生まれ変わる学園
「私はあなたにある提案があります」
「はい」
彼は頷いた。
「この学園の運営権を売却しませんか?」
「売却? どなたに?」
「クライスクルト家やミルゼルド家と言った経済候族の方々です。すでに私や私の母が内々に打診をして、好感触のある返事を頂いております。かねてから学校経営に興味をお持ちだったそうです。一説には独自に新たに学校を設立するおつもりだったとか。今回の件は渡りに船だそうです。もちろんこの学校の運営にまつわる全てを手放していただきます」
その提案にハンブル候は頷いた。
「つまり、未練を残さずすっぱりと身を引けということですか?」
「その通りです。その代わりこの学園の生徒たちには最高学府として相応しいカリキュラムを提供させていただく所存です。また、あなたご自身の今後の生活を保証できるくらいには金銭の譲渡は可能でしょう」
ハンブル候は沈黙すると少しだけ思案していたが、覚悟を決めたように力強く頷いてこう答えた。
「この学校とその生徒たちと未来をあなた方に委ねます。そして、継承が済み次第、私はタンツ家の当主の地位から退き隠居いたします。家督を引き受けてくれる者が現れればよし。現れないのならタンツ家は断絶ということになるでしょう。でもそれもやむを得ません」
彼は全てを失う事を心の底から覚悟したのだ。
「承知いたしました。では然るべき者たちにこの事を伝え、学校の継承に向けて手続きを取りたいと思います」
「よろしくお願いいたします」
そう答えて、タンツ家当主であるハンブル候は右手を差し出してきた。そして私たちと握手を交わした。
「お任せください。この学校にて学ぶ者たちには不利益は残しません」
「ありがとうございます」
その言葉を残してハンブル候は少しだけホッとした表情を浮かべると、よろよろと体を引きずりながら理事長室から去っていった。この学校を守るためにこれまでどれだけの苦労をしたのだろうか? それを思うと今回の一見は彼にとって痛烈な蹉跌以外の何ものでもない。その老いさらばえた背中に憐れみすら感じられた。
彼と入れ替わりにこの部屋を捜査するために数人の隊員たちが流れ込んでくる。
それを見届けながらリザラム大隊長は私に向けて告げた。
「では、参りましょうか」
「ええ」
こうして突入作戦は成功のうちに終わった。
そして翌日からこの学校の再生が始まったのだった。
† † †
オルレア首都上級学校、その再生は早かった。
翌日から全生徒に半月ほどの自宅学習が命じられると、その間に、すべて手続きと処置が行われた。
すなわち、学校の経営権の譲渡と、学校施設/土地の売却譲渡、並びに講師陣・職員の新規雇用、それらすべてが数日のうちに完了した。
学校経営はクライスクルト家とミルゼルド家が中心となり、そこに儀礼式典のアルコダール家、医療や行政に明るいケアルト家、伝統技能継承に明るいネーベルゲイル家などが、学校運営に参加することとなった。
そして、合議制の学校運営委員会が発足し、それの採決に基づいて学校運営が成されることとなった。
当面の間の理事長にはクライスクルト家当主の次男坊で、自分自身で私塾を経営しているコルジア・イウ・クライスクルト候が就任、校長にはアルコダール家からフェンデリオル聖教の修道院の総括責任者にもなったことのある、トルチェ・オハ・アルコダール候が着任した。
さらに全職員は入れ替えとなり、それまでの教師陣はすべて解雇となった。
事態が事態だけに、過去の禍根を残したくないという新経営陣の意向でもあった。
ただし、事件に関わっていない者たちへはあらたな職場が紹介され、生徒たちの心のケアのために適時連絡が取れるような段取りも行われた。
なお、前理事のタンツ家は前当主が家督譲渡の意思を示した事もあり、紆余曲折あったが、第2位階分家の一つが家督継承に名乗りを上げた。親族全体会議や政府紋章管理局の承認も得られ、家督継承はつつがなく行われた。バーゼラル家のように御家お取り潰しのような事態はなんとか避けられたのだ。
学校施設の維持も前校長一派によりなおざりになっていたこともあり、各所が傷んでいたが、そこは経済侯族のクライスクルトとミルゼルドだ。半月の間に校舎の建て替えに匹敵する改装を行った。
経済侯族恐るべしである。
特にミルゼルド家はアルガルド問題での失点を払拭する意図もあってか、かなりの力が入っていた。
さらにはドーンフラウ学院大学とも連携が図られるようになったのも新たな特徴だった。
学校のあらゆる物が代わり、半月の自宅学習が終わり学校再開の運びとなった。
その初登校の日、一部の生徒の姿は無かった。前校長・前教頭に懐柔されて〝イジメ〟に加担させられていた生徒たち。彼らとは面談の上で〝放校処分〟と言う結果となった。今回の事件が最終的に政府議員に絡む収賄事件にまでつながったことや、集められた不正献金の一部が国外の犯罪集団に流れていた事もあり、極めて深刻な事態に発展していたためだ。
当初はイジメへの加担が強要されたものであるために、なんとか生徒たちを復帰させられないかと話し合いが持たれたが、なにより本人たちが罪を償う道を選んだ者たちが大半だったため、これを断念した。むしろ、新たに人生をやり直すことを望む者たちばかりであり、学校は彼らにやり直しのための指導と助力を約束。その身を司直の判断に委ねることとなった。
そして、あのマリーツィアも学園を去る意思を固めたのである。
† † †
オルレア中央上級学校の再会の日が訪れた。
私もアルセラの登校再開の付添をすることとなった。
同じ馬車に同乗して学校へと向かう。少し不安げな表情をしていたが、私がその手を握るとアルセラは笑みを浮かべる。そして、学校の敷地へとたどり着けば、校門前広場は拡張され、馬車停め場が新たに設けられていた。そこに送迎の馬車列を停めることができるようになったのだ。
そこに馬車を停めてアルセラとともに私も降りていく。そして私はアルセラに言った。
「見て、アルセラ」
「はい?」
私が指差す先には真新しくなった校舎がそびえたっていた。
校門の門扉は青銅製の趣のあるものに代わり、常時1人の門衛が控えることになった。
校舎も以前のくすんだ色とは異なり、白磁の学舎へと生まれ変わっている。
「きれい、別な学校のよう」
「でしょ? 学校を根本から新しくすることになったのよ。今まであなたを苦しめてきた原因となっていた人たちは誰も居ないわ。学校のみんなが胸を張って未来を信じて学んでいけるように何もかもが新しいわ。だからね」
私はアルセラの背中をそっと押した。
「胸を張って行ってらっしゃい」
私のその言葉にアルセラはニコリと微笑んでくれた。
「はい!」
「それじゃ」
「はいです! 行ってまいります!」
アルセラは元気に歩き出していった。それまでの鬱屈した雰囲気はもうどこにもない。
そして――
「アルセラさん!」
アルセラを待っている人が居たのだ。
グルンド・ストラト・ノクトゥール、アルセラを熱心に看病してくれた一流の紳士だ。
「グルンド君!」
「良かった。学校に出てきてくれたんですね」
「えぇ!」
制服姿で佇む二人はその手に鞄を提げたまま向かい合っていた。そして微笑みを浮かべながら談笑していた。
「もう、お体は大丈夫なんですか?」
「はい、もうすっかり良くなりました。何も心配ありません」
「そうですか」
そして彼は自ら右手を差し出した。
「行きましょう」
「はい!」
アルセラは少し頬を赤らめてグルンドの右手を自らの左手で握りしめる。そして二人並んで学校の校舎へと向かう。校門をくぐった二人の元へと、おそらくは級友たちだろう者たちが集まってくる。
何人かがアルセラに謝っている。アルセラが学校を休んだその原因について責任を感じているためだろう。
だが、アルセラはそれを笑って許していた。誰もわだかまりを残さない結末だった。
彼らは笑い声を上げながら歩いていく。これからの未来を掴み取るための学舎へと。
それを見届けて私は言った。
「これでもう大丈夫ね」
こうして、オルレア中央上級学校の騒乱の一件は幕を下ろしたのである。
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