リザラム候語る ―上級中央学校正門前―
「よろしければ彼女をもうこの館に戻さないように、どこかで保護してあげてほしいのです」
念のため彼女自身の意志を改めて確認した。
「そうよね? マリーツィア」
「はい」
視線を地面に落とし不安に怯えている素振りのまま彼女は言った。
「この屋敷には家族としても親子としても良い思い出は何もありません。贅沢は言いません、もう何もいらない。全てを忘れたいんです、もう自分で自分をどうしていいか分からなくて……」
その時だった。自ら歩み出てきたのはリザラム候だった。
「マリーツィア、今はもう何も語る必要はないよ。君がどれだけあの親の下で苦しんできたか今の君の顔を見れば十分すぎるほど分かる」
「リザラムのおじ様」
「心配しなくていい。これでも伊達に街の夜回りはしていない。若い人たちの苦しみ悩みは毎日見てきている」
それは、軍警察の都市巡回警備の大隊長と言う職務に長年にわたって携わっているが故の見識だった。
「贅沢はさせられんが、よかったら私の所に来るかい?」
「よろしいのですか?」
「ああ、君に行く場所がないというのなら私の所に君が気の済むまで居ていい」
それはマリーツィアにもたらされた救いの糸だった。
「親族として近しい場所にいながら、君の事はずっとかねてから気がかりだった。君の両親の悪評については職業柄嫌というほど聞こえてくるからね」
リザラム候はマリーツィアの身の上はかねてから知っていたのだ。
「しかし、他人の家の事である故に簡単には口を挟むことはできない。長年ずっと忸怩たる思いを抱えてきた。だがそれも今日限りだ」
「はい。ありがとうございます」
私は彼女の背中を押した。そしてマリーツィアは私に頷き返しながらリザラム候の傍へと向かう。
カロル候は私へと告げる。
「今回の一件については謝罪や賠償も含めて改めてお話しさせていただきたい。そもそもが早期に発見することができなかったのは本家当主たる私の責任だ。マリーツィアの処遇も含めて責任を持って対応させていただこう」
そこまで言ってもらえれば私としては何も言うことはない。
「それで結構です。これからもよろしくお願いいたします」
そう言って私は軽く頭を下げた。
「素早いご尽力誠に感謝申し上げます」
そして私はマリーツィアに言葉を向けた。
「マリーツィア」
「はい」
「あなたがしてしまった事については、償うべきものは償わなければならない。でも己の過ちを本当に悔いてやり直そうとするのであれば、チャンスはきっと与えられるわ」
「エライア様」
マリーツィアはようやくに安堵した表情を浮かべていた。そして深々と頭を下げてこう述べたのだ。
「今回はアルセラさんに大変なご迷惑をかけて申し訳ございませんでした」
頭を下げ終えて顔を起こした時、彼女の目元には涙が浮かんでいた。今度こそ本当の謝罪を込めた涙だ。
「マリーツィア、あなたの人生はこれからよ」
「はい」
そこでやっと彼女は笑みを浮かべた。心の底から湧いてきた喜びそのものだ。
リザラム候の馬車に乗り込み、マリーツィアは去っていく。その姿を見送って私も帰路へと着いたのだった。
† † †
モーデンハイム本家邸宅へと帰り着くなり、私はユーダイムお爺様とセルテスの姿を探した。
そして、現在状況と事の経緯を手短に伝える。
すなわち、今回のイジメの首謀者であるマリーツィアが実際には被害者的立場であり、他のいじめに加担している生徒たちも、学校側からの思惑から逃げられない状況にあるという事だ。
卑劣極まる現実だった。
「わかった。軍警察にはその旨、伝えておこう」
お爺様も即座に動いてくれた。さらにセルテスには別な馬車を用意させる。
「二人乗りのハンサムキャブで、モーデンハイムの紋章が出ていても構わないわ」
学校に赴くに際して素性を偽る必要はないからだ。
「すでにご用意しております」
「重畳よ。すぐに出るわ」
「御意」
私は用意された馬車に乗り込み、一路、アルセラが通っていたオルレア中央上級学校へと向かった。
空に星が昇りすっかり夜になっている。極秘裏に入手した情報では今日は全職員での会議が行われているという。ならば、一網打尽にする良い機会だ。
オルレアの街を走り上級学校へとたどり着く。
広大な敷地を持つ高等教育学校だ。
そもそも、フェンデリオルの学校教育は、初等学校が7年間、上級学校が5年間続く、そして、その上に大学教育が続く。
若者たちは人生の進路を決める大切な5年間と捉えている。だからこそ皆必死になる。真剣に学問に打ち込もうとする。友と語らい様々なことに興味を持ち、あらゆる可能性を試そうとする。
そこには平民も候族もない、あるのはただ若者たちの限りない可能性と言う事実そのものだ。
そう、この学校には、この場所には、若者たちの可能性が溢れているはずだったのだ。
私は中央上級学校の正門前広場に馬車を止める。そして一度馬車から降りると学校を正面から睨みつけた。
「校舎の明かりはまだ消えてないわね」
学校の中に教師たちがまだ残存している証拠だ。
「絶対に逃してなるものですか」
そう呟けば私の背後から声がする。
「本当にその通りです」
それはよく聞き慣れた声。初老の男性の声だ。
私は振り向きながら彼の名を呼んだ。
「まさか? リザラム候?」
「いかにも。またお会いしましたねエライア様、いえ、ルスト特級」
「ご苦労様です、リザラム候」
正規軍警察の制服である青いフラックコート、頭にはつば付きの帽子、腰には細身の片手牙剣を持ち、両肩にはハーフ丈の革製のコートを重ねていた。
ガッチリとした体型と彫りの深い風貌。私もこの街の軍学校に通っている間、この人には何度も助けられた。
昼夜を問わず街を巡り歩き、街の若者たちに関心を払い時には声をかける。悪しきを行なっているものには戒めを、困難と苦しみの最中にある者は救いの手を、差し伸べるのが彼だったのだ。
人は言う。
彼こそはオルレアの街の若者たちの全ての父親だと。
私と彼は並び立っていた。その正面に学校校舎を見据えながら。
その時ふと口を開いたのはリザラム候だった。
「ルストさん、私はね、今回ほど自分自身を許せないと思ったことはありません」
「はい」
私は彼の横顔を見ながら相槌を打った。
「マリーツィアを私の邸宅へと連れ帰り、着の身着のままでは可哀想だからと侍女に命じて着替えさせようとしたんですよ。だが彼女は自分一人で着替えるからいいと頑なに言い張る。不審に思い、マリーツィアを宥めながら、歳の近い侍女ではなく、私の妻に着替えを手伝わせました。そして、そこで何が見えたと思いますか?」
意味深な語りだった。女の子が自分の体を他人に見せたくないと思うのは大体が〝人には見せられない醜い何かを〟体に背負っているからだろう。
若気の至りの刺青であったり、あるいは深手を負った時の傷跡、生まれつきの
「まさか、体に何か傷跡でも残っていたのですか?」
リザラム候は顔を軽く左右に振った。
「そんな生易しいものではありません」
彼は悲しみと怒りを同時に滲ませながら絞るような声で語る。
「ドレスに隠された布地の下、全身くまなくあちこちに〝痣〟がありました。暖炉の火掻き棒のような硬い物で何度も何度も打ち据えられたに違いありません。箇所によっては、叩かれた衝撃で皮膚が裂けて傷跡としてはっきり残っている所もある」
「酷い」
衝撃的な事実、私は思わず目を瞑った。彼女がどれほど苦しみと引け目を感じながら生きてきたかが痛いほどに分かったからだ。
リザラム候は大きく息を吐き出しながら、悔恨と共に悲しみを吐き出した。
「可哀想に、あれでは半袖のドレスを着ることもできないでしょう。妻の話では髪の毛の下にも針で縫った跡があったと言います。頭も金属の棒のようなもので打ち据えられていました」
彼は腰に下げた牙剣の柄を握りしめる。
「あの子は〝日常的に虐待を受けていた〟んですよ」
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