私と、『私』
――十王が、あるいは十王だったものが、全て光の粒子となり……やがてそれも、痕跡さえ残さず消えて行く。
「……んっ」
私は、ふと、目の端を伝った雫を拭う。
「……イリス、どうかした?」
「大丈夫です、兄様。それよりも……」
心配そうに横から覗き込む兄様へ首を振る。今はそれよりも、大事なことがあった。
リュケイオンさんに抱かれ、しかし未だに目を覚さないリィリスさんの方を見る。
「目覚めない、ですか」
「……生きてはいる。だが、魂はまだ抜けたままだ。おそらくはこちらから迎えに行く必要があるだろう」
そう言って十王が入っていた時の扱いから一転、壊れ物を扱うような手つきで一度抱きしめて、リュケイオンさんが立ち上がる。
「感傷に浸っている場合ではないな。行こう」
「ええ、行きましょう、あの人に身体を返しに行かないと」
そう、来た道を戻るリュケイオンさんに頷いて、私たちも踵を返す。
とはいえ、さてどうしたら……というところに助け船を出してくれたのは、フレデリックさん。
「なら、さっきの部屋にあった装置を使いましょう。元々『奈落』にアクセスするための物ですから」
「その方が確実ということですね、全てを狂わせた装置に最後に頼るというのも複雑ですけれど」
ですが今は、使えるものは何でも利用するべきと割り切ります。
「ああ、そうだな。クロウ、いけるか?」
『アア、任せとケ。最後マデきっちりとエスコートしてやるゼ』
「すまないな、お前にも最後まで苦労を掛ける」
『…………アア、そうだナ』
「……クロウ?」
いつもなら素直じゃない言葉が返ってくる彼からは、妙に素直な返事。
そんな彼に首を傾げながらたどり着いた、装置がある部屋に到着した私たちに――不意に、緊急を示す呼び出し音を響かせて、通信が入りました。
『御子姫イリス様、聞こえますか?』
「教皇様?」
少し焦った様子の教皇様に、首を傾げます。
『そちらで、世界の傷は開きましたか?』
「え? あ、はい、すでに修繕済みですが」
『そうですか、ならば良かった……いえ、あまり良くはないのですが』
珍しく歯切れの悪い教皇様に、私は構わないから続けて、と目で促す。
『……ケージを構成する結界の縮小を、外縁部を警戒していた偵察型の竜が観測しました。すでに、元々はトロールの集落のあった場所まで呑み込まれたみたいです』
「そんなに……!?」
あの一回で、かなり収縮が進行しています。やはり、今回の戦闘でほぼエネルギーは残っていないのでしょう。
『はい……懸念していた通り、今のこのケージは維持が精一杯、新たに開いた傷に対処する力をあまり残していないみたいです』
「……わかりました。では私は予定通り、これ以上『傷』が開かないよう、奈落の内部へと大元の浄化に向かいます」
『……貴女に重荷を背負わせてしまい、申し訳ありません』
「気にしないでください。こんな時のために、この『ルミナリエの光冠』を託してくださったのでしょう?」
『………………はい』
苦渋の表情で私の質問に回答したのを最後に、教皇様の通信が切れる。
それを見送って……ふぅ、と一つ大きなため息を吐いて、気分を切り替えて皆へ振り返る。
「……というわけで皆、ごめんなさい。私には、行かないといけない場所ができてしまいました」
そう、笑顔で告げる私に、ここまでのやり取りに唖然としているテラの仲間たちの視線が集中します。
「い……イリスちゃんは、今の話、納得して決心していたのか……にゃ?」
「ええ……もっとも、知ったのは決戦前でしたけど」
ミリアムさんの問い掛けに、頷く。
「それは……今、姉ちゃんがやらなきゃダメな事なのか? だって、ようやく落ち着いて兄ちゃんと一緒になれるって」
私を止めようとするハヤト君を制したのは……当のレイジさん。彼は、私に話を続けるようにと促します。
「はい……というか、今がまさに最大の、そして最後のチャンスなんです」
「……というと?」
「今……向こうで頑張ってくれている、もう一人の私が居るんです。それが、私には解る」
――本来、私が生まれて来るはずだった体。
今はおそらくリィリスさんの魂と一緒に居るはずの彼女のことを思い出しながら、断言する。
――だからここで、虚数空間に溜まっている『奈落』を全て精算する。
尤もすでに発生している『傷』はこちらできちんと浄化しなければならないため、完全決着はこちらに戻ってから、遥か先になりますが……せめて、ケージの収縮する原因となっている『傷の発生』は、二度と起こらないようにするために。
それが――私の、ここでの最後の仕事。さすがに規模が規模なために何年かは掛かるでしょうが、決して自暴自棄になった訳でも、自己犠牲の精神でもありません。
「――今やってしまうのが、多分この先で一番楽だから……だから、私は平穏を取り戻した後に邪魔をされたくないから、今は行ってきます」
そう笑って語る私に、もやは皆、反対を告げる者は居ませんでした。
そんな沈黙を破ったのは、最後まで黙って聞いていたレイジさん。
「悪い、皆。ちょっとだけ、二人で話をさせて欲しい」
「……分かった。行こう、皆」
ソール兄様に促されて、皆が渋々ながら部屋から出て行く。最後にハヤト君に促されたスノーが退出して、とうとう二人きり。
その皆の心配そうな目線に苦笑しながら、皆が出て行った時……レイジさんは、拳を私へと突き出してきた。
「やっぱり、行くんだな」
「……知っていたんですね、私がこうするつもりだって事を」
「ああ、まあ、な。長い付き合いだしな」
お前は、特に分かりやすいんだよ、と苦笑するレイジさんに、私も釣られて苦笑します。
「……こっちの問題は、お前が戻るまでに俺たちであらかた片付けておいてやる。安心して、行ってこい」
「はい……行ってきます、レイジさん」
ニッ、といつもの笑顔で背中を押してくれるレイジさんに、私も微笑みはっきりと頷くと、彼の突き出した拳に私も小さな握り拳をコツンとぶつけます。
その後は自然と、これからしばらくはおあずけになるであろうからと、名残惜しむように唇を重ね……ちょっと照れ臭さを感じながら、離れる。
「……この続きは、戻ってからな。忘れるなよ、お前はまだクリスマスプレゼントを保留中なんだぞ」
「ふふ……ええ、分かっています、戻るまでに覚悟は完了しておきます」
もちろん、その意味が分からないほど子供ではない私は、顔を真っ赤にしながらも、頷きます。ですが、やられっぱなしもちょっと悔しいので……
「だから……そうですね。女の子の名前、考えておいてくださいね?」
「……ああ、任せろ! 十人分くらいは考えておいてやるからな!」
「それは……ちょっと多いかなあ?」
少しだけ悪戯っぽく告げた私の言葉に、本当に嬉しそうにしながら抱き締めてくるレイジさん。
そうしてこれからしばらくは離れてしまうお互いの体温を確かめ合い……しばらくして、今度こそ私たちが名残惜しさを振り切って離れた時、ちょうどリュケイオンさんが戻ってきました。
「さて、もういいか?」
「はい、お待たせしました」
リュケイオンさんに促され、元はリィリスさんの閉じ込められていた装置に入る。
部屋に戻ってきた皆が固唾を飲んで見守る中、装置内の起動を待つ私たちでしたが……
『さテ……コレは、伝えトカネーとナ』
不意にそう語り始めたのは、リュケイオンさんの肩にいるクルナック様。
『俺ハたぶん、コレで最後の力を使ッテ眠りに就ク。あとハ自分たちの力でナンとかしナ』
「そうか……今までありがとう、クロウ。お前が居なかったら、ここまでは来れなかった」
「ありがとうございます、クルナック様。また目覚めた際には、今度はぜひとも遊びに来てください、歓迎しますから」
そう、小さな真竜様に笑って礼を言うと、彼もこの時ばかりは満足気に頷きました。
『……御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン。こちらの準備は完了した。あとのタイミングはそちらに任せます』
装置のスピーカーから流れてくるフレデリックさんの声に、私とリュケイオンさんは、クルナック様に頷く。
『それジャ、行クぞ……ジャアナ、親子仲良クするんダゼ?』
そう最後の言葉を残して、本当に力を使い果たしたクルナック様の姿がふっと掻き消える。
そして私たちは装置内に展開された『奈落』に飲み込まれて、上下さえ分からない一面の闇の世界、虚数世界へと落下したのでした――……
◇
――まるで宇宙の果てのような、真っ暗で光も差さぬ虚数の海、『奈落』。
その中に飛び込んだ瞬間、自動的に開かれる、私とリュケイオンさんの光翼族の翼。それに護られながら、ゆっくりと虚数の海を降下して行く。
「今更だが……本当に良かったのか?」
「何が、ですか?」
「あの坊主のことだ」
面白くなさそうな顔で、苦々しく呟く。
その様子は娘とその彼氏の交際をを渋々と認めた父親のようで、こんな場所だというのに思わずクスリと笑みが漏れました。
「大丈夫、離れていても、繋がっていますから」
懐にいつも大切に仕舞っていた、以前王都でレイジさんと一緒に購入した結絆石のペンダントを取り出しながら答える。
今……ペンダントの中心に象嵌されたその石は、仄かに赤く温かい光を発していました。
「だから、大丈夫。今は少しでも早く仕事を終わらせて帰りたいくらい、かな?」
「そうか……分かった、余計なことを言って済まなかった」
「いいえ、今のは随分と父親っぽくて、私的には好感度高かったですよ?」
「…………フン」
そっぽを向かれてしまいました。
だいぶ癖も分かってきたのですが、こういう時の彼は、大抵が照れている時です。
そんな他愛もないことを考えているうちに、下方に目当ての人たちが見えてきました。
「あ、来たよ、お母さん」
そんな声は、眼下に居る女の子……本来の私の身体に宿った、『奈落』をルーツとする魂を持つ少女。
そんな彼女の側に一瞬だけ見えた人影がパッと光へ還り――それはすぐに、リュケイオンさんの抱くリィリスさんの体へと、吸い込まれていきました。
「んっ……」
「リィリス!?」
「リィリスさん……お母さん!」
微かに瞼を震わせたリィリスさんへ、私たちがその顔を覗き込む。
「ふわ……………うぇ、うっかり夕方まで眠っちゃった時の、十倍くらいだるいなぁ……あふ」
寝ぼけ眼で周囲を見回していたリィリスさんの目が、最初に捉えたのは……私。
「あら……あなた……そっかー、随分と大きくなったわねえ」
そう私を見るなり嬉しそうに顔を綻ばせた彼女は、リュケイオンさんの腕から降りて、私の前に立つ。
「ちゃんと会うのは、初めてね?」
「ええ、ずっと夢の中とかでしたからね」
二人、くすくすと笑い合う。
「はじめまして、イリスちゃん……私の娘」
「はい、はじめまして、ですね。お母さん」
そうしてあいさつを終えた瞬間、ぎゅっと、感極まった様子のリィリスさんから強く抱きしめられる。
この歳でお母さんに抱かれて安心するのはちょっと気恥ずかしいのですが、しかしこそばゆいながらも、素直に身を委ねて抱き返す。
ですが……名残惜しいですが、今は意思を総動員して、このまま母の胸に抱かれていたいという欲求を振り切って彼女をリュケイオンさんの方へと押す。
「リュケイオン、君も、本当にありがとう。約束、ちゃんと果たしに来てくれたんだね?」
「ああ、ああ……ようやくもう一度、こうして君に触れることが出来た……ああ――本当に、永かった」
「よしよし、私はもう、どこにも行かないよー? あー、もう、泣かないの……いや、やっぱり泣いていいや。ぐす。うん――ありがとう、助けに来てくれて」
そう、すっかりと顔をぐちゃぐちゃにして抱擁し合うリュケイオンさんとリィリスさんに思わずもらい泣きしていると、くいくい、と服の袖を引っ張られた。
そこには……私よりも何歳分か小さな女の子が、この中で一番顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「あー、もう。ほら、おいでー?」
「あぅ……ありがとう」
腕を広げるなり飛び込んできて、私の胸の中で感極まって泣いている少女の頭をぽんぽんと撫でてあげながら、今もまだ抱擁しあっている両親に声を掛ける。
「ごめんなさいリィリスお母さん。もうすぐここで一仕事するから、リュケイオンさんと一緒に先に向こうへ帰ってて貰ってもいいですか?」
「ぐすっ……でも、二人だけでやるの? 私たちも手伝うわよ?」
いまだ鼻を啜りながらも、気遣わし気な視線を私に向けてくるリィリスお母さん。リュケイオンさんも同様に、私たちに付き合ってくれるつもりのようでしたが。
「大丈夫、あまりここでイチャイチャされたらこの子の教育に悪いし」
「あら……」
「む……」
「だから、お母さんたちは先に戻っていて。それと、向こうの世界はお願いね」
「……わかりました。早く帰ってくるのよ、二人でね」
「……任せた。それじゃあリィリス、戻ろうか。僕らの本来居るべき場所へ」
そう言い残して、この虚数の空間から現世へと戻った二人。残るは……私と、『私』の二人だけ。
「あなたが……『私』?」
「うん……はじめましてだね、『私』」
私の問い掛けに、私の腕の中に居る私と同じ髪色の少女が、私の腰にぎゅっと腕を回して笑い掛けてくる。
「へぇ……私は別のお母さんから産まれなおしたのに、案外私たちは容姿も似てますね」
「あ、たしかに。不思議なこともあるんだねー」
彼女の容姿は、私を少しだけ幼くして、髪を少しだけ短くしたようなくらい……あとはせいぜいが、リュケイオンさんの影響か私よりも若干目尻が上がっているくらいでしょうか。
これなら、並んだら姉妹に見てもらえそうだなぁなんてちょっと想像しながら、そのためにはまずやるべき事があると気合いを入れます。
「それじゃあ……ちゃっちゃと済ませて、一緒に帰りましょうか」
「うん、私が集めて、留める。それを……」
「はい、私が浄化します。いけますね?」
「もちろん!」
そう言って、彼女の背に、私とは真逆、漆黒の闇で出来た翼が展開する。
そんな彼女の意思を受けて、まるで海のように揺蕩う深い闇――『奈落』の本体が、蠢き、凝縮するように移動して、まるで私たち二人がいる空間だけぽっかりと球形の空間を開けて集まってきた。
「ね、お姉ちゃん。外の世界ってどんな場所?」
「そうね……ちょっと、一言では言えないかな」
「人を好きになるって、どんな感じ?」
「それも、なかなか一言では言えないかなぁ」
「お姉ちゃんは今まで、どんなふうに生きてきたの?」
「それも、一言では言えないわ。だから……時間はあるのだから、ゆっくりと教えてあげるね?」
「……うん!」
私の言葉に、本当に嬉しそうに笑う『私』。
そんな他愛もない話をしている間にも、周囲では凄まじい勢いで、『奈落』たちが浄化されていく。
……皆が、終わらない絶望がついに終わる安堵の感情を、私たちに感謝という形で投げかけながら。
◇
――表に生きる私たちには、辛いこともあれば、楽しいこともあった。
絶望も希望も、私たちの往く道の両端に常に存在し、その間をフラフラしながら進むのが私たち。
だから絶望を恐れて希望側へ寄りたいと、道の先を照らす灯りを探す。少しでもより良い道を選ぼうと、あちこちで色々な人とぶつかり合いながら、時には悪意ある者に絶望側へと弾き出されながら、時には誰かとぶつかるのが怖くてその場に座り込みながら、それでも道が続く限り進んでいく。
だけど彼ら『
きっと……彼らが私たちの世界に現れ、そこで生まれたがるのは、自分たちにも幸せになれる未来があったはずと、そんな一縷の可能性を信じたかったから。
だけど彼女は――『奈落』から生まれ、私の本来の体を得てこちら側の『御子姫』となった『私』は、そんな彼らに生まれた、自分たちにも幸せになれる未来があったんだという、初めて生まれ出た希望。
だから……生まれてしまった『奈落』たち。『
だから――どうか安らかに眠りに就きなさい。
そのための子守唄ならば、いくらでも歌ってあげましょう。
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