?」
「はっ」
「連れて行け。今回の事態の引き金だ」
「はっ」
そして、理事長室の中に警備部隊の隊員たちがなだれ込んできた。後は有無を言わさぬ連行だ。
泣き喚きながら現理事長は連れて行かれた。
後に残されたのは私とリザラム大隊長とハンブル候だ。
私は尋ねる。
「それで、次の理事長になる人物のアテはあるのですか?」
ハンブル候は顔を左右に振った。
「いいえ。到底見当がつきません。八方手を尽くして探しているのですが」
「引き受けてくれる者が一族の中にいないと?」
「はい。このような最悪の事態になってしまった中で、火中の栗を自ら拾うような献身的な人物はそうそういません」
彼はがっくりと肩を落としていた。そして男泣きに泣きながら彼は言った。
「この学校で学んでいる生徒たちに何と言って詫たら良いのか」
私は大きくため息をついた。
「最悪の事態に陥っているからこそ、自ら率先して事態の解決を図ろうと言う者が、今のタンツ家にはいないようですね」
リザラム大隊長は呆れたように声を漏らした。
「日和見主義にも程があるな」
「申し訳ない」
利益だけ欲しい。責任はいらない。
そういう人物しか彼の周りにはいないのだ。教育のタンツ家の名も地に落ちたというところか。
ならばこの方法しかないだろう。
「ハンブル候、私はあなたに提案があります」
私は彼に自ら胸に下げているあのペンダントを見せた。
「これをご覧ください。私はモーデンハイムの家孫で、エライア・フォン・モーデンハイムと言います。エルスト・ターナーは職業傭兵の職務につく際の別名です」
「なんですって?」
リザラム大隊長はそれを補足するように言う。
「この方のおっしゃることは事実です。彼女はモーデンハイム家現当主であるユーダイム候のご令孫です」
「こ、これは失礼いたしました!」
ハンブル候は驚きつつも私の言っていることが事実であると言う事を即座に理解していた。この人ならまともな交渉ができそうだ。
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